黄泉フォン
らわか
第1話 喫茶カノン
東京でも最近は見かけなくなったアーケード商店街。全長およそ400メートル、最盛期には周辺を含め250もの店が集まり活気に溢れていたと聞くが、今では営業する店はせいぜい100軒程度じゃないだろうか。それでも昭和生まれの名物店主たちが現役で店先に立っていることもあり、テレビ局や雑誌の取材は定期的にあるし、最近では立ち食いグルメを楽しむ外国人観光客の姿も珍しくない。アーケード商店街から一筋入った場所にある琴音が営む喫茶カノンも、昭和レトロブームの恩恵を確かに受けていた。しかし、そのドアには「プリンアラモード、終了しました」という張り紙がされ、店は静かな朝を迎えていた。
「琴音ちゃん、あの張り紙。どういうこと?」
モーニングの開始と同時に入ってきたのは商店街の有名人、酒屋の正雄爺だった。心配げなその顔をチラリと見た琴音は、何でもない様子で珈琲を注ぎ始める。
「うちは珈琲がウリの喫茶店なの。いくら儲かるとしても、プリンアラモード屋さんにはならないってこと」
正雄爺の指定席、カウンターの右端にカップを置くと琴音はまな板の上に転がっていたキャベツを勢いよく真っ二つにした。そして、大きく息を吸い込み猛然と千切りを始める。この話は終わりと言わんばかりの態度に、常連客達は互いに顔を見合わせコソコソと情報交換を始める。
「琴音ちゃん、バイト雇わなきゃ!って喜んでなかったか?」
「バカね、それは最初だけよ。そのあとはまさに悪夢!毎日私の店の前まで行列ができてさ、あの人たち飲み終わったペットボトルを植え込みに捨ていくんだから」
「パートの桃代さんはバニラアイスのすくい過ぎで腱鞘炎になったそうです。昨日も
私のところに針を打ちに来ましたが、あと1週間は休養が必要ですね」
カウンター席から心配そうにこちらを伺っている面々は、いずれも先代からの常連客。商店街の会長で祖父の親友の正雄爺。カノンから徒歩2分の場所にある美容院の絢美ママは、琴音にとって何でも相談できる母親のような存在だ。そして、街中のお年寄りが集う鍼灸院の川口先生。この三人が店に揃うのも随分と久しぶりのことだった。
遡ることおよそ一カ月、とある人気配信者が喫茶カノンを偶然発見。生配信で『レトロ可愛い』とプリンアラモードを絶賛したため、翌日から客が押し寄せてきたのだ。琴音は客からその動画を見せられ、確かに数日前にこんな客が来てたっけと思い出した。が、友人と話しているものだとばかり思っていたし、そもそも撮影の許可を取られた覚えもない。バニラアイスとかためプリンを生クリームと飾り切りの果物で飾った昭和感たっぷりのプリンアラモードは、琴音の全く知らない所で独り歩きし始めていたのだ。
最初はインフルエンサーがタダで店をPRしてくれた幸運に感謝していたが、途切れることなく訪れる客の注文は当然プリンアラモードばかり。65歳の桃代さんと琴音だけで切り盛りしていた店は直ぐにパンクした。その上、勝手にコンセントを使って充電を始める者、Wi-Fiがないと文句を言うカップル、わざわざ来たのになぜ売り切れなのかと怒り出すような困った客が連日押し寄せるようになった。極め付きは先日、店を訪ねてきたテレビ局のスタッフだった。ディレクターと書かれた名刺を差し出してきたおしゃれな装いの若い男性は、例の動画で店のことを知ったと興奮気味に話しだした。
「店のインテリアもすごくイイ感じじゃないですか!絨毯みたいなソファに鳩時計、それにこの電話!ダイヤル回すとか渋すぎでしょ」
男は入口の脇に置かれた年代物の黒電話を珍しげに眺めている。見たところ琴音よりも年下のようだが、固定電話自体一度も使ったことがないという。
「インテリアというか…昔からあるものばかりですけど」
「それが良いんですよ。本物の昭和が現役で残ってるってことでしょ?こういう場所、探してたんです!この雰囲気の中でプリンアラモードを食べるってのが…」
「ごめんなさい!無理です!」
男の声を遮るように叫ぶと、琴音はこう続けた。
「プリンアラモードはもう作りません。今、決めました」
「は?えっと・・・ああ、安心してください。もちろん代金はお支払いします。撮影中の貸し切り料金も上に交渉して出してもらうようにしますよ。それに、店に来るのは超有名なアイドルグループのメンバーなんで、絶対、お客さん増えますから」
「だから、これ以上増えたら困るんですってば!」
「参ったな…」
諦めきれない様子の男は、調理場で忙しく動き回っている桃代さんに目をやると、琴音をあやすようにこう言った。
「お姉さん、申し訳ないんだけど直接オーナーさんと話させてもらっていいかな?」
その言葉に、琴音は内心ブチ切れた。ああ、まただ。この手のやり取り、何度繰り返せばいいんだろう?原因は自分のこの顔にあることは分かり切っているが、それでも腹立たしいことに変わりはない。琴音は気持ちを落ち着かせると、絞り出すように答えた。
「…オーナーは私です」
「え?お姉さんバイトじゃないの?」
「頼りなく見えるかもしれせんが、私は30歳でこの店の経営者です。そして、私は、私の店のお客様を守りたいんです。他の誰かのファンの人に来て欲しいわけじゃない。なので取材はお断りします」
氷のような微笑を浮かべつつ琴音がそう告げると、男はバツが悪そうに「出直します」と言い残し慌てて店を出て行った。恐らく彼が戻ってくることはないだろう。琴音はめくり忘れていたカレンダーを乱暴に剥がすと、その裏に「プリンアラモードは終了しました」と書きドアに張り付けたのだった。
「この子供みたいな顔のせいで、いつも舐められるんだよね」
子供のように頬を膨らます琴音を、正雄爺は軽い調子で慰める。
「テレビ局の人が間違えるのもまあ仕方ないわな。琴音ちゃん、今も大学生にしか見えないからさ。しかし、プリンがあればご機嫌だった子供がもう30歳ってのはビックリだね」
「正雄爺、ひどすぎ!それに、正確にはまだ29歳だから」
「まあまあ、琴音ちゃんの童顔は桐山家の遺伝だから。ホラ、綾音も社会人になっても学生と間違われてたし、私からしたら羨ましいぐらいよ」
「そっか、ママもそうだったんだ」
「それこそ、いつも琴音ちゃんと同じような愚痴聞かされてたよ。でも…そうか。琴音ちゃん、もう綾音の歳に追いついちゃったね」
琴音と同じ真っすぐな黒髪の持ち主だった母、綾音は29歳のとき出産で命を落とした。だから琴音の誕生日は母の命日でもある。琴音にとって綾音は、母親だけど全く知らない人だ。でも、母の幼馴染だった絢美ママはいつも二人は顔も声もそっくりと懐かしそうに言う。母の話題を出されると、琴音はどう反応すればいいのか分からなくなってしまうのだった。
黄泉フォン らわか @lawaka
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