薄明の記憶譜

@honghuahua7

薄明の記憶譜

意識の淵が、ゆるやかに広がっていく。

体は鉛のように重く、

時間の感覚はすでに薄れていた。

ここは、光と闇が溶け合う場所。

過ぎ去りし日の断片が、

まるで微睡みの中の夢の様に、

目の前を微めては消えてゆく。

走馬灯―――人はそう呼ぶけれど、

果たしてそこに何が映るのか、

ずっと知りたかった。


願わくば、そこには

温かな光だけが満ちていてほしい。

陽の当たる縁側で笑い合った日。

初めて手にした花の匂い。

誰かの優しい声。

そんな、心をなでる様な記憶だけが、

途切れることなく

駆け巡ってくれたなら、

どんなに安らかだろう。

だが、現実とは残酷なものだ。

楽しい思い出ほど

輪郭がぼやけて遠退き、

胸を締め付ける様な辛い記憶ばかりが、

妙に鮮明さを保って残っていた。


だからこそ、この最期の瞬間に、

何が映し出されるのか、

考えずにはいられない。

意識はもはや混濁し、

今いる場所と、遠い過去との

区別もつかない。

走馬灯に映し出されるのは、

きっとその者の人生そのものなのだろう。

楽しかった日々も、苦しんだ日々も、

全てが平等に、

あるいは予測不能な順序で

現れるのかもしれない。


ふと、その光景の中に、

忘れかけていた面影を見つける。

幼い日の無邪気な笑顔。

他愛いもないけれど、

心を交かわした言葉。

そして、どうしようもなく流した涙の跡。

それらが、最初はぼんやりと、

やがては眩いばかりに蘇る時、

その者は何を思うのだろう。

後悔か安堵か、それともただ、

全てを受け入れる静かな気持ちだけが

そこにあるのだろうか。


もし、この走馬灯が、

魂の真実を映し出す鏡なのだとしたら、

そこに映る自分自身を、

その者は受け入れられるだろうか。

最期の瞬間。

全ての記憶が

曖昧な光の中に溶け合っていく中で、

ただ一つの答えを見つけられるのなら、

それはいったいどこにあるのだろう。

この意識が薄れていく深い淵で、

ただひたすらに願う。

どうか、走馬灯よ、

痛みの記憶を遠避けてくれ。

ただ幸福な

夢の断片だけを紡いでほしい。

この魂が、

静かに安らぎを得られる様にと、

心から願う。

やがて訪れるのは、

ただ穏やかな眠りだけだ。

だが、走馬灯が映し出す

幸福な夢の断片の中に、

微かすかな、しかし確かな

「続き」を求める想いが芽生える。


この記憶の調べは、

ここで途切れてしまうのか。

それとも、この静寂の先に、

まだ知らぬ旋律が待っているのだろうか。

痛みを遠避け、喜びを願った切望は、

一つの問いとなって、

魂の奥で静かに響き続ける。

微かな光が、遠い日の名残となり、

その問いと共に、

魂の奥底に微かに揺れる。

そして、すべては

時の流れの中に溶けゆくが、

その調べだけは、

未完のまま、永遠に

響き続けるかの様だった。

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