第2話棘貝(1)

 今は春と冬の境。

 まだまだ夜は冷え込む。

 水中に潜っていればなおさらだ。


 俺が調味料をくすね戻ってくれば、ヤスミンは火鉢に手を向け温まっていた。


 その火鉢の上で、トゲトゲとした突起物が目立つ貝。

 サザエに似たそれは棘貝と呼ばれている。

 そいつらは、炭火にあぶられ、

蒸気を発していた。


 よく言えば素材の味を生かした、悪く言えば一切手を加えていない。

 The漁師飯といった風情だ。


 蒸気に鼻を近づけることで、もう美味しいと分かる。

 芳しくも芳醇な匂いが漂っていた。



「はい」


 俺が差し出したのはお酢、塩、油など。


「見習い料理人が持ってこられるとしたらこれくらいよね」


 ヤスミンはバターが欲しかったそうだ。

 腐るので、そもそも船に乗っていないというのに。


「これはつぼ焼きだよな。

 だったら、こった味付けは逆効果だな」


 ヤスミンが捕獲した棘貝は15個。

 火鉢で一度に焼ける限界が5つ。

 話し合いの末に、俺の分は3つまで。


 俺はそれっぽっちで満足する器ではない。

 もっと多くの食料をせしめねば。

 こっちは成長期なんだ。


「ところでさ、パクってきた調味料のたぐいは使わないのか」


「自前の調味料があるのよ」


 ヤスミンは竹の筒を取り出し、中にある黒い液体を棘貝に垂らした。

 はじめた見たはずなのに、俺はこの調味料を知っていた。


「そ、それって、ま、まさか」


 ――しょう……!


「何って!

 魚醤よ。美味しいんだけど、臭いがきつくて。

 私ら以外には人気がない郷土の調味料よ」


 おしい。醤油じゃなかった。

 でも、前世で聞いたことがある。


 魚を発酵させて作る、醬油と似た調味料があるってことを。

 これがそうなのか……。

 魚醤から俺はもう目を離せない。


「欲しいの」


「欲しい」


 おっと、口からよだれが。

 でも、しょうがないよな。

 思い出の味に出会えるかもしれないんだ。


「いやぁ~、これ美味しいのに、匂いのせいでみんなに避けられわかけでさ。

 素直に、興味持ってくれて嬉しい」


 俺も、コンソメの元を作ったりしているので、彼女の思いは分かる。

 自分の故郷の味が認められるのって、少しくすぐったい思いにかられるよな。


 注がれた、魚醤が熱され沸騰し、貝殻に滴れば磯の匂いの中に香ばしさが加わる。


 まだかな、まだかな。

 ホストであるヤスミンよりも先に箸をつけるわけにはいかぬ。

 とはいえ、我慢できるものでもない。

 俺は魚醤のにおいを漂わせる棘貝をひたすら凝視する。


「まったく、ケイデスは変なところで律儀よね」


 しまった、一番デカいのを狙ってるのがばれた。

 取られるかも。

 と思ったのは杞憂だった。


 竹のフォークが俺の口に運ばれた。


「どう、おいしいよね」


 そして、口の中に広がる味は間違いない。醤油だ!


「ふぁ、ふぁついよ」


 でも、熱すぎるよ、これ。


「ご、ごめんよ。

 冷ましもしないで口にいれちゃって!」


「だ、大丈夫だよ」


 もしかしたら口内炎になるかもだけど。


「大丈夫なわけないよね。

 だって、泣いているし」


「いや、それは痛いからじゃなくて」


 と、言い訳する間もなく。


「ほら、あ~ん、して!」


 と、口を開けて、口内を覗き込んでくる。

 あ、あの、その、近いんですけどぉ!


「お~、ここからなんかおいしそうなにおいが。

 酒の肴を独り占めするのはよくないんだぞ」


 と、そこに人魚用の台車に乗った人魚がエントリー。


 明けの魚をたかりに来たそうだけど。

 大人として、それはどうなんだ。


 このままだと厄介なのが来るなと思ったんだけど、どうしてか止まる。


「あ~、なるほどねぇ。

 あんたらそういう関係だったわけだね。

 その、ごゆっくり」


 客観的に、今の俺たちの姿を見て見よう。


 甲板に二人っきり。

 あと少しで触れ合いそうなくらいの距離。


 そうだよね。

 はた目からはキスしてるようにしか見えないよね。


「ち、ち、ちが、これは誤解だよ」


「そうよ。

 こいつが私のせいで火傷しちゃったかもしれないから、見ているだけ」


 状況のまずさを理解したから、俺たちはあわてて弁明。


「分かってる、私は分かってるからねぇ」


 訂正。

 この人は周囲に気を使えるしっかりとした大人だ。

 でも、気を使いすぎるタイプだ。



「本当の本当に、そういう関係ではないんだね」


「そうよ、タラサ姉さん。私にとって、こんな駆け出し冒険者、守備範囲にないので」


 丁寧に、こちらの様子を窺いながら、遠慮なく火鉢の上の棘貝とコップになみなみと注がれた酒を交互に飲み食いするのは、ここにいるヤスミンの姉貴分であるタラサだ。

 姉貴分というだけあってか、身長は少し。

 しかし、胸の方は大きな差がある。

 つまり、褐色巨乳の姉さん系人魚だ。


「ところで、ケイデス」


「こっちの棘貝の取り分は3つ。

 事前に決めたよな」


「まぁ、そうよね」


 あぶねぇ。

 こいつ人数が増えたから、俺の分を減らそうとしてきやがった。


 そうはさせない。

 というか、絶対2つ以上獲得してやる。


 問題は材料。

 計画実行に果たして足りるか。

 いな。無理にでも二人にはのってもらう。


 皆が飲むからという理由から、もう一つの火鉢の上で煮沸されていた鍋を手に取る。


 そこに、調理場からもってきた麺を投入。


 船からバケツを投げ、海水を確保。

 調理場からもってきた鍋に水を注ぎ、ついでに乾いた麺をそこに投入。


 二人にアピールすべく、良く見える場所にまな板をセット。


「何やっているのよ」


「お楽しみだよ」


 突然の奇行。

 以外にも、ヤスミンは好意的だ。


 俺は内心で、計画は順調だと笑う。



 そして、麺をゆでている間に、ソースの準備をしなければ。


「あれ、身が出てこない」


 だが、問題が発生。

 振っても、ひっくり返しても棘貝の中身が出てこない。


「ほら、貸しなよ」


 と、俺の手から棘貝を奪い取る。

 貝の口にナイフの柄を刺しこみ、左右に振る。

 ひっくり返せばあら不思議。

 彼女の手には棘貝の中身が落ちたではないか。


「知ってる。

 この貝殻に耳を当てると、生まれ育った故郷の波の音が聞こえるの」


 貝殻を耳に当てるとヤスミンは目を閉じた。

 貝殻に響く音と、波の音。

 その両者を聞き比べているらしい。


 ほらと、渡された貝殻を耳に当てるが、何も聞こえない。


「まだ内臓が残っているから、何も聞こえないぞ」


 こいつ、ぶん殴ってやろうか。

 いたずらに成功し、可愛らしく微笑んでいるヤスミン。

 華やかに笑う姿を見ても、あいにく、俺はもう可愛いとは思えない。

 でも、参考にはなった。


 フォークの柄を貝殻の中に差し込み、左右に振る。

 身を取り出して、その内側をつく。

 すると、渦巻きみたいな内臓が出てきた。


 この時注意しないといけないのは、出汁をこぼさないようにする。


 砂袋、内臓の一部、そして、口周辺にある膜を切り離す。


「……!

 うそ、棘貝の正しい捌き方をどうして知っているの!

 砂袋と、苦みがある外套膜を切り出すなんて」


 膜ってそんな名前なんだ。


「一度食べればどこがどうなってるかなんて分かるよ」


「そう、これがディオニュソス様の加護。

 宴会の神格の権能」


「戦闘には役に立たないけど、日常では便利だよ」


「正直半信半疑だったけど、本当に、10代で番外の神に認められるなんて」


 ヤスミンは俺の手元を目を見開いて見つめていた。


「そう大したものでもないよ。

 故郷でも厄介払いしてもおしくはない程度の評価だし。

 食べ物を探すのと調理がうまい程度の才能だしな」


「それでも、ケイデスが凄いというのは変わりないぞ。

 その年で、ディオニュソス様の加護を授かるなんて。もっとも加護を授かる可能性が高い酒職人でも10年20年たっても加護を貰えないことあるしね。

 ところで、その加護を使って、美味い酒を造ってくれない」


「もう、タラサ姉さん。

 結局、酒を飲みたいだけよね」


「そんなことないぞ」


 と言いながら、コップの酒を水のようにごくごくと飲んでいく。

 それにしても、当たり前のように神の話が出てくるとは。

 変わった世界にやって来たなと、しみじみ思う。


 そう、この世界には古代ギリシャで信仰されたオリュンポスの神々が実在するのだ。


 地球をキリスト教に譲ったのはこういう裏があったのだ。


 さすが神、スケールが大きい。

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