第3章 パパの価値はいかほど?

第1話 学校の友達を家に連れてきてしまった

 今年の五月は異常に暑い。ほぼ夏だ。けれど、融通の利かない公立の学校は衣替えの季節になるまでエアコンを使わせてくれない。確かに梅雨前の今は湿度が低いので窓を開ければしのげなくもないが、放課後の西日差す教室で部活動をする気にはなれなかった。


 文芸部の一年生である祥子、古春、美夜、玲奈の四人は、学校の敷地内で部活をするのは困難であると判断した。小説を読んだり書いたりするだけの活動なのでどこでもできなくはないが、このままでは干上がってしまう。どこか、クーラーが効いていて、少ない小遣いでもなんとかなり、自由に飲食でき、いつまでいても、どれだけ騒いでも苦情が来ないところでゆっくりしたい。


 それでこのたび選ばれてしまったのが、祥子の家であった。


 高校から電車ですぐ、カラオケボックスやファミレスよりずっと安上がりで、いつまでいても怒られない。まして先週に美夜の家と玲奈の家には行ってしまったので、祥子か古春が自宅を提供しなければならない番だ。ところが古春は母子家庭で、古いアパートの2DKを母と兄と共有しているらしい。父子家庭でも築浅のマンションの3LDKで一人っ子として生活している祥子のほうが分が悪かった。


 祥子は自宅に晃がいないことを祈った。いても、リビングでだらだらしていてくれれば、玄関から自室まで廊下で一本なので、顔を合わせなくても済む、と考えた。


 そう思っていたのだが、すべてが祥子の思惑どおりにいくわけではない。自宅につくと、行儀のいい三人が玄関で元気よく「お邪魔します」と言ったので、声が部屋じゅうに響き渡ってしまった。

 玄関のたたきには、晃が普段履いているスニーカーがある。在宅中ということである。祥子は「ひっ」と呟いた。


「ちょっと、部屋行って! 早く部屋入って!」


 祥子は三人を自室に押しやった。そして、「ちょっと待ってて」と言ってドアを閉めた。


 廊下に出る。リビングから晃が顔を出している。長い前髪を祥子が小学生の頃に使っていたリボン付きのゴムでまとめて額を出し、龍平が同じものを二着買ってしまったとのことで譲り受けたらしい不細工な猫の絵が描かれたTシャツを着ている。最悪だった。


「え、なに? お友達?」


 祥子は晃の胸を押してリビングに戻した。晃が「なになに、なんで?」と言いながらリビングに戻る。


「高校の文芸部の友達三人連れてきたけど、放っといて。お父さんは関わらないで」


 晃が相好を崩した。


「祥子が家に友達連れてくるの小学校ぶりじゃない? お父さんご挨拶する」

「絶対やめて。コメダかスタバにでも行ってコーヒー飲んできて」

「なんで家にいるのにわざわざ外にコーヒー飲みに行かなきゃいけないんだよ、この前スーパーで買った粉のやつあるもん」

「ほんとに、お父さんはわたしの友達に会わなくていいから」


 祥子は晃の反応を見ることなくリビングを出た。ばたん、と音を立ててドアを閉める。


 自分の部屋に戻ると、友人たちは思い思いにくつろぎ始めていた。


「誰かいるの?」

「いない」


 とっさに嘘をついてしまった。


 祥子は晃が自分の同級生と接触するのが本当に嫌だった。いい思い出がまったくないからだ。保育園の時はすべての保育士に若すぎることを疑問視され、小中学校では何の仕事をしているのか聞かれ、高校では小宮山蓮と揉めた。しかも、友達に話を聞いた感じでは、世間の父親というものはだいたい夜まで外で働いている。一方晃は時短勤務で優雅な夕方を過ごしていた。祥子は、自分の父親は社会性がなく常識からはずれており、学校の知り合いに知られるには恥ずかしい存在だと認識していた。


 こんなことならば家に来ることについてイエスと言わなければよかった。多少お金がかかっても、人が多いところに行くべきだった。ただ、このメンバーは本当にかしましい。祥子はこの友人たちを愛してはいるが、腐女子の美夜と玲奈が公共の場で大声で卑猥な話をするのだけは父親に会わせるより恥ずかしかった。


「まあ、そんなことより、せっかくうちに来たんだから、わたしの本棚見て。特に漫画、どれでも貸してあげる」


 そう言って、去年十五歳の誕生日の時に買ってもらった、百八十センチサイズの大きな本棚を指した。三人が興味深そうに祥子の蔵書を眺める。祥子は高校生のわりには物持ちなのだ。


 四人はしばらく祥子の蔵書から漫画を引っ張り出してはああでもないこうでもないと語り合った。そうこうしているうちに、祥子は次第にリビングに晃がいるということを忘れていった。


 五時を過ぎたあたりで、ドアがノックされた。


 血の気が引いた。


「祥子?」


 晃の声がする。


「ちょっといい?」

「何の用?」


 心臓がばくばくと鳴り出す。


「お茶菓子にケーキでもどうかな、と思って。安物のシフォンケーキだけど」

「いらない」


 祥子は即答したが、玲奈が「え、いいじゃん」と言う。


「ありがとうございまーす! いただきまーす!」


 玲奈の大きな声を聞いて大丈夫だと判断したのだろう。外からドアが開けられた。トレイに四人分のシフォンケーキの小皿をのせた晃が入ってくる。


 祥子は冷や汗をかいた。


 なぜか晃がめかし込んでいる。さっきはだらしない髪形と服装だったのに、さらりとした黒髪をヘアクリームで軽くセットし、ベージュのサマーニットにブランド物のジーンズになっている。なぜ、なぜ、なぜ、と問い詰めたかったが、友人たちの前で父親と口を利きたくない。


 美夜と玲奈が「きゃああ」と黄色い声を上げた。晃の見た目がいいからだ。ただでさえ箸が転げてもおかしい女子高生なのに、三度の飯より美青年キャラが好きなオタクの美夜と玲奈が喜ばないわけがない。


 晃はよそ行きの笑顔で「ゆっくりしていってね」と微笑んだ。


「ちなみに、何ちゃんと何ちゃんと何ちゃんっていうの?」


 友人たちが興奮した様子で「美夜でーす」「玲奈ですう」「古春ですっ」と自己紹介する。祥子は震えるばかりだ。


 ぐいぐい行くタイプの玲奈が、確信をついてきた。


「あの、お兄さんは……? ていうか、祥子、お兄さんがいたんでしたっけ」


 晃が口を開きかけた。


 祥子はそれに先んじてこう言った。


「そう。大学生なの。授業が終わったらすぐ帰ってきて家でだらだらしてるの」


 晃が目を真ん丸にした。


「ごめんね、ちょっとケーキ食べてて」


 三人を置き去りにして、晃の手首を引っ張って自室を出る。廊下で二人向き合う。


「なんで嘘を言うんだ」


 晃が露骨に不機嫌な顔と声で言った。けれど祥子はまったくひるまなかった。


「もう、構わないでって言ったでしょ。なんででしゃばってくるのよ」

「それは、だって、祥子が友達を連れてきたのが嬉しくて――」

「あのさ、うち、変なんだよ」


 晃が硬直した。


「お父さん、存在が恥ずかしいんだよね。わたしの友達に関わらないでほしい」


 それについて、晃は反論しなかった。祥子は立ち尽くしている晃を無視して、自分の部屋に戻っていった。




 午後七時、友人たちが帰宅することになった。祥子が夕飯の時間を気にし始めたことに気づいて、遠慮して出ていくことにしてくれたようだ。申し訳ない。だが、同時にほっとした。また晃に強い言葉を使ってしまったので、そっちにも罪の意識を持ち始めたためである。何事もなく一緒に夕飯を取って、いつもどおりであることを早く確認したかった。


 ところが、玄関に晃の靴がなかった。どうやら出掛けたらしい。珍しい。どうしたのだろう。本当にコーヒーを飲みに行ってくれたのだろうか。しかし、もう七時だ。いつもなら夕飯の時間なのだ。


 リビングに戻ると、ダイニングテーブルに一枚の紙片と千円札が三枚置かれていた。


『祥子へ

 二、三日外出します。

 今日の夕飯は冷蔵庫に入っているカツ煮を温めて食べなさい。

 明日の朝ご飯は冷凍庫の食パンを解凍して食べなさい。

 明日の昼食以降はお金を置いていくのでコンビニで買って食べなさい。

 父より』


 祥子は呆然とした。

 晃が一人で外泊するのは、祥子の物心がついてから、初めてのことだった。

 それが突然今日になって、と思ったが――胸の奥が冷える。

 きっと、怒っているのだ。それで、家出してしまったのだ。


 慌てて晃に、今どこにいるの、とLINEした。既読はついたが、返事は来なかった。




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