第4話 写真立てに問い掛ける【晃視点】
* * *
深夜零時、三十分ほどLINEのやり取りをしていた美咲から、そろそろ寝る支度をさせてほしい、と言われて、会話を終わらせることになった。
祥子の部屋のベッドのかたわら、カーペットの上に座りながら、晃は天井を仰いだ。
美咲にはいつかなんらかの形でお礼をしなければならない。彼女には世話になりっぱなしだ。直接的に祥子の子守をしてもらう日もあれば、今日のように晃の不安な気持ちの吐露に付き合ってもらうことで間接的に育児を支えてもらう日もある。祥子が真面目な良い子に育ったのは彼女のおかげだと言っても過言ではない。
同時に、晃は自分自身が柔軟になってきたのも感じる。
若い頃は一人で祥子を育てられると言い張って勝手に追い詰められていた。それが美咲や龍平に頼れるようになったのは、丸くなったということで、ある意味では成長していると言えた。
祥子を一人で抱えて途方に暮れていた二十歳ぐらいの頃は、ガキだったと思う。それが、少しずつ周りを頼れるようになっていった。祥子が中学校に上がったくらいからは、だいぶ肩から力を抜けている気がする。思春期の祥子は行動範囲が広くなっていくにつれて何かをこじらせてきたようだが、晃は親として、ほんの少々ではあるが、ちょっとずつ手を離していってもいいのかも、と思えるようになってきた。
今回も、晃は美咲が作ってくれた職場の同僚たちで共有しているグループLINE――ほぼほぼ、晃と、四十代で中学生の娘がいる上司、育休中の女性の合計三人しか発言しない、グループ名もそのままずばり『子育て相談室』――に延々と祥子の一連の事件について語っていたわけだが、誰も否定したり笑ったりなどせず、静かに既読がついて流れていった。晃はこれにだいぶ勇気づけられていた。
眠る祥子の顔を見る。
リビングからベッドサイドに持ってきた間接照明に照らされて、白い頬が見える。桃色の形がいい唇を薄く開けている。まぶたの上下が閉じ合わされ、長い睫毛がより密集して見える。額の絆創膏は痛々しいが、血はとっくに止まっていて、真ん中のガーゼは白いままだった。呼吸に合わせて、胸が一定のリズムを刻んで膨らんではしぼむ。
いつもと変わらない、穏やかな寝顔だ。
これなら大丈夫そうな気もするが、油断はならない。ほんの少し目を離した隙に息が止まってしまうかもしれないので、晃は今夜ひと晩徹夜することにした。
世界で一番可愛い、と晃が思うとどうもナルシストっぽくなってしまうが、でも、可愛いものは可愛い。もっと顔を出して歩けばいいのに、と思うのだが、祥子は可愛すぎて変な目に遭うことが多かったので、怖い気持ちもわかる。それにしても、もう少し糸織に似てくれてもよかった。女の子は大きくなると母親に似てくるものだと聞いていたが、祥子は今も晃とほとんど同じ顔をしている。
祥子が寝ている間が不安なので、晃はリビングのテレビボードの上に並べてあった家族写真の中からひとつ、糸織の写真が入った写真立てを持ってきた。
一面青いネモフィラ畑の中で、白いワンピースを着た少女が立っている。今となってはまだあどけないと言ってもいいほど若い顔は、穏やかに笑っている。けれどその腹部は大きく膨れていて、幼ささえ残る彼女が妊娠しているのは明らかだった。この写真を撮った当時、糸織は十七歳だ。晃のひとつ上で、女子高校生だった。当時の晃にとってひとつ上で落ち着いた性格の糸織はたいへん大人に見えていたが、祥子が高校生になった今思うと、とんでもない。コンドームひとつさえつけられなかった愚かな自分を絞め殺したくなる。
「糸織さん、見ててな。万が一俺が寝ちゃった時のために」
ベッドサイドに、写真の糸織が祥子の顔を見られる角度で写真立てを置く。
三十を過ぎて徹夜が少し厳しくなってきた。娘の体調が急変するかもしれないと思うと緊張で途中で覚醒するだろうが、毎朝祥子を起こす午前六時半までこの薄暗い部屋で静かに過ごしていなければならないというのはかなりきつい。しかし、それが子供を育てるということだ。
思考がどんどんネガティブな方向に引きずられていく。
小宮山蓮の母親は、ちゃんとした大人だった。ワールドワイドに事業を展開する大企業に勤めて、女性ながら営業職で肩書を持っている。しかも、どうやら、息子が怪我をさせた相手のために車を出すことができる程度に育児に協力的な夫がいるらしい。なんだかんだ言って、息子の蓮も今時の素直な子のように見えた。祥子の反応を見る限り、学校内での素行は悪くないのだろう。
あれがまともな家庭か、と思ったら、気が滅入ってくる。
晃は平安時代から妖魔退治を専門としている藤牙家の長男に生まれた。生まれる前から退魔師になることが義務付けられていて、物心がつく前から妖魔にはどう対応したらいいのか教え込まれていた。晃にとって妖魔はいつもすぐそこにいる存在で、何の疑問もなく憎むべき相手であり、自分にはそういったものを滅ぼす力があることを意識していた。
対魔協にかかわり始めたのは、中学に入学したのとほぼ同時だった。親としては、十二歳で元服、という認識だったらしい。晃はそれが当たり前だと思っていたので、ごく自然に働き始めた。そして、すぐに対魔協のトップクラスの成績を上げ始めた。
対魔協で働くにあたって、学問的な知識は重要視されない。晃は中卒で働いてもよかった。退魔師の幹部に世間体が悪いからと言われて高校に進学したが、不登校ぎみだった。勉強するより妖魔を斬るほうが好きだった。両親はそれを奨励した。
だが、糸織だけは違った。
糸織だけは、晃を、もう少し自分で考える力を身につけようね、とたしなめた。このまま妖魔退治を続けたら、晃くん一人で世界じゅうの妖魔を消滅させるよ、そうなった後どうやって暮らすの、高卒くらいは資格を取ったほうがいいよ――糸織はそうこんこんと語った。
糸織もまた、中学生の頃から対魔協で働く治癒能力者だった。
退魔師は業務内容的に危険なことが多い。怪我をすることもしばしばだ。糸織はそんな退魔師の対応をする医療班に所属していた。
糸織も山秋家という退魔師の家系に生まれた娘だった。しかも母方の祖母がヨーロッパでは有名な魔女だったらしい。糸織には四分の一白人の血が流れていて、髪の色と瞳の色が明るいのが可愛くて美しかった。
無茶な戦闘をする晃を、糸織はゆっくり治療した。あっという間に傷を消し去るのではなく、表面をつなぎ、止血して、安静にしなさい、と言った。痛いことは大切なこと、自分を大事にしなさいと脳が発信しているということだから。そして、こう続ける。
――晃くんが自分を大事にしてくれたら、わたしはすごく嬉しい。晃くんも自分がかけがえのない存在だということを、感じてほしい。
今でも思い出すたびに涙が出そうになる。
そんな糸織を、晃は命を懸けて愛した。
そうして生まれた祥子が、十五歳になった。晃が糸織を熱烈に愛したのと同い年で、妊娠させた年齢だった。
それではだめなのだろう、というのを、蓮の母親から感じた。
この前千代田線の大手町駅で倒した妖魔は、ランク的にはB級である。一体五万円の報酬が出る。B級というと新人の谷がひいひい言いながら倒すくらいのレベルだが、晃からすると小者で、普段はもっと短時間で高額になるA級、AA級を狩って効率よく稼ぐようにしている。A級を倒せば十万、AA級を倒せば二十万――朝十時から午後四時までの、昼休憩を考えれば実働五時間で、一日で五十万くらい稼げる。
それでも社会的には認められないのだということを、突きつけられる。
祥子は大学に行きたいらしい。勉強をがんばっている。高校の偏差値も二十三区の公立高校では上のほうだ。
一方晃はお情けで底辺校を卒業させてもらった身で、妖魔退治以外の何もできない。
「……糸織さん……」
夜が長い。
子供の頃、たわむれにAAA級に喧嘩を吹っかけていた自分には想像もつかなかった不安と緊張を、今、感じている。
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