第2話 ゲンカイ

ヨメが次女を妊娠していた時のこと。


ヨメに前置胎盤という症状が見つかり、出産までの約2ヶ月間を入院することになった。


うおう。


前置胎盤というのは胎盤の位置異常のことで、自覚症状はないものの大量出血のおそれがあるため速やかな管理入院が必要になるのだとか。


かくしてヨメは速やかに入院し、あとには家事のできないポンコツオットとイヤイヤ期絶賛開催中の長女(3)だけが残された。




さて、突然はじまったポンコツとイヤイヤのふたり暮らし。


いきなりオットはテンパっていた。



じつはこの生活をはじめるにあたり、ヨメと義母から言い聞かされていたことがある。


それは「決して100%でやろうとすなよ」

ということであった。


今ならその真意もわかる。


たとえば料理がまったくできない人であっても、ネットでレシピを見て材料もその通り揃えれば、時間はかかれど店で出てくるものに近い料理を作ることはできるだろう。


誕生日や母の日など、年に何度もないイベントならそんなハリキリもいいだろう。


ただ、そんな全開100%を毎日続けられるスーパー家事マスターはそう多くない。


であるなら、8割といわず5割でも2割でも良いので、毎日継続できるような力の注ぎ方をしなさいよ、ということだ。


そんなありがたい助言を、オットは最初から無視した。



いや、ポンコツ過ぎて自分の100%が分かっていなかったと言ったほうが正しいか。


またゴールまでの距離も知らないのに「ペース配分に気をつけて」と言われても、どう配分したものかわかりようもなかったのである。



結果として、彼は彼なりに全力で家事に取り組み、毎朝毎夜長女のイヤイヤと全力で向き合い、定時あがりのために仕事も全力でこなした。



「モッキャーー!!」



そして1ヶ月で潰れた。


週末は余裕アピールのためスコーンやパウンドケーキなどを焼いてヨメの見舞いに行っていたくらいなので、そらそうなるやろという結果でもあった。



で、見かねた義母が数日、義実家で長女を預かってくれることになった。


その間に一旦落ち着いて態勢を整えなさいということだ。


ありがてえ、ありがてえ・・・。



義母の車の後部座席から手を振る長女。


どこまで理解しているかはわからないけれど、とにかく大好きなおばあちゃん家に遊びに行けるのが嬉しいらしい。


悪魔のようなイヤイヤ期もこの時ばかりは鳴りをひそめ、満面の笑顔だ。


ううう・・・。


ポンコツの父でスマンのう・・・。


すぐに迎えに行くからな・・・。


オットは義母の車が見えなくなるまで手を振り続けた。



* * * * * *



さて。


別れを悲しむのはここまでだ。


生活を立て直さねばならない。再び娘と暮らすために。


気持ち的には、混乱する捜査本部を立て直すため颯爽と現れた室井管理官だ。



まずは、自分自身の元気を取り戻さなくてはならない。


そう考えた彼はまっすぐお気に入りのラーメン屋へと向かった。


カウンターだけの、子連れでは絶対に入れない店だ。


久々の入店。

麺をすするたび、活力が漲ってくるのを実感する。



すっかり食欲を満たした彼は、次なる三大欲求を満たすべく、TSUTAYAへと向かった。


そして迷うことなく最奥のセクシーコーナーののれんを潜る。



久しぶりに足を踏み入れたセクシーの園は、以前と変わらぬ優しさで彼を迎えてくれた。


圧倒的なセクシーイオンを身に浴びながら、彼は恍惚の表情で

「うわあ、セクシーの宝石箱や・・・」

と呟いたとか呟いていないとか。



ところが、ここで事件が起こる。


セクシーゾーンの外から聞き覚えのある声がする。


どうやら、長女と同じ保育園に通うママ友親子が棚の向こう側にいるらしい。


なんですと―――?



長女のクラスはたまたま長男長女が多かったからなのか、互いに初めての子育てで情報交換するべく親同士の交流もさかんだった。


そのため、ヨメが入院していること、その間はオットが孤軍奮闘していることもみんな知っていた。


だからオットが長女を保育園に送迎するときにはママ友が積極的に話しかけてきてくれて、男一人の子育てを励ましてくれたり、気遣ってくれたりもしていた。


自分で言う事でもないけれど、この時のオットに対するママ友評価は

「ヨメのピンチに頑張る素敵なパパさん」

それは妻側に多くの負担がかかりがちな子育て事情の裏返しでもあるわけなのだけれど。


そんな素敵なパパさんが

『くのいち大戦4~裏切りのセクシー忍法~』

みたいなパンチの効いたタイトルを携えてセクシーゾーンから出てきたところを目撃されることを想像してみて欲しい。

こんな情けないことってこの世にあるだろうか?


とりあえず、今は出られない。


オットは息をひそめる。

メタルギアソリッドみたいだ。


これが映画なら、コーナーの出入り口と逆方向にコインを投げて注意を引きつつ、何食わぬ顔で出て行くところなのだけど、上手くいく気がしない。


なに、しばらく待てばすぐにどこかへ行くさ・・・。


すると、棚の向こうから別のママ友の声が聞こえた。


「わー、ミィちゃんママ!」


「あれー? 今日早いね」


そこから井戸端会議が始まる。


マ  マ  友  増  え  た 。



なんだ?

これはどういう仕打ちだ?


自分で言うのもなんだけど、この一か月は結構頑張ってきた。


そんな自分へのささやかなご褒美セクシーさえも許されないというのか?


女優たちの陽気なバストに囲まれながら、彼は世界を呪った。


言いたいことも言えないこんな世の中じゃ―――パイズン


やかましわ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る