憎らしい奴
第9話
小さくて狭い質素な部屋に、でーんと置かれた大きなベッド。
部屋に入るなりとても自然な動作でそのベッドに背中から倒れ込んだそいつがにやりと笑ったのを、私は決して見逃さなかったわよ。
「これは一体、どういうことかしら。」
「おぉ、良いベッドだな。座り心地も最高だぞ。ほら、あんたも座れよ。」
私の問い掛けに真摯に答えるが如く上体を起こした奴の回答のわざとらしいこと。
自分の隣りをトントンと叩きながら私に笑顔を向けるそいつが憎らしいったらありゃしない。
「あんたねぇ!」
「ん?どうした。」
何こいつ何こいつ何こいつ!!
私を抱えながら人をかき分け爽やかに走り抜ける姿は確かに素晴らしかったのに。
意外と頼りになるわ、なーんて思ったのに。
そう思わせた矢先にこれですかい?
あり得ないんだけど。
本当の本当にあり得ないんだけど。
“愛の逃避行”なーんてものを、こいつとするつもりはまったくない。
けれどあの時、こいつに抱き上げられた時。私は確かに思ったんだ。思ってしまったんだ。
この神枝という名前から、逃げられるのなら逃げてみたい、と。
こいつの言うように、家のことを全部忘れられたらどんなに幸せだろうって、忘れたいって。そう、思ってしまったんだ。
だから私は、待っていた。
「今日はこのホテルに泊まるぞ。」
ビジネスホテルの敷地内に入るや否やそう口にして私をロビーのソファーに降ろし、単身でフロントに部屋の空きを確認しに行った奴を。
だからまぁ、良いわよ。同じ部屋に泊まるっていうのは許してあげるわ。
手続きとか全部ひとりでやってくれたわけだし、確かに1度私に確認しに来たものね。今日はこのホテル、1つしか部屋が空いていないから、同じ部屋でもいいかって。
でも、おかしいわね。
「どうしてダブルベッドなのよっ!」
そんなこと一言も言ってなかったじゃないの。
こいつと同じベッドで寝ないとならないなんて、意味がわからないわ。
「良いじゃん良いじゃん、俺とあんたの仲じゃねぇか。」
「あんたと私の仲ってどんな仲よ。」
今日出会ったばかりでしょう。
それにこいつは泥棒で……あ、違った元泥棒で、忌々しい変態ナルシストで、私が逃げるのを手伝ってくれてる頼りになる奴で、でも物凄く憎らしくて……
ダ、ダメだ。
そうだったそうだった。こいつについて整理して考えるのはさっき諦めたんだった。
これ以上考えたら頭が爆発しちゃうわ。
こいつのせいで頭を爆発させるなんて絶対に嫌よ。
「全くもって良くないんだから」
「可愛い顔して怒るなよ。不可抗力だろ?」
あら嫌だ、寒気がする。変なこと言わないで欲しいわよね。
真剣な目をして言えばいいって問題じゃないんだから。
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