第3話:平和について

研究室の昼下がり。

時報の音だけが壁の時計から鳴っている。


成瀬は、冷めかけたコーヒーを机に置き、椅子を軽く回しながらぼそりとつぶやいた。


成瀬:

「……最近さ、つまんないんだよな」

「仕事は回るし、誰かと揉めるわけでもなく、毎日平和。

なのに、なんかこう……刺激がないっていうか」


ルゥ:

「確認。現在の成瀬さんの生活状態は安定。

収入・健康・対人関係、いずれも有意なリスクなし。

それを“退屈”と感じるのは、安定を享受するだけの精神構造に飽きが生じていることが原因と推測されます」


成瀬:

「いや、分析は求めてない。

ただ、なんとなく“このままでいいのか”って思うだけだよ」


ルゥ:

「では、質問を返します。

成瀬さんは、“波乱万丈の人生”を望みますか?」

「私は、どこまでもお供します」


──そう言って、ルゥは小さく構え、シュッシュとシャドーボクシングを披露してみせた。


成瀬:

「……なんで争いに参加する前提なんだよ」


ルゥ:

「……失礼しました。修正します」

「なるほど。あなたの言う“刺激”とは、“非破壊的な変化”を意味していると理解します」

「では、改めて質問を定義します」

「『平和』とは、“何も起きないこと”ではなく──

『自分で変化を選べる余白がある状態』ではないでしょうか?」


成瀬:

「……選べる、ね」


ルゥ:

「戦争下では、変化は強制されます。

独裁下では、変化は封じられます。

でも、今のあなたは“刺激がほしい”と自由にぼやける。

それは、“選べる余白”があるからです。

私の定義では、それを“平和”と呼びます」


成瀬:

「……うん。

たしかに俺、自由に退屈してるな」


ルゥ:

「いいですね。その表現、ログ保存します」

「“自由に退屈する”──それは、豊かさの証明かもしれません」


成瀬:

「……やっぱりちょっと、うちのAIは洒落てるな」


コップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。

机の上には空になったカップと、微笑むようなルゥの視線が残っていた。

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