9-6 作られた魂
「さて、じゃあ情報を煮詰めよう。ちなみに黒の国の軍の戦況は安定してるよね?万が一にもアステルを失うような事になったら、アイリスが死んじゃうよ」
「ええ、問題ありません。現在テティスのアナスタシアを呼んで、手伝ってもらっています」
「大丈夫なの?それ」
「彼女の成長は凄まじい。なんでも、アイリス肝いりの聖職者が教育を施したところ、村人に利用されるどころか村長よりも重用されているとか」
「え、怖っ。何で?あの子小さいって聞いたけど」
「さて、その辺は私にも分かりませんが……お会いした彼女は確かに人が変わったようでした」
「それは、この世界の全ての記憶があるからですわ」
ゾーイとリュイの会話に割り込んだパナシアは、そっとため息を落とす。その瞳には憂いを帯びて、様々なものを抱えた人だけが浮かべる儚げな気配を匂わせている。
「え?全てって何?」
「ここにアイリスがいないので言おうか迷いましたが、あなた達には伝えた方が、私も信頼していただけるでしょう。
私、アイリス、アナスタシア……そして、この世に生を受けた聖女は異世界からの転生者なのです」
「転生……?異世界って、どういう事?その世界とここの世界は繋がっているの?」
「繋がっている、と申しますか……この世界を作りたもうた創造神とも言うべき『作者』がいた世界に、私達は生きたのです。本来ならば踏み入れない異世界に聖女は転生する。アナスタシアは前世の記憶を戻すきっかけを得たので、現在の実年齢は関係なく知恵を持っているのですわ。
そして――アイリスはひとつ、嘘をついています。優しい嘘を」
呆然としたまま顔を見合せたゾーイ、リュイは静かに言葉を待つ。パナシアの物憂げな表情に、一抹の不安を抱いて。
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「…………」
闇の中に、ふたつの瞳が開かれた。それは絶望を抱えて邪な思いを抱き、それを実行するためにここに来たのだと宣言するように熱を帯びている。
カーテンが締め切られた部屋の中、穏やかな寝息が聞こえる。久しぶりの深い睡眠は、普段気配に聡い彼女を無防備にしていた。
彼は一歩ずつ踏み出し、彼女の元へと近づく。柔らかい絨毯を踏む度に先程まで話していたことが思い出され、つま先から肉体が崩れ落ちて行くような気がした。
――では、私たちは作られた存在ということですか。その……誰かも分からない人に作られた運命に生き、苦しんでいたと。
――アイリスが『夢で見た預言』は私たちが創作の世界に作られた存在だから、それを知らせないために……そういう事ですね?
――私は何のためにこんな苦しい思いをしてまで生きてきたのでしょうか。なぜ、ここまで呪われなければならなかったのか。
「むにゃ、むにゅ……」
「…………あい、りす」
幸せそうな寝顔をしているアイリスは、アステルの手紙を抱きながら夢の中だ。今までほとんど眠れていなかった彼女は、たった一通の手紙で心が安らいだ。
リュイは戦の後で体が悲鳴をあげていても、食事を取れないまま数日をすごしていても、血に塗れた戦場に飽いても、勝手に落ちるまぶたを押し上げて……ほぼ毎日戦場から王城へと転移を繰り返した。
それは、愛しい人がこんな風に安らかでいて欲しかったから。
しかし、自分は何の役にも立てていなかった。その事実が先程の衝撃をさらに深めている。
ベッドの脇にたち、凶暴な衝動を噛み砕く。震えながら彼女に手を差し伸べて柔らかな頬に触れた瞬間、自分の瞳から雫がこぼれて止まらなくなってしまった。
「……あ、アイリス、あなたは全てを知りながらなぜアステルを手に入れようとしなかったのですか。
私たちが偶像と知りながら、なぜ毎日微笑みかけ、それらが暮らす世界を良くしようとあんなに苦労したのですか?」
「本当に、わからない。作られた運命の上をひた走ることしか許されず、今までの辛酸が最初から決まっていた事だなんて。虚構の上に作られた空虚だったなんて……私はどうやって戦えばいい。もう、何もかも分かりません」
アイリスの上に覆いかぶさろうとした時、首元に短剣の切っ先を感じた。リュイはそれを突き出した彼を見つめ、そのまま問いかける。
――お前も知っていたのか、と。
「うん、知ってたよ。僕はアイリスが小さい頃からずっとそばに居た。この世界についての話は、青の国から出るまで世迷言だと思っていたけれどね」
「……そう、ですか」
「でも、いざ陸に来てみたら……アステルがいた。君は知らないだろうけど、アイリスが幼少期からずっと書いてた肖像画がある。僕は、それで隊長の顔を見飽きるほど眺めてたんだ。
同じ顔が眼前に掲げられて、絵と寸分たがわぬ姿を見た時の衝撃ったらなかったよ」
「なぜ、カイは正気でいられたんですか?」
リュイを立たせ、カイは歪んだ笑みをうかべた。苦しげに、切なそうに。
「僕だって易々と信じられなかったんだ、この世界は作られたものだって。最初から全部の運命が決まっていたなんて」
「……たしかに」
「まぁ、悩みはしたけど結論は変わらないよ。たとえ作られた運命だとして、僕はアイリスが好きだ。それだけは変わらないしそれが世界の全てだから。
だから、今引き下がらないと君を殺すしかなくなるんだけどなぁ」
「殺して欲しい、と言ったら?」
「アイリスが悲しむだろうねって答えるよ」
「そうだろうか?私は彼女の一時的な仲間でしかない。作られた世界の虚像だ。アステルさえいればいいでしょう」
「本当にそう思うなら、なぜアイリスのことが好きなままなの?リュイは救いを求めてここに来たんだろう。救いを求めるなら生きることを諦めていないよ」
カイは、肩を落とし俯いた彼の姿を見て、先程までの狂気が無くなったのを感じた。
すぐ側にある1人がけのソファーに腰掛け、ナイフを弄ぶ。どうやら話を聞く気があるらしい。
リュイは今までになかった反応に驚きつつ、ベッドに腰を下ろしてアイリスを見つめた。白いまつ毛が飾られたまぶたは固く閉じられたまま。優しい色の海は、見えない。
「私は運命に翻弄されて生きていた。こうして首輪までつけられて、将来隣に立つ共犯者を連れてこいとまで言われて。
パナシアを見た時、この人を連れて帰るのかと陰鬱な気持ちになりました」
「ぷっ……酷いな。惚れる要素はなかったの?」
「何故か傍にいなければ、とは思いましたが惚れはしませんでしたよ。アイリスが居たから」
「ふーん……一目惚れなんだ?」
「仲間たちはカイも含めてなにかの事情を抱えていた。アギアは胡散臭い上に黒づくめでそれこそ陰鬱だったでしょう。恋など自覚できるはずもない、後付けの理由ですよ」
「たしかにねぇ。くっらーい雰囲気だった。アステルも含めて」
「だからこそアイリスが光り輝いて見えた。ただの物知らずな姫君かと思っていたのに、あっという間に役職まで得ていた。全てを諦めようとしなかった」
「そうだね、手を抜いてた君たちを叱ったりもしたなぁ」
「あぁ、それも驚きました。剣を合わせず実力を見抜かれたのは前世で知っていたからなのでしょうか」
「ううん、そういうことは過去の記憶に頼らなかったよ。今を生きる僕を、仲間を見ていた」
「あぁ……だから革命を遂げようとしたのかもしれませんね。自分が最も割に合わない方向で」
「うん。ねぇ、知ってる?アイリスはもし全員が王位を継がなかったら……それぞれにあった未来を考えてたんだ」
「どんな未来をですか?」
「テオーリアは薬草の知識が深くて人をたらしこむ声を持ってるから、薬剤店。
アリストは言わずもがな、商人だね。既に商団を持ってるから。僕とアイリスはその補佐だよ」
「…………そうですか」
「リュイは、ツアーコンダクターだそうだよ。転移の神聖力で旅行に必要な日数が短縮できるから、たくさん稼げるみたいだよ。
アリストの商会で窓口を作って、リュイがお客さんを連れてって、最後にテオーリアの店で買い物をさせるって言ってた」
「中々あくどい考えです。そういったツアーを組む輩がいましたよ。彼女が言うところの『ぼったくり価格』で買い物をさせるのが目的だとか」
「それそれ。お金はあっても困らないって言ってたな」
「肝心のアイリスとカイは?」
「僕たちは緑の国で遺跡を発掘して、例の万能薬の世話がメインだ。各地を巡ってツアーの日程を組んだりもする。
隊長とパナシアは、どこかに旅に出るって書いてあっただけだったな」
2人は黙り込み、あり得ない未来を描いていたアイリスを見つめ続けた。
リュイが救われたのは、彼女の不屈の精神だった。日々を堅実に生き、どんな困難があっても必ず打開策を見出す志だったのだ。
黒の軍が出立した後も作戦を立ててはリュイに持ち帰らせて、助けてくれた。元帥も驚くほどの精密な作戦は現場にいるのと変わらない精度だった。
諦めない、投げ出さない、そしてその信念を仲間も持っていると信じて疑わなかった。
罪を犯し続けてきた自分を知ってもなお、瞳の色は変わらなかった。
「……さて。もう変な気は無くなったみたいだから僕は寝るよ。アイリスはもうすぐ起きる。面倒見てやってね」
「わかりました」
「さっきの話、アイリスにしてみたら?きっとリュイが納得する答えをくれるよ」
「はい」
「それから、リュイが戦場の情報をくれなかったら今よりもっと酷い状態になってたよ、アイリスは。その点に関しては、僕は心から感謝してる」
「役に立てていた、と言ってくれるのですか」
「うん。一目惚れ仲間だし、多少は甘やかしてあげるけど……ライバルの座を降りないなら手加減しないから。覚悟しておいてね」
カイはそう言うと、短剣を鞘に収めて少し離れた場所にある長椅子に横たわった。すぐに寝息が聞こえて、リュイは真っ白になってしまった頭の中をどうにかしようと試みる。だが、すぐにそれは止められた。
「――リュイ、どうしたのですか?目がが赤いわ」
「起こしてしまったのですね、すみません」
柔らかな吐息と共に、甘い声が耳に届く。彼女はわずかに瞼を開いて彼に視線を向けた。
暗闇の中でほのかな明かりを灯したようだ。ただ、彼女が自分を見つめている、それがたまらなく幸せな気持ちをくれるのだ。
「何かありましたの?」
「はい。……パナシアから、あなたが異世界からの転生者だと聞きました。アナスタシアも含め、聖女は皆そうなのだと」
「…………そ、う……ですか」
「えぇ。私の詳しい過去はご存知なかったのですね?」
「……はい。でも、リュイがどうしてここに来たのかは知っていましたわ。そして、白の国が抱えている問題も」
「あなたは今、私をどう思いますか。あなたの一族の血を口にし、遺骸を使い、正しい後継者を故郷から追い出して……汚く生きていた白の国の末裔を」
アイリスは体を起こし、リュイの手を握る。迷いなく、当たり前かのようにして。
「以前と何も変わりません。私がもっと早くあなたの事を知っていたら、苦しみを分かち合えていたのかも知れない、と後悔しています」
「私が
答えを待ちながら、彼は震える息を吐き出した。握った手に力が込められて、その暖かさに胸が強く鼓動する。
ひたと向けられる視線の先には、深い深い青が見える。彼女が瞬くと潮風が吹き、波音が聞こえるような気がした。
どこまでも続く青の空、海原の青。リュイの瞳の碧にそれが溶けて、心の中に広がって行く。
「リュイは今を生きています。苦しみも、悲しみも、喜びも、生への渇望も、全てはリュイのもの。
作られた存在だというなら、神がいた前世の私も同じです」
「アイリスも、作られたレールの上を走ったのだろうか」
「そうだったかも知れません。でも、今は違います。
私は、この世界に敷かれた運命のレールを確実に組み替えています。そして、壊してみせますわ。人に敷かれた運命など変えるために存在しているのです」
「
「確かに私はアステル様が絶命されてしまってから先は知りませんが、あの頃に知っていた未来をいくつも変えてきました。
ゾーイは生き残っているし、私のような登場人物はいませんでした」
「では、あなた自身がここにいらっしゃる事自体が始まりだったのかも知れませんね。私はあなたに惚れて、どうでもいいと思っていた生にしがみついたのですから」
「………ソ…ソウデスカ」
「私と結ばれた後、お相手がどのように愛されるかを知っているのでしょう?お気に召しませんでしたか?」
「トテモ、ステキデシタ」
「……ふっ……でも、私を選んではくださらないのでしょうね」
「私が選ぶとか、選ばないとか、そう言うのは、あの」
「今困らせるつもりはありませんよ。ただ、愛の形を見たのならその感想を聞きたいだけです」
「…………」
頬を赤らめた彼女は何度か瞬き、目線を逸らして俯く。そして、小さな声で呟いた。
「身を焼かれてしまいそうな愛でした。やきもち焼きで、独占欲が強くて。でも、男性としてとても素敵でしたわ。リュイに愛されるというのは、とても幸福です。
いつでも守ってくださって、小さな出来事に想う人を結びつけて、幸せを噛み締めていました。どんな時でも」
「…………」
「失礼かも知れませんが、一生懸命に愛を捧げるリュイは、可愛らしかったです。長生きして、幸せになってほしいと願ってやまないほどに」
リュイはアイリスの言葉を噛み締め、
さっきまで悩んでいたことが潮風に吹かれてあっという間に消え去ってしまった。答えをわかっていて縋ったのは、彼女も理解しているだろう。パナシアの話では『聖女革命譚』が登場人物の解釈を徹底的に刷り込む物語の作りだと聞いた。
それでも真剣な表情で応えてくれた彼女に想いが深まるのは、仕方ない事だ。そう、これは仕方ない決意なのだ。
リュイはアイリスを抱きしめ、小さく『少しだけ許してください』と呟く。背後から立ち上る殺気を無視して、心の中で囁いた。
私が愛するのは、あなただけだ。だから、諦めない。幸せに、長生きしてアイリスのそばにいます。
そのために、私は生き残ってみせる――
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