9-5 告解

「――リュイ?」

「アイリス、戻りまし……」

「リュイ!!」


 光の中から空間転移で現れたリュイは、パナシアを伴っていた。双方が怪我を負い、疲れ切った様子で床に崩れ落ちる。

 パナシアを支えたカイ、リュイを抱き止めたアイリスは視線を交わし、謁見の間から出た。――空の玉座を横目に見ながら。




「すまない、重いでしょう」

「お気になさらず。大きな怪我はございますか?」

「ありません。パナシアもです」


 戦場から城へ戻った二人をソファーに座らせて、アイリスはグラスに水を注いで手渡す。ぐったりした様子のパナシアは首を振って断り、リュイは一気に飲み干した。


「――何か、あったのですか」




 胸の前で手を組み、震わせたアイリスが問いかける。何度となく城と戦場を行き来していた彼がパナシアを連れて戻るのは初めての事だ。

 もしや、アステルや仲間達の危機か――アイリスはそう問いかけている。リュイは疲れを滲ませながら首を振った。



「……今回戻ったのは、パナシアの秘策を相談するため。戦況は相変わらずですが、怪我をした者もほとんどおらず隊長も健在ですよ」

「そ、そうでしたか……」

 

「秘策って、何?」


「カイ、ゾーイも呼んでくれますか?このままでは戦で消耗するばかりで、どうにもならない。その打開策を彼女が思いついたと言うので連れてきたんです」

「ふぅん……隊長や、元帥には話したの?」


「いや、」

「私が秘密で、とお願いいたしましたの。これは、聖女の資格を得た者同士が話すべき物です」




 リュイの会話を遮ったパナシアは、髪を解いてため息を落とす。少し前まで部屋に引きこもりだったはずの彼女は、今や戦場に立ち『聖女はかくありき』の姿そのものだ。


 静かに頷いたアイリスが立ち上がり、ドアに手をかける。だが、そのまま床にうずくまってしまった。



「アイリス!どうしました?具合が悪いのですか?」

「いえ、すみません……」

 

「アイリスも座っていなよ。僕がゾーイを呼んでくるから」

「ごめんなさい」


 カイに支えられてソファーに座り、アイリスは両手で顔を覆った。リュイは眉を顰め、前回見た時よりも細くなってしまった震える肩にそっと手を置いた。




「アイリス、私の報告では安心できませんでしたか?」

「違います、私が勝手に不安になっていたのです」

 

「それでどんどん痩せて……何日寝ていないのです?」

「私のことより、リュイの方が疲れているでしょう。戦場を駆けた夜にこうして何度もいらしてくださったのですから」


「私はあなたのためにそうしていたのですよ。アステル隊長のためでもない、この国のためでも、私の故郷のためでもない、アイリスのために」

「…………ごめんなさい、リュイ」




 俯いたアイリスを抱きしめ、リュイは唇を噛む。自分がどんなに疲労していようと彼女の顔を見れば、元気をもらえていたのに、彼女はそうではない。

悔しいけれど、人魚姫の心を鼓舞するのはアステルの無事だけだろう。涙も流せなくなった彼女は、いっそ戦場に連れて行ってしまった方がいいのではないかと思えるほどの憔悴具合だ。


 後で渡すつもりだったものを胸元から取り出し、彼女の手に握らせる。ふわりと薫る香りは送り主のものだ。わざわざ戦場に持ち出して使うなんて、意外にロマンチストらしい。

その香りに気づいた彼女はパッと顔を上げ、期待に満ちた表情でリュイを見つめた。

 彼女の輝く瞳の中に映る自分はボロボロだ。だが、この希望を手渡せるのだと思うだけで心臓が跳ねる。




「これは?アステル様の匂いがします」

「隊長からの手紙ですよ」

「は……て、がみ?わ、私に下さったのですか?!」


「えぇ。あなたの誕生日にそばにいると言ったのに叶わなかった。そのお詫びが書いてあるそうです」

「はわ……」

「ゾーイが来るまでにご覧になったらいいかがですか?」


「…………」


 

 粗末な紙に包まれ、戦場の伝令に使われる封蝋で封をされただけのそれを胸に当てて……アイリスは微笑む。心底嬉しそうにするその仕草が、悲しいほどにリュイの胸を突き刺した。


「一人で、読みたいです。私、アステル様からお手紙をいただいたのは初めてですから」

「……そうですか」




 手紙を抱いたまま、徐々に頬に赤が戻る。幸せに満ちた笑顔を眺めながら、リュイは静かに敗北を悟った。



 ━━━━━━


「――じゃあ、コッソリ赤の泉に神聖力を補充するってこと?」

「はい。私の神聖力だけでは足りませんからアイリスとともに白の国に行きたいのです。

 泉が枯れる原因は、聖女様の遺骸が穢されて……そのお力が消費されてしまったからでしょう?ならば補充すれば良いのです」


「確かに神聖力を補充すれば時間稼ぎにはなるだろうね。でも、それで白の国が納得するのかな?リュイ」

「しないとは思います。恐らく遺骸は限界を迎えている……しかし、その仕組み自体が分からない以上、それしか方法がないとも言えます」


「泉が復活すれば、どちらにしても戦を収めてくれるのではありませんか?私はそれを期待しているのですけれど」

「確証はないと思うよォ。ちなみに、パナシアはいつそれを思いついたの?なんで今、それをしようとしているの?

 秘策って程の練度じゃないよねぇ」




 ゾーイは剣呑な目つきでパナシアを見ている。たしかに、誰にでも思いつきそうな策ではあった。だが、戦乱のさ中にこれをするのはいささか疑問が残る。

特に、今まで策謀など巡らせたことの無いパナシアからの発案だったから。


「悪いけど、ワシは反対だよ」

「ゾーイ、一度でも試してみるのはいけませんか?パナシア様は現場を見ていらしたからこそ、持ちになったのです」

 

「アイリスの気持ちは分かる。アステルが戻れる可能性があるものは全部試していたもんね。彼らが居なくなってからずっと、ずっとそうして来たんだから。

 でも、危険すぎるよ」 

「リュイ、カイも同伴してくださいますし私も戦えますわ。パナシア様と一緒なら、」


「だから反対してるんだ」



 キッパリ言いきったゾーイは、アイリスの眼差しを受け止めて真剣に訴えかけた。




「ワシはこの段になって動き出したパナシアを信頼できない。今まで腐っていたのに突然覚醒してさぁ、おかしいよ。

 毎日の祈りさえまともにせず、聖女として認められたのに、その力不足を嘆きながらも何一つ努力してない奴だ」


「……ぞ、ゾーイ」

「これは事実だよ。ワシをここに連れてきたのも、救い出したのもアイリスだった。

 聖女の事情に通じている人間を置くことが〝最重要課題〟だと理解していたのはアイリスだけ。本人さえそれに気づこうとはしなかった」


「確かにね、僕もちょっと疑問だな。白の国と通じているんじゃないの?2人とも」

「カイに賛成だよ、ワシもそう思う」


「私は白の国の狗ではありません」

「リュイがそう願っていたとして、その『首輪』の正体はわかってるんだけど?白の国には逆らえないんじゃないの?」

 

「あぁ、カイは最初から知っていたのですか?」

「まぁね、その手の類は生業でよく見かけていたから」


「え……?首?リュイの首に……あっ!わ、私も知っています!!」

「アイリス?」

 

「――ゆ、夢で見ていました。ゾーイには申し訳ないのですが、すっかり忘れていましたわ……」




 ふぅん、と呟いたゾーイはリュイの首にある細いリングを眺める。それは白銀で作られた白の国でよく使われるものだ。王族に使われているのは、見たことは無いが。


「呪いの首輪でしょ?ソレ。ワシだって知ってるよ、白の国でしか使われていないけど」

「そうですね、私に下された司令は【聖女を連れて帰る】と言うものです」


「連れ帰らなければ死ぬの?」

「はい」

「じゃあ余計怪しいじゃん」



 ゾーイとカイの言葉に微笑んだリュイは、短剣を取りだして鞘を抜く。おもむろに切っ先を自分に向けた瞬間、アイリスがその刃を掴んだ。



 

「アイリスなら、そうすると思っていました」

「何をしているのですか!!あんな勢いで首に突き立てたら」

「死ぬでしょうね。……ここで潔白を証明して死ねるなら本望ですよ」


「リュイ、それだけはいけません」


 自分の命を粗末に扱おうとしたリュイを見つめ、アイリスは怒りをたたえている。今だけは彼女の心が自分に向いていると感じて、彼は幸せそうに笑った。





「あなたは、アイリスは……知らないんです。私が救われたきっかけを。

 あなたがこともなげにして来た毎日の小さな所作振る舞いは、長年の苦しみを癒した」

「何の話ですか!」


「アイリスに惚れているという話です。私はあなたを裏切るくらいならこの命をもって証明します。

 決して手に入らない愛おしい人のために白の国を滅ぼしてみせる。リュイ・フィガロロスティン・メセオは唯一の王弟として呪われた仕組みを知り、絶望の中で生きてきた」


「絶望、ですか?」

「白の国の世継ぎは、10歳を超えられない。謎の奇病で死ぬ運命なんですよ。

 原初の龍ビギニングスの呪いとも言われています。初代聖女様の遺骸を土に還さず、生贄として使用しているのですから」

 

「……それは、あの」


 アイリスは焦って口が回らなくなっている。そんな設定は、彼女の知る『聖女革命譚』にはなかった。追加ストーリーで明かされる秘密なのだから。

 さらにリュイは続けて口にする。彼女の知らない、白の国の因習を。


  


 

「私がなぜ生きているか、ですが。少し話を遡りましょう。あなたは青の国の20番目の王女だった。そして、人魚は陸に上がれば長く生きることは出来ない。

 それなのに、あなたは最初から海に戻る気がなかった。アイリスは泡になろうとしてここに来たんでしょう?」


「……どうしてそれを?」

「白の国には、初代聖女様の子孫が存在します。最後の原初の龍ビギニングスと初代聖女様の末裔は、白の国で生きていた。

 本来の王家筋はそちらです」


「え!?リュイがお二人の末裔なのですか?」


「いいえ。聖女様の遺骸の扱いで争い、時の宰相にであった私の先祖に本家筋は迫害されました。

今も生きている筈の末裔は行方不明ですが、元の王家筋であった……初代聖女様の人となりや生態、全ての記録が白の国に存在しています」


「「なっ……」」




 カイ、アイリスが同時に声を上げて沈黙する。ゾーイはため息をつき『やっぱりね』とつぶやいた。


「初代聖女様は青の国の生まれだ。あなたはその伝説の再来です。

 ここから先は推測になりますが、おそらく隊長……アステル・エオニオンは原初の龍ビギニングスと初代聖女様の子孫だと思います」


 


 刃を握ったアイリスの手を解き、血に濡れた指先に唇で触れたリュイ。くれないを口にして彼は微笑む。


「私は運命の強さを思い知りました。あなたとアステルは、出会うさだめだったのです。

遥かな時を超えて再び結ばれようとする、尊きお二人には手出しができないと分かっていた……でも惚れてしまった。たった一人を、生まれてからずっと想い続けていたあなたに」


「り、リュイ……あの」


「荒唐無稽な話だと思うでしょう。ですが、原初の龍ビギニングスの瞳は黒と紫の混じった大変珍しい色でした。アイリスは会ったことがあるから、ご存知でしょう?この色は、彼の血筋しか持っていません

 そして、何より顔が似てるんですよ。アステル殿の顔立ちは、初代聖女様、そのものだ」

 

「…………そんな、まさか……」

「まだ驚くのは早いですよ。私が伝えたいのは、パナシアの策とは別の話です。白の国には伝説がある――王族はすでに初代聖女の血を口にしています」


「……はっ、や、やめて!リュイ!!」

「だめだよ!人魚本人の意思なく血を口にしたら!!」


「問題ありません。私は、すでにそれを乗り越えました。小さな頃、10年かけて体の中で燃え盛る人魚の血を体に染み込ませている。

 白の国の跡取りが私だけなのは、そのせいです。他の兄妹はその試練を乗り超えられなかった」




 アイリスの血を舌で舐めとったリュイは、恍惚とした笑みを浮かべる。白い肌に白い髪の白の国の王弟。

 そう……人魚の意思なく与えられた血肉は人間を死に誘う。それを御するには膨大な時間の苦しみと、幾人もの聖女が必要となる。


 過去白の国に集められたであろう、記録に残されなかった聖女達。それは元の王族から立場を簒奪した偽王の作った因習のために使われ、その情報を漏らさないように殺された。

 呪われた行いの上に成り立つ彼らは、老いを抱えたまま長く生きる人となったのだ。




「私はこの呪いの連鎖を終わらせたい。誰かの命を犠牲にして成り立つ、名ばかりの聖都をずっと滅ぼしたいと思っていたんだ。

 私の奇跡が伝説ではないよ。……アイリスが原初の龍ビギニングスと初代聖女様を引き合わせれば、おそらく彼女は蘇る。それが伝説となる」


「ははぁ、初代聖女様の復活をさせようってわけかぁ」


「そうです、ゾーイならばこの答えの理由が分かりますね。……その後のことがどうなるかはわかりませんが、初代聖女様のお導きは決して、我々を見捨てるようなことはないはず。

 そう、思いませんか?これが私の秘策です」




 ━━━━━━

 


『アイリスは元気にして……いないと聞いた。リュイを散々使っているのに、どうして気を揉む?

 オレが信用できないか?元帥も心配していた』


「ふふ、ごめんなさい。信用していないのではなくて、本当にただ……あなたが恋しくて、切なくて、失うのではないかと勝手に思い詰めてしまったのです」


『早く帰りたかったが、君の誕生日には間に合いそうにない。

 本当にごめん。奥さんのお祝いができないなんて、夫の風上にも置けないな。二度目はないから、許してくれ』


「最初から怒ったりなんて、しませんわ。……アステル様にお祝いされるのは、またの機会に取っておきますね」



 

『南の空にシリウスが浮かぶ時、君を想う。アイリスはオレの星だ。アステルの名を、捧げるよ。オレも君の道標になりたいから』


「……ひっく、アステル様は、ずっと私の道標です」


『誕生日に言おうと思っていたんだけどな……悔しいけど、手紙で伝える。

 オレは君と本当の夫婦になりたい。

 パナシアではなく、アイリスと結ばれたい。今度こそ信じてくれるか?』


「……、っ……」


『帰ったら、もう一度プロポーズするよ。オレは君が想う以上に君を……ここさから先は直接言う。

 返事を考えておいてくれ。『はい』か『はい』の二択しかないからな。二十一回目の誕生日おめでとう。最愛の星、オレのアイリス――』





 アイリスは涙に濡れて、彼の手紙を抱きしめる。声を出せずに泣く様は、痛々しくもあり幸せそうでもあった。


 いつものように影からそれを見守っていたカイは、その目を見開く。


「あれは……真珠じゃない。ダイヤモンド……」


 アイリスの涙は、アステルがくれた婚約指輪の石とそっくりの輝きを放っている。

透明で、硬質で、他の石には出せない輝きの宿ったそれは、人魚の恋が本物になってしまった証だった。

 


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