踏み出す一歩
8-1 唯一の望み
「アイリス!ここにいたのか」
「はっ!?あ……は、はい」
「探したぞ、もうすぐ昼になる。俺が弁当を持ってきたから執務室で食べないか?それとも、外にするか?」
「えっ!?お弁当ですか?」
「ああ、知っているだろう?オレが料理が得意だと」
「知っておりますが、もう何年もお作りになられていないのではありませんか?」
「うん、でも君のために作った。久しぶりだが上手くできたと思う」
「…………ふぁ」
満面の笑みを浮かべ、アステルが胸に手を当ててて礼をする。そして、ゆっくりと手のひらをアイリスに差し出した。
「オレのお嫁さん。ランチをご一緒しませんか」
「……ッスーーーーーーーーーーーーー」
アイリスは膝を抱えて地面にしゃがみこみ、体を丸めて震えている。背中にぽん、と手を添えたアステルは彼女の顔を覗き込む。
「嫌か?そうだよな、上司と四六時中顔を合わせているんだから。オレなんて、休むべき昼時に必要ないよな」
「嫌ではありません!!!!!!!必要がないなんて仰るのはおやめくださいまし!」
「じゃあ、行こう。二人きりが嫌なら誰かを呼んでもいい」
「…………ハイ」
「今後のことについても話したいから、同僚とゾーイを呼ぼうか」
「はい……」
アイリスはアステルと手を携え、立ち上がる。彼は彼女の腰に手を回し、周囲の人々に対してあからさまにアピールし始めた。
ギョッとした下級女官たちは伺うようにアイリスを見て、彼女が頬を染めているのを見て納得した。『なんだ、そう言うことか』と離れて行く。
行事が終わったからさっさと帰国すべき貴賓の居残りは『噂は本当だった』と肩を落とし、これまたトボトボと立ち去った。
「アステル様『陛下のお召しを断る』ためにご協力いただくだけですから、このように密着なさらなくても」
「毎日共に過ごしていたとは言え、こんなふうにしなければオレたちの仲を疑う者がいるだろう。今日が勝負どころだ、できる限りアピールをしなければならない」
「で、でもあの、腰は……」
「ん?嫌か?それとも、敏感なのか」
「ひゃん!!」
「――っ」
アイリスの腰を撫でたアステルは思いのほか可愛らしい悲鳴に驚き、耳が赤くなる。二人は唇を閉じて目を逸らし、執務室へと向かった。
━━━━━━
「フーン、じゃあとりあえず城の人たちは〝アイリスに告白を受け入れられた〟って感じにするんだね?」
「あぁ、オレが告白してアイリスが受け入れた。そういう体だ。
結婚の許可を得るために今晩、オレが王の元へ行く。アイリスはオレの屋敷にしばらく匿う」
ふむふむ、と頷いたゾーイはスプーンをひらひらと空中に掲げ、瞼を閉じた。彼は集中して考える時にこうする癖がある。
まるで、魔法使いのような様はとてもよく似合っている。実際、この案をアステルに伝えたのは彼だった。
アイリスのために、そうしたのだ。
「じゃあ、そういうことで。わかったかな近衛さんたち?アステルとアイリスの仲を邪魔するような真似はやめてねぇ」
「「「「…………」」」」
「そんな怖い顔したってだめだよぉ。聖女様の兄、王族の一員、そしてアギアの長であるアステルに敵う盾はない。この城内では……そうでしょぉ?」
壁際に立ち並んだアリスト、テオーリア、カイとリュイは眉を顰めてアステルを睨んでいる。
背中を丸めて小さくなったアイリスは味のしなくなってしまったアステルお手製の弁当を口に運び、ため息を落とした。
彼女の肩を抱いたアギアの長は、何故か得意げに笑んでいる。昨晩からずっと上機嫌の彼に、リュイが舌打ちを落とした。
「昨晩止めておくべきでした」
「止めても意味がねぇだろ、リュイ。まぁ……最善策だと思うぜ。他国の奴らも続々と帰国し始めた」
「だからと言って衆目のない場所でそのような接触は必要ないだろう」
「それはそうだけど。慣れない動作をするなら普段からそうすべきかもしれないね」
「カイ!?お前、いいのか……」
テオーリアに怪訝な目線をもらったカイは大きな大きなため息を落とし、真っ赤になったアイリスを見つめる。
長年そばにいたカイは、アイリスを好きなままだ。だが、今はそれを主張すべき時ではないとわかっている。
「いいとは思わないよ。だから、僕たちも隊長のお家にお邪魔すればいい。間違いがあっちゃ困るでしょ」
「なるほど」
「なるほど、じゃありませんわ!リュイ……あなたはカイに同意されると思いませんでした」
「する。悪いが、わたしはあなたを想っている。そうお伝えしましたよね?」
「「なっ!?」」
「まさか……アイリスに告白したの?」
「はい、あなた方全員が同じ心持ちだということも含めてお伝えしています。後々名乗り出られても面倒ですし」
「「「…………」」」
ますます赤くなるアイリスを抱き寄せて、アステルは彼女と頰を合わせる。その不満げな顔は、とても演技とは思えなかった。
「オレの嫁を口説くな。許さないぞ」
「あ、アステル様……ちか……近いです」
「君もオレに慣れてくれないか?今日から同じ部屋で眠るんだから。朝起きたら一緒に薬草園の手入れをしよう、それから3食オレの作った食事を共にして、夜は一緒に帰ろう」
「な、なっ……お、お食事は食堂がありますし、一緒に寝るなんて、」
「一緒に寝ないなら夫婦とは言えないだろう?それから、機嫌を損ねた王が何をしでかすかわからない。先代の妃はアイツのしつこい求婚や嫌がらせに負けて結婚したんだ。夜這いを仕掛ける可能性もある」
「ええぇ……」
「黒の国の人って陰湿だよね。ムッツリだしぃ」
「ゾーイの言う通りですね。わたしは他の国の人間でよかったですよ」
「お前もムッツリだろ」
「アリははっきりタイプなだけで別に誇れる立場じゃないでしょ」
「さもありなん。私だけが潔白だ」
「まぁ、テオはそうだねぇ」
「そうだとも」
ムッツリ、さもありなん……それはアイリスが使う謎の言葉だ。すっかり彼女の周囲にはこんな風に新しいものが浸透している。
アステルの腕の中で赤くなったままの彼女は、様々な人に様々な影響を及ぼしていた。そして、全員がいい方向に導かれている。
艶やかな白髪を撫でて、アステルはじっと彼女のつむじを見つめる。
三つもあるつむじは彼女の強情さを表している。一度『求婚』をバッサリ断られたことを思い出して彼は吹き出してしまう。
「ふっ、くく……」
「アステル様……?」
「いや、すまない。昨日フラれたことを思い出したんだ」
「あれは、その、アステル様がまさかこのような『作戦』を思いついたとは知らずでしたから」
「そうだな、作戦だ。今はそういうことにしておく」
「え?」
「さて……じゃあこれからやることを確認しよう」
全員が卓の周りに集まり、顔を見合わせる。それぞれが複雑そうな顔をしていたが、アステルだけは満面の笑みだ。
「現時点で聖女の仕事は発生していないが、ここにいる者たちは全員アイリス正式な近衛になる。聖女代行を守る役割だ……色んなものから」
「主に王からねぇ。表立って刺客を送ってきてたバリエティは結局アリの配下になったんでしょぉ?」
「あぁ、そうだ。バリエティは意外に人数がいて、全員裏組織に汲み入れた。思っていたよりも単純なヤツばかりだ」
「アリ、黒幕については?」
「そう簡単には割れないな。頭領の話では『聖女を拝せ』と命令して金をくれた黒幕とは、一度も顔を合わせたことがないらしい」
「では、面は割れないと言うことか?」
「テオの国にいる遺跡探検団体からも、そう言った打診があったらしいな」
「あぁ、だが我が国の者たちはそれを信用しなかった。探索者の目的は金ではない」
「偏屈な人達みたいだしね?僕たちの青の国にはそう言った組織は存在しない。民も王族も自立してて群れることはないから。元々平和だし」
「そうね、そもそも海の底には人は辿り着けませんもの」
「……わたしの国は、正直わからない。と言うより、」
「ワシはリュイの国が黒幕なんじゃないかと思ってるよぉ〜」
ゾーイの発言に目を剥いたのはアイリスだけだ。彼女は驚きを隠せず、思わず全員の表情を確認するが誰も彼もが平静なまま。つまり、同意見だと言うことだ。
「そんな……リ、リュイもそうお考えですの?」
「えぇ、やりかねません。父はもともと聖女の存在を『道具』として考えています。……もうこの際ですから打ち明けますが、パナシア様を連れ帰る目的は『赤の泉復活』が目的です」
「えっ?」
「
「まさか……」
リュイはアイリスを見つめ、頷く。
その瞳に悲哀を湛えながら。
「現代の聖女を赤の泉に捧げる目的です。聖女は、生まれた時から稀有なお力を宿される。
それは、
「呪いって……」
「人智を超えた能力は単純にエネルギーとしても大変優秀ですよ。神聖力の枯渇が赤の泉の衰退を促している、と私は推測しています」
アイリスは衝動に耐え、目を瞑る。彼女はこの段になってようやく気づいた。
(私が、アステル様推しだった弊害がここで出てきてしまった。アステル様がなくなった後を見る気にならなくて、その先のメインストーリーを進めなかった。
つまり……ストーリーの結末を見ていないから、白の国についての記憶がなかったんだわ)
「アイリス、そんな顔をしないでください。あなたは現時点で白の国に連れて行けません。わたしはあなたのことが好きなんですから」
「ちょっと、ことあるごとに告白するのやめてくれる?不愉快だ」
「カイもそろそろ本気を出したほうがいいぜ?こう言うおとなしい坊ちゃんが本気を出すと怖ぇんだ」
「アリも、私も本気をだすと言うことを宣言しておこう。赤の国ならば避難先としても問題ないのだから」
「…………ふん。そんなことよりこの先がどうなるか、アイリスは夢に見てないのかい?」
「は、い。いえ、一部は判明しています」
肩を落とした彼女は顔面を蒼白にしている。アステルは彼女が俯いて隠した顔を見ようと耳に髪をかけた。
青ざめたアイリスは自分の手を握りしめて、肩を震わせている。
「それは、オレが死ぬことが関与しているのか?」
「……」
「えっ、アステル……死ぬの?」
「そうらしい。だからこの先についてはどこまで戦えるかわからないんだ。
アイリスが変えたこの世の運命は、確実に予知を超えてきたからな。本人にも、もう見えないかもしれない」
「隊長はどこで、どのようにして亡くなるのですか」
「おそらくは白の国だ。そうだろ、アイリス」
びくり、と肩を震わせたアイリスの様子を見たメンバーたちは納得した。彼女が今まで必死にやってきた全ては愛する人のためのことだったのだから。一番触れられたくない物に触れられて、怯えている。
なんて、一途なのだろう。小さな頃からずっとそうしてきたのだと知っている者たちは、柔らかな眼差しを清らかな心を持つ人魚姫に向けてわずかに微笑む。
「どのようなきっかけか、結局アイリスに聞くことになるが……この様子ではすぐには難しいだろう。
そこで、今のうちに『オレが死ぬ』と言うことを前提にして、頼みたいことがある」
「――お断りだよ、アステル隊長。僕はアイリスを国に連れて帰るからね」
「それは困るぞ、カイ。私は赤の国の災害対策を今後も密に相談したいのだから」
「テオが言ってるのは口説く目的だろ?オレも困るぜ、同じ目的だ。緑の国の遺跡を巡る約束してるしな」
「いつの間にそんな……抜け駆けですよ、アリ」
「こういうのは早い者勝ちだろ、リュイ。てか、黒幕がお前の国なら戦争だか誘拐だかを起こすって段で、知らされるんじゃねぇか?」
「えぇ、そうなります。二重スパイをさせてもらいますから。ちなみにわたしもパナシア様には興味ありません」
「……参ったな」
キッパリと言い切る近衛たちに眉を下げたアステル。彼はパナシアの行方を彼らの誰かに任せたかった。
徐にゾーイが手を挙げて、アステルは頷く。
「あのさぁ、アイリスを
「ふむ、何を意図して?」
「〝白の国の問題をどう解決するか〟がまず問題でしょ?何もかもがこの世界の崩落で無駄になるじゃん。だから聖女としてアイリスを立て直して、戦争でも起こそうよ。
そもそも赤の泉にある
「歴代聖女にたびたび訪れてもらって、神聖力を注いでいたらしいが……白の国に聖女がもたらされるはずの、二百年後まで保つはずだった」
「ああ、各国に訪問する仕事が聖女にはあるよね。それがどうして?」
「おそらくは……聖女
「あぁーそりゃダメだよ。赤の泉におわす始まりの聖女はとても清い。魂はなくとも意志は残ってるって言われてるし、それが穢されれば赤の泉は星隔帯を維持できるとは思えないなぁ」
「『現国王を殺してしまえばいい』とわたしは思っています。幸い、王配はここにいますから」
「ほんじゃ、リュイが王座を簒奪して各国が同盟関係になればいいんじゃない?」
「ふむ……じゃあ戦争か?」
「アリ、あなたの組織を使ってもいいのでは?」
「構わんが、別に頭数を揃える必要はねぇだろ?少数精鋭で白の国をリュイが引き継げるようにすりゃいいんだから」
「確かに、暗殺で事足りますね」
「白の国で死ぬと言うことは、そのメンバーにオレがいるんだろうな」
「そういう感じなのぉ?」
「あぁ、アイリスの絵には白の国の聖堂が描かれていた。オレは槍で串刺しに……」
「やめてください!!!!!」
アイリスは机を叩き、絶叫する。涙を落としてそれが真珠となり、コロコロと転がっていく。
「わ、私はアステル様を死なせないためにこうして生きて参りました。なぜ死ぬ前提でお話しされるのですか!?
アステル様!!あなたはパナシア様との幸せな生活を望んでおられました!!なぜ!他人に大切な妹君を託そうとされるのですか!!!!!!!」
「アイリス……」
「わたし……は、アステル様が死なない未来しか欲しくありません!他の未来なんて……」
「アイリス、そんなに握りしめたら手のひらが傷ついてしまう」
「私のことなど、どうでもいいのです!!」
顔面を蒼白に染めた彼女はアステルの手を振り払い、次々とこぼれ落ちた真珠が散らばる。
昼の日ざしに落ちた白い宝玉は美しい光を宿し、部屋中に転がった。
「何もかもをそんな風に受け止められるのは、あなたの心がお強いからです。ですが、私はそうさせません。
あなたが『私を犠牲にさせない』と仰るのならば、あなた自身が生を望んでください!
私を少しでも想ってくださるのなら、アステル様を失うことこそが絶望だとお分かりになりませんか!?」
「…………」
「生きて、ください……パナシア様が解放されるのなら、私が聖女になっても構いません。
だから、どうか……」
「アイリス、ごめん」
顔を覆ってうずくまってしまったアイリスを抱きしめ、アステルは額をすり寄せる。彼のまなじりにもまた、小さな雫が見えた。
嗚咽するばかりの彼女を抱きしめ、震えて丸まってしまったアイリスを抱き上げる。
「予定を繰り上げようぜ、大将。これじゃあんまりだ」
「そうだな……アリ」
「あなたはアイリスを解放するためにきちんとお話ししてください。そうでなければ、王座を手に入れた後……黒の国に攻め入りますよ」
「それは困る、リュイは過激だな」
「私もそれに同盟しよう。先に屋敷へ行ってアイリスを落ち着かせるべきだ」
「……テオ、同盟はやめてくれ。そうさせてもらう」
「僕も行くからね、隊長。ゾーイ、君も」
「いや、ワシは残る。この先の話を進めなきゃだからねぇ。あと、パナシア嬢ともいい加減決着をつけなきゃ」
「後をたのむぞ、ゾーイ。行こう、カイ」
執務室を出て、アステルは自宅への道を急ぐ。腕の中で泣き続ける人を見つめ、胸の痛みと共に今まで知らなかった何かが生まれたのを感じている。
「ひっく、ひっく……アステル様、」
「うん」
「死なないで……生きる事を、あきらめないで、ください」
「わかった。君がそう言うなら」
「…………本当ですか?」
「あぁ、アイリスが生きろと言うならそうしよう。君はオレのお嫁さんだから」
「偽物の、ですわ。あなたはパナシア様と幸せに暮らして、たくさんのお子さんに囲まれて、しわしわのお顔になって、寿命をまっとうされて」
「うん」
「幸せに、……しあわせにくらすのです。私に、それを見せてくださ……」
「……」
連日の寝不足で疲れ切っていたアイリスは瞼を閉じて、寝息を立てだす。
アステルは未来に思いを馳せ、彼女の鼻先に唇で触れた。
そこに宿った熱に痺れるような充足感を得て、彼は彼女の頬に一雫の涙で答えた。
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