7-6 求婚
「それでは、刺客は例の団体の一味だったのか。なぜ聖女を付け狙った?」
「はっ。バリエティと言う団体です、陛下。多様化と称して聖女の存在を否定し、国を害していた者たちです。今、その理由を尋問しております」
「ふん、そうか。……アステル、今儂の娘はどうしている?」
「……どう、とは」
「お前の妹でもあるのだから、様子を聞いている。夜会に来ないとは思わなかった。そんなに具合が悪いのか?」
「…………」
黒の国、漆黒に包まれた謁見の間。玉座に座った王は久方ぶりにその顔を見せている。アステルが跪いた広間の脇に並んだ老人たちは皆、しかめ面だ。
今やこの国を動かしているのは玉座にいる王ではなく、眉根を寄せた元老院。本来の舵取りである宰相が不在のまま、この国が立ち直ろうとしているのは、元老院にもアイリスが加わったからだ。
彼女はここでも正式なメンバーではなく、元老院の老人たちと仲良くして普段の会話から徐々に距離を詰め、そしてアギアの仕事や聖女代理の仕事をして得た情報を齎している。
彼女は元老院の仕事に軍隊の長たちも巻き込んでおり、もちろんアステルも例外ではなかった。共に仕事をしてきた彼は、お陰で元老院の気持ちを痛いほど理解している。
政治がようやく円滑に動き出した今、王が玉座に戻るのはあまりにも都合が悪い。『酒でも飲ませて黙らせたい』と言わんばかりに邪魔者を睨みつけ、彼らはアステルの沈黙に言葉を被せた。
「王よ、今更聖女様を思い出したのですか」
「それを聞いて如何なさるおつもりか」
「い、いや。その……そろそろ儂も玉座を温めるべきではないかと思っていたのだ。
聖女と手を取り合い、仕事をしなければならんだろう」
「今の実質的な聖女は、パナシア様ではありません。どなたと手を取り合うおつもりで?」
「…………それは、うむ」
元老院の代表は、元星隔帯の研究者。貴族の生まれながらに一時研究員になり、決められた期間を勤め上げている。その後、国の根幹を正そうと元老院に加入して暗君の下で燻っていた。
彼は、ゾーイの存在を知っている。星隔帯研究者頂点はゾーイであり、他は追随を許さぬと言うことも知っていた。
そしてその頂点と仲がいいアイリスが辣腕を振るい、王の言いなりになると言う元老院が持つ固執を覆した。
生き生きと動き、働く老人達は自分の手で国が再興していく様を知ってしまった。もはや、黒の国を動かす機関はアイリスの手に落ちていると言っても過言ではない。
「聖女代理のあれは、なんという名だったか」
「……アイリス様のことでしょうか」
「そうだ!待て、元老院のお前たちが一介の兵卒に『様』をなぜつける?フォース・オブ・アギアに属しているのではないのか」
「我々の仕事もお手伝いくださっているのです。軍隊内部も、聖女様の責務も、国の全ての鍵を握っているのは……今や彼の方ですぞ」
「なんだ、儂より上のような言い方をするのだな」
(……実際、そうだろうな。昨晩の騒ぎでも会場に戻したアイリスを守り固めたのは元老院、軍隊の上層部、下級女官まで駆けつけていた。あまりにも大人数でオレも驚いた)
思わず上がる口端を抑え、アステルは唇を開く。
「パナシア様は原因不明の体調不良ですが、食事も睡眠も取れています。一度、お会いになられたらいかがですか」
「うむ、時間が取れればそうしよう」
「それから、アイリスは私の配下です。今は聖女代理をしていますが、本来の所属はアギアの隊長である私の補佐、副隊長です」
「お前を通せば会えるということか?あれは、結婚願望はあるだろうか」
「…………は?」
話の行き先が見えず、顔を上げた彼は驚愕の表情を表す。黒の国の王は玉座の上で膝にのの字を書き、頰を赤く染めている。
「あれが儂の妻になれば、国をうまく回せるだろうかと聞いている。皆は、どう思う?」
━━━━━━
「チッ……あの『色ボケクソジジイ』はなんなのさぁ!」
「ゾーイ、口が悪いぞ。『排泄物のような老人』くらいにしておけ」
「アステル……あんたもまぁまぁキレてるじゃん」
「…………」
軍隊内部に戻り、自分の執務室に戻ったアステルはゾーイを呼び寄せて先ほどの顛末を相談している。
――黒の国の王が、アイリスに
齢70を超えた王がまさか、という思いがあったものの、あれは本気の可能性がある。アイリスを王に会わせないように画策するため、元老院は緊急会議を開くと言っていた。
「でもさ、マズいよそれ。仮にも最高権力者だよ?夜這いでもされたらチェックメイトでしょぉ」
「王の方がな」
「うん、それ以外何があるの?アイリスが受け入れることなんかあり得ないし、彼女に惚れてるアギアは全員国外の王子だよ?これ幸いと連れ帰るだろうねえ?
「…………」
「それから、他国から来た賓客達がさらにマズい。カイの神聖力で記憶をあやふやにしたら余計ヒートアップしてるんだからぁ」
「どう言うことだ?」
「アイリスは綺麗すぎるんだよ。アギアの隊服でも目立っちゃう。ドレスでもアギアの服でも誤魔化せないんだ。他国から来た人たちはそれがよくわかってる」
「何なんだそれは?昨日のまま状況が変わらないと言うことか?」
「そうだよ。現状は見ればわかる。アイリスは今演習場にいるよ。ワシも見に行きたいからそこで話そ。
どっちにしてもそろそろ尋問の結果が出る。アイリスを会議に引き込みたいなら迎えに行った方がいいよぉ」
「……あぁ、そうするか」
アステルとゾーイは共に演習場へ向かう。途中でさまざまな人物が自分たちを走って追い越し、全員が演習場に向かっているようだ。
ゾーイは眉を顰め、事態は甘くないと判断して『先に行け』とアステルに促す。彼は軍隊の上官しか知らない近道を通り、裏口から演習場に出た。
砂地で作られた演習場に足を踏み入れた途端、大歓声が轟いた。神聖力で聞こえすぎる音を遮断し、アステルは側にいたテオーリアの肩を叩く。
「あぁ、隊長……迎えか」
「何故そうだとわかる?」
「この有り様ではそうなる。上官のみが使える秘密通路を通らなければ、アイリスが逃げ仰せるとは思えない」
「…………何なんだ、これは」
テオーリアの赤い瞳は演習場の真ん中に立ったアイリスを映す。彼女は目を瞑り、眼前で短剣を掲げていた。
そして、周囲は柵を押しださんばかりに人で埋め尽くされている。軍隊の施設である演習場は……内部の人間しか入れてはならないという規則があるはずだ。恐らく数で押し切られたのだろう。
眉を下げてしょげている将校達に喝を飛ばし、兵を増やして衆人を捌くよう伝えた。
「全く……何をしてるんだ黒の国の軍人は」
「――っ!」
気合いの発声に気づき、演習場を振り返る。黄金色の光の中から現れたリュイの剣を弾き、アイリスが彼の喉仏に肘を突き出す。
隙をつかれたリュイはそのまま喉に一撃を受け、後ろに飛び
「あっ!!す、すみません!!急所をついてしまいました!」
「ゲホッ、ゲホッ、いや、試合なのですから……ゲホッ」
「ああぁ!リュイ、ごめんなさい。本気になってしまいましたわ」
「アイリス……すごいですね……」
蹲るリュイの元へ駆け寄り、アイリスは手を差し伸べる。
空を切った剣は地面に刺さり、震えている。
「本当に、気配の読み方が完璧ですね」
「リュイ!酷いですわ!騙しましたわね!?」
「いや、喉は……けほっ。やられてます」
「ああぁ、申し訳ありません!!」
今度こそ短剣をしまい、アイリスはリュイを介抱し出した。アステルは腰に巻いた鞭に触れて、苦い気持ちになる。
(なるほど……リュイに勝てたのはオレとアイリス二人になったって事か)
「はっ――この気配は!?」
「こら、よそ見しないでくださいアイリス」
「へぁ……」
「今はわたしを介抱してくださるのでは?」
「は、はい。では、救護室に行きましょう」
「いいえ、あなたの手で撫でてください」
「え?あの、撫でても怪我は治りませんわ」
「それでいいんです。あなたに触ってほしい。痛みがおさまるので」
「え、ええと??」
「おい、お前喋れてるだろ。アイリス、そんな奴に騙されるなよ」
「アリ、それより如何わしい発言に対して指摘するべきだ。アイリスに『触って欲しい』と言っていました」
「テオ……そこじゃないでしょ。とりあえず喉がやられたなら、冷やすべきだ。救護室に行くよ!もちろん、僕たちとね」
「……チッ」
「え??リュイ……?」
「何でもない。また、手合わせしてくれますかアイリス」
「は、はい。とてもお勉強になりましたわ。ありがとうございました」
「こちらこそ。ではまた」
微笑んでスタスタ歩き出したリュイを追い、怪訝な顔のままでアギア達が共に演習場を出ていく。怪我は問題なさそうだ。
カイから目線が飛んできて、アステルは頷きで応える。
「あっ!やはりいらしたのですね!アステル様!」
「あぁ、久しぶりに隊服姿なんだな」
「はい!やはり黒は落ち着きますわ」
アギアの隊服を着たアイリスが走って近寄ってくる。アステルは彼女のはねるポニーテールを見て、胸が高鳴った。
満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにしているアイリスは自分が原因でこうなのだと思うと……あたたかな気持ちに満たされていく。
「アステル様、昨晩捕らえた刺客への尋問が終わりました。担当がまとめた物をお伝えいたしますわ」
「うん、事務所に行こう。ゾーイにも聞かせたい」
「はい!」
気を利かせてくれたのだろう、ゾーイは二人を振り返り、先に戻って行く。アステルは歩幅を緩め、彼女に合わせて二人分の足音を聞いていた。
「そう言えば、カイの神聖力は効かなかったのか?あれほど人が集まっているとは驚いた。アイリスを見に来ていたのだろう?」
「……いえ、記憶の操作はされているはずですわ。私は一時聖女様と思われないようにアギアに戻っております。ですが、何故か……その」
「ん?朝から何かあったのか?」
「…………はい」
俯いたアイリスは深いため息を落とし、心底うんざりした様子でポケットから紙束を取り出した。それを受け取ったアステルは中を開き、顔を顰める。
「ラブレターだなこれは。しかも、求婚されている」
「ハイ」
「こんな物を……記憶が操作されているのに、どうしてもらう羽目になった?」
「わかりません。朝から忙しく動いていたのですが、行く先々で渡されてしまいまして。それから、その……」
「…………これ、は」
「差出人のわからないものがございますが、そのう……出所は蜜蝋でお分かりかと」
「…………」
あからさまに上質な封筒が紙の中から現れた。それは、明らかに黒の国王だけが使う蜜蝋で封じられている。
国王は既に独断で動き出している。手紙の内容は取り止めのないモノだが、大問題が一番最後に記されていた。
『二日後の夜に寝室に来い』と。
「困りましたわ。流石に陛下の記憶をいじるわけには参りませんし、そうしてしまったら聖女様の代理を務める際に齟齬が生じます。
末尾の文は、ええと」
「君を手に入れようとしてる。先ほど元老院とオレの前でも同じことを言っていた。本気だったようだな」
二人は口をつぐんだまま廊下を渡り、事務室にたどり着く。そんな重い空気を破ったのはアイリスだった。
「とりあえずそのことは忘れましょう。今は、お仕事が優先ですから」
「…………あぁ」
はっきりしない態度の二人に執務室のドアは不満げに軋みながら開き、二人を迎えてそっと閉まった。
━━━━━━
深夜、闇夜に雷が轟き渡る。足音を立てずにここまでやってきたアステルは、アイリスの居室のドアをノックせずに開けた。
気配に聡い彼女だったが、王が送った手紙に動揺していたのだろう。全くそれに気づかず、大きなキャンバスの前に腰掛けて何かを描いていた。
気配を消したまま壁に背を預け、絵筆が動くのをじっと見つめ……アステルは昼の話を思い出す。
――
『ラブレターじゃないよ!!それもう
『ゾーイ、いけません。陛下は陛下ですわよ』
『ゾーイ、その方が早いかもしれない。〝二日後に寝所に来い〟と言うのはあまりにも乱暴だし、後妻として迎えるなどあり得ない年齢差だろう』
『……でも、どうしたらよいのでしょうか』
珍しく声のトーンを落としたアイリスは、煌びやかな封筒を見つめて落ち込んでいる。
今まで玉座を冷やしていたとしても、王として再び戻ってきたからには権力を無視することはできない。だが、それに対抗する術がない。
それに……そうする事によって齎される恩恵がある、とアイリスは気づいている。
『アステル様は、パナシア様と一緒の自由を望んでおられますわ。
私は政治的な改革でそれを為せるのではと思っていました。ですが、確かに黒の王を傀儡にして仕舞えば……もうそこで頭打ちにできます』
『アイリス!!』
『……そして、名乗り上げでもして仕舞えばよろしいのかもしれません。私が聖女としてのお仕事を〝代われる〟と。
実質的な聖女様のお仕事をなくそうとするならば……その方が近道かもしれませんね』
『君がそれを望むはずがない』
『私が…………私が望むのは、一つだけ。アステル様が生き抜いて、お幸せになられる事ですわ』
――
「――聖女様を亡き者にしようとしていたのは、
でも、そう……おそらく黒幕がいるはず。あのズボラな頭領さんでは、そんな大それたことなんて出来ない」
「アリに誘われて『うちの方が給料がいい。それに、そんな家業してたら死んじまうぞ?危ない橋を渡らない奴が長生きするんだ』と言われて……首がもげそうなほど頷いていらした」
「…………私は、アステル様が好き。それはきっと、恋でもあり、愛でもあり、友愛でもある。でも、彼の方に手を伸ばしてはいけないの。
そう誓って生きてきたでしょう?
彼女の静かな語りは、自分自身に言い聞かせている様な言葉だ。暗闇に紛れたままそれを聞き、アステルは唇を噛む。
彼女はそういった覚悟をしてしまう様な気がしていた。
――今すぐに、聞きたい。アステルが最初からパナシアを想っていたと知っていて……何故その様に全てを捧げようとする?
彼女の何をアステルが助けたと言うのだろう。そこまでして想われる様なことは今までひとつもしていないのに。
(胸が……苦しい。オレは、「パナシアを守るために築いてきた世界」が、気づかないうちに完全にアイリスに支えられてしまっている。
それなのに、自分の心はまだパナシアを愛している。どうしたらいいんだ)
ことり、と筆が置かれる音がする。アイリスが書き上げた絵は、黒が使われているだけで、一見すると何が描かれているのかわからない。油絵の様に厚く重ねられた絵の具が陰影を作り、何者かが中央に掲げられているのはわかる。
四方八方から伸びたまっすぐな線がそれを貫いて……何を描きたかったのだろう。
だが、最後に一筋液体状の白絵の具がとろりと垂らされた時に真の全貌が見えな。それはキャンバスの中の陰影を明らかにし、中央の人間を守るようにして円を描き、貫く線を消して行った。
アイリスは絵画の前にひざまづき、両手を合わせる。黒の国や五公国でされる祈りではなく、古来日本の神への祈りだ。
「私は前世で、神社のお掃除を毎日欠かさずして参りました。……世界が変わっても、私をお守りくださっているのでしょう?だから、
「――どうか、どうか……私が……私に何があろうとも、アステル様をお守りください。私を守るのならば、その力を全てお使いになって彼の方をお守りください。お願いです、どうか……」
切なる願いは、絵の主役が誰なのかを教えていた。黒い線に貫かれようとしているアステルは、アイリスの白に守られている。
これが、彼女の見た光景だった。そして、白が描いた守りは彼女の決意なのだ。
「――アイリス」
「きゃっ!?……あ、アステル様?」
ひざまづいたアイリスの手を取り、引っ張って立たせたアステル。彼は躊躇うことなく彼女を抱きしめる。カーテンが閉められた部屋の中に風が舞い込み、月光を導く。
二人はその中に立ち、見つめ合った。
「アイリス、話をしたい」
「え?あ、あの、アステル様、何故ここにいらっしゃるのですか?さ、先ほどのお話は、あの」
「もういい、やめてくれ。アイリスが黒の王に捧げられるなら、生き残らなくていい。死んだ方がマシだ。
それが、
「…………アステル、様……」
アステルは苦しげに吐息を吐き出し、背筋を正して体を離す。彼女の手を握ったまま今度は彼が膝をつき、手の甲に口付けた。
「アイリス、オレと結婚しよう」
アイリスの瞳の青が月光の中で輝きを増し、見開かれていく。深海の青に宿る月光はアステルの心を貫き、彼の奥底までを震わせた。
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