7-3 届かぬ思い

「なぜ、それを……」


 アイリスは目を逸らせずにアステルの瞳を見つめるしかない。冷や汗がこめかみから伝い落ち、奥歯を噛み締めた。


 彼は怒りを表すでもなく、凪いだままの心で問いかけている。


 

「オレの神聖力は、空間に伝う振動を全て拾う。空気さえ介していれば、どれほど遠くても音が拾える。

逆に、こちらの言葉を特定の相手に届けることもできる」

 

「…………」


「黒曜の広場でも、民衆全員にオレの声が届いただろう?

 それは口から発した音を全員の耳元に届けたから。オレの神聖力はあのような場面では重宝する。乱戦でも使えるし、撹乱も可能だ」

「はい」


「全然驚かないところを見ると、知っていたんだな。この分だと全員の神聖力の特徴を把握しているんだろうな」

「は、……はい、仰る通りです」



 


「そうか」と呟いた彼は膝の上で頬杖をつき、月明かりに向かって瞼を閉じる。

アイリスは背筋を這い上がるような焦りを抑えきれず、肩が震えた。


(そう、アステル様には全て聞こえてしまう。離れていても、音が小さくても関係ない。

 私は、どうしてそんな大切な事を忘れていたの……)


 自責の念に駆られつつ、どうやったら誤魔化せるかと思考を巡らせる。だが、その答えが出る前にアステルが口を開いた。

 



「アイリスの夢見預言がどんな形なのかはわからないが、絵で見える時とそうでない時があるのか?」

「え、は、ええと」


「言いづらいなら言わなくてもいい。さっきの感じだと、そうかも知れないと思ったんだが、当たりだったな。

ガリシア伝奇を調べているのも、推測を立てていたのだろう?」

「はい、そうです。断片的な情報しか見れない時は……そうしていました」



 瞼を開いた彼はうん、と頷いてガリシア伝奇に目を落とす。そして、突然ふっと微笑んだ。




「アイリスは預言の力、自己治癒力の強化……さらに歌によって他人の治癒も促せるんだな。歌は人魚の秘技かも知れないが」

「っ!?」

 

「テティスでの歌を聴いた。カイに聞いてもなんの歌なのか、頑なに教えてくれなかったよ。

 オレの耳で聞いた限りだと、アイリスの神聖力がテオーリアに影響を及ぼしていたように思う。とても万能な力で、他にも多くの用途があるだろう。例えば、」


 

 月の光を宿したアステルは眉を下げ、アイリスを見つめる。ゲームの画面では直接見られなかった、行き場を失った子犬のように庇護欲を煽る表情が目の前で浮かぶ。

 それを初めて目にした彼女の心臓が、今までにない激しい鼓動を打った。



「本物の聖女のような仕事ができる」

「……」


「オレが望む未来では、パナシアを幸せにしてやることは出来ないようだからその方がいいだろう」

「なっ、何を、」


「オレが死ぬなら、妹を誰かに託さなければ。それこそ新人アギアの誰かが最適だろう。他国の王子なら護ってやれるし、アイリスがそれぞれの国の問題に介入しているなら……きっと解決する」




 儚い笑顔を浮かべた彼はそっと本を閉じる。小さなため息をつき、背表紙を撫でた。

 パナシアを愛している彼は、画面の向こうにいた時もこうしてしてしまったのだ。そして、最後に神聖国で犠牲になった。


 脳裏に再び浮かぶアステルの顔。それは文字でしか知り得ない情景だったが、知り合った今では、明確な形となってアイリスの脳裏に浮かぶ。

 四方八方から繰り出された槍に串刺しにされ、聖女を守れたことに満足げな笑みを浮かべ……瞳に宿す朝焼けと夕焼けの色を失い、静かに瞼を閉じる瞬間が。




「なぁ、どんなふうにして死ぬのかだけは教えてくれないか。せめてパナシアがそれを見ることなく、オレの死に対して遺恨を残さないようにしたい」

「……ません」


「……?」


「あなたは、死にません」




 揺蕩う波のように静かで、抑揚のない重い言葉を吐き出し、アイリスは手に持ったメモ帳を握りしめる。

叫び出したい気持ちを飲み込み、もう一度唇を開いた。


「アステル様を、絶対に死なせません。私が黒の国に来たのはそのためです。小さな頃からずっと、あなたが死なない為に計画を立てておりました」

 

「…………」


「御自身の幸せを、命を諦めないでください。私がしてきた努力はあなたが『死の運命』から逃れるためのもので、アステル様自身が諦めてしまったら……全部無駄になってしまいます」


「何故そんな事を言う?オレはアイリスに何をして、そんなふうに決意させた?」

 

「今のあなたに必要なのは『死を避ける方法』と『聖女様を守る方法』だけですわ。私の私情など必要ございません」




 アステルは呆然としたまま、怒りを放つ彼女を見つめた。


 人魚であったアイリスが預言を小さな頃に見たとして。それが自分の死ぬ未来だとして、何故そうまでして救おうとするのかがわからない。

 彼女は感情を抑えつつも視線を逸らさず、肩を震わせている。こんなふうに怒る姿も初めて見るものだった。




「もう隠しようがありませんわね。今後についてはアステル様自身のご協力を得ながらやって行きましょう」 

「えっ?」 


「パナシア様についての攻略、この先起こりうる危険についても共有させていただきます。それから、あなた自身のその『自己犠牲に疑問を持たない性格』も矯正致しましょう」

「……あ、アイリス?オレは」


「だいたい、アステル様は女心と言うものをご理解されていらっしゃないんです!顔と声の魅力を理解しているのはとても良い事ですが、パナシア様を自由にしてあげたいと思うなら、ご自身の健在もセットになさってください。それから……」



 

 アイリスが止まらなくなってしまった。あまりの長話に途中でゾーイが目を覚まし、二人の様子を伺って静かに去って行く。

 

 アイリスは「私は好きですが」とか、「私は問題ありませんが」と言う枕詞を皮切りに、パナシアへの態度や普段の振る舞いを批判していたつもりだった。


 だが、アステルには励ましの言葉、ひいてはやってきた事への肯定に聞こえた。アイリスが『アステルの行動理由』を完璧に代弁し、否定しないからだ。


 

 愛しているが故に厳しく諭したり、身を守るために縛り付けてしまったりと言う行動まで、アイリスは完全に許容している。

 わかりやすく言えば、それはゲームをしていたファン層の総意だった。


 自分を迷いなく差し出し、誰になんと思われようがパナシアを想い護ってきた、一途で健気なアステルへの言葉だ。

 全てを聞き終えた彼は、指先まで温かくなるような感覚に戸惑っていた。アイリスの言葉は厳しくも温かく、アステルがする事は全てパナシアを思ってのことだと信じ切っている。


 


「申し訳ありません、興奮してしまいました。まさか、こんなふうにアステル様のことを口にするなんて思いませんでしたわ」


「アイリスは、オレがパナシアに向ける気持ちも知っていたんだな」 


「はい。野暮なことばかり言いましたが、あなたのお心がいかに純粋で尊い想いを抱えているのか、私は知っています。

 ここから先は手加減しなくていいのですから、アステル様の行動にも口出しさせていただきたいですわ」


「それは構わない。と言うか、願ったり叶ったりではあるけどな。

 だけど、そうじゃなくて……」




 彼は僅かに頬を赤らめ、目を逸らしたまま躊躇う。

 かたやアイリスはこうなった以上、聖女攻略自体を指南すると腹を括った。

最初からこうすべきだっただろうか、いや、黒の国に来た時点ではこんなふうに受け入れられたかはわからない。

今がその時だったのだ、とアステルの返事を待つことにした。


 人魚姫の覚悟などつゆしらずのアステルは、考えがまとまらないまま言葉をこぼしてしまう。


 

「――なんだか、口説かれてる気分だ」

「へ……?」

 

「いや、アイリスはきっと純粋な気持ちだったんだよな。オレも同じようにしなきゃならないんだ」

「あ、あの?どう言う事ですの?私が口説く?アステル様が同じようにとは?」


「オレは、変わり者だという自覚がある。長年の恋心を持ったままここに来て、一生この気持ちを胸にしまっておくつもりだった」

「……えぇと、はい」


「だが、それはなかなか難しい物だ。城に来てしまったら、オレたちは心を許し合う人がお互いしかいない。

 そばに居れば愛おしい気持ちが募るものだろう、だから……行動も過激化していたと思う」

「まぁ、はい。否定は致しませんわ」



 

 アイリスの頭の中に浮かぶのは、パナシアから自分以外の男性をあからさまに遠ざける姿。誰かに話しかけられれば背後から威圧していたし、アギアの男たちは全員距離を置く羽目にはなっていた。だからこそ女性の近衛が欲しかったのだ。

 

 それから、耳が利くゆえに聖女の一挙手一投足を捉えては叱ったり、宥めすかしたり、褒めたり。喧嘩をして、仲直りをして。

 それはきちんと『兄妹』の枠に収められていたのだ。


 だが、一抹の不安がよぎる。


(待って……今の段階で、アステル様は〝ヤンデレ化〟していない。執着心を見せて、危ない橋を渡るのは新人アギアの『攻略対象』に聖女様を取られそうになってからだった)


 嫌な予感がする。純粋なままのアステルがなんの歪みもなく『自分が死ぬ』と知ってしまったら。

 アイリスは彼に説明をし直そうと慌てたが、時はすでに遅しだ。




「アイリスは、オレを理解してくれている。誰にも話せなかった妹への想いも、胸に秘めてきた全てを知っている、そして……それを肯定してくれた」

 

「そうですが、あの……」

 

「オレは、こんなふうに話せる人など一人もいなかったから、嬉しい。

 黒の国に来てくれてありがとう、アイリス。オレが死ぬその日まで、よろしく頼む。明日から計画を話そう」




 スッキリしてしまった様子のアステルが立ち上がり、広げた本に木の葉を挟んで閉じて行く。

 本と荷物を抱え上げた彼は、笑顔でアイリスを見つめていた。


「もう寝た方がいい。明日は儀式の準備がある。流石に目の下にクマをつけたまま出るのはまずいだろう?護衛はつけるから、部屋に戻れ」

「…………あ、あの……あ、」

 

「ほら、行くぞ」

「アステル様、私の話をお聞きください!」


「アイリスの優しさを無碍にして、すまない。だが、ようやく大人になれそうだ。過去に縋り付いていた自分を捨てられる」

「……」



 心なしか浮き足立っているアステルの後を追い、話をしようと試みたアイリスだが、結局何も言えずに自室のベッドに突っ伏す羽目になってしまった。


(完全に失敗してしまった。私が死期を告げたせいで、アステル様は死んで役に立とうと決意してしまったわ。

 最低よ……なぜあそこで『聖女様との未来を望め』と言わなかったの!)



 何はともあれ、誤解を解かなければならない。それは明日するべきことの第一項目だ。

 彼女は胸いっぱいの言葉にならない思いを抱え、静かに眠りへと沈んでいった。


 

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