7-2 問いかけ

「この文献からすると、ギリシャ神話……いえ、この世界ではガリシア伝奇でしたわね。その中でアステル様に該当するのはアポロン?聖女様はアルテミスかしら?でも……変ね」




 星空を見上げると、待宵の月がちょうど0時の位置にある。それは優しくアイリスを照らしていた。

 いつものように本に埋もれているが、ここは聖女の寝室に向かう途中の廊下だ。自分の見張りについていた同僚の四人が寝不足のため、アイリスは聖女の護衛のそばに身を寄せ、その場で勉強を続けている。

 

 黒い石で形作られた闇の中に佇む彼女は、膝の上で眠りについたゾーイの癖毛を撫でた。彼は両手で鷲鼻を包み、むにゃむにゃ寝言を言っている。


(また徹夜に付き合わせてしまうところだったから、寝かせておきましょう)

 

 ゾーイの寝顔を眺めていると、アイリスの脳裏にアステルの死に顔が浮かぶ。彼女は慌てて首を振り、それを打ち消した。今はまだ、その結果は出ていない。

 


 

「神話モチーフだとしたら、矛盾が出てくるわ。アポロンは不死の神なのに、どうしてアステル様は死んでしまったの?あんな死に方では復活のチャンスがあるとは思えない」


 ポツリと呟き、もう一度ガリシア伝奇をまとめた自分のメモを取り出す。


 アイリスの推測通り、ガリシア伝奇の『アポロン』は元いた世界のギリシア神話と同じ設定だった。原初の龍ビギニングスが創世神話であるから、この世界では『伝奇』扱いなのだろう。


 さて、そのガリシア伝奇のアポロンにはアルテミスという双子の妹がいる。だが、誰とも結婚していない。彼女自身が純潔の女神であったためだ。

 と、すればゲームの設定上やはりアステルとは結ばれないのだろうか。……いや、神話をなぞっていたとしてもそのまま反映されるのではなく、一捻り入るのが運営側の常だった。それに、もう舞台の台本はアイリスによって大きく書き変わっている。


「原作では、原初の龍ビギニングスのお祭りの時、すでに攻略対象が全員聖女様にゾッコンだった。……でも、恋愛フラグはことごとくへし折ったはずよね」





 彼女の言う通り、聖女とのイベントはメインキャストがアイリスに置き換えられ、起こるはずのものは殆ど書き換えられている。

さらに、ここ至る前に起こるはずの『リュイ』『カイ』の聖女好感度アップイベントは起きていない。もうすでにアイリスの予測の範囲を超えてしまっているのは明らかだ。

 

 ストーリー改変とは、この世界の理を変えると言うこと。今生きている世界は偶像ではなく、命ある人々が暮らす現実だ。今更ながらにアイリスは大それた事実に背筋が寒くなった。


 彼女は主人公でもなく、攻略対象でもない。『アイリス・セレスティアル』は、ストーリーの上では存在すら不明瞭だった。そんな自分が、主要キャラクター達の運命を変えようとしている。


 だが、そこで微かな違和感が浮上した。


(ストーリー改変ってもう少し邪魔が入ったりしなかったかしら……二次創作では大体試練があったりするのに、私の場合たいした弊害はなかった)




 何度かさまざまな考察を口にしてみるが、このままではまとまらないだろう。


(今晩は頭の中がいっぱいで、もう頭が回らない。いっそ、一旦ガリシア伝奇から離れる事にしましょう)

 

 考えても仕方ない時は、目の前のある課題をなんとかするのが一番生産性がある。大それた事をやり遂げなければならない彼女は、立ち止まる事は許されていないのだからそうするしかないだろう。

 アイリスは原初の龍ビギニングスの物語を手に取り、とりあえずはこのイベントを乗り切ろう、と鼻から息を吐いた。



 

 そんな様子を影から眺めていたアステルは、何も考えず彼女のそばに座った。予測通り集中しているアイリスは反応を示さない。

 彼は床に広がった本の海から一冊手にとって、カラフルな付箋に気づく。


(たくさんの色紙が貼ってある。これは……)

 

 細い色紙の端には乾燥させた糊が塗られており、何度でも貼って剥がせる仕組みになっている。所謂ポストイットだが、この世界に存在しないものだ。アステルが目にするのは初めてだった。


 アイリスのアイディアが底なしであることに感心し、彼も本の文字を追い始める。

 やがて視線を上げたアイリスは真横にいる彼に気づき、すんでのところで口から出そうになった悲鳴を抑えた。





 月明かりを浴び、びっしり生えたまつ毛の影が彼の瞳に陰影を形作る。健康的な肌は白い光に染まり、幻想的に彼の姿を浮かび上がらせた。

アステルの不思議な色の瞳は、彼女が最も愛する部位だ。

闇の中にある瞳は紫が強くなり、誰にも暴けない秘密を孕んでいるような不思議な色を強く表している。

  加えて少年的な純粋さを基盤にした顔の作りは、顎を引くと途端に精悍な印象に変わる。

本を読むという自然な動作でさえ、彼のためにあるのではないかと思うほどに稀有な美しさだった。




(綺麗だわ……こんな方が、ストーリーの最後で死ぬなんて、今でも受け入れられない。

 あんなに細かく人物描写があったのに、どうして運営さんはアステル様を殺す結末を?いいえ、人気があった方だから追加ストーリーができたのよね)


 じっと彼を見つめる視線に熱がこもり、アイリスは自分の瞳から溢れそうになるのを堪えた。まだ、戦いは始まったばかりなのだから泣くには早い。

 彼を救う一手は、主人公である聖女パナシアと恋仲になる事。追加ストーリーを知らないから、その手立てしかないのだ。


 


「そんなにオレを見て、どうした?」

「ひゃっ!?」

「しー、静かに。ようやくパナシアが寝たところだ」

「……すみません」


 二人は目線を交わし、同時にほの明かりが漏れる聖女の部屋を眺める。




「もしかして、聖女様は最近眠れないのですか?」

「あぁ、寝かしつけをしても瞼を閉じてくれないんだ。毎晩苦労している」

 

「……ストレス……いえ、やはり心に負担がかかっているのでしょうか」

「心に負担がかかると眠れないのか?」 


「そう言うことも、ありますわ。アステル様がずうっとお側にいられれば心が安らぐのかもしれません」

「…………そうだといいんだが」



 アステルは苦いものを噛んだような心地になる。幼少期にはなかった、違和感。パナシアが小さな頃からずっとそばにいた彼は今、複数の疑問を持っていた。

 

(聖女として選ばれる一年前から、パナシアは人が変わったように思う。以前はわがままなど言ったこともなく、食べ物の好き嫌いもなかった。

勤勉で物静かで優しかった。まるで、アイリスのように。

 だが、最近は完全に性格が変わってし待った気がする)



 

 聖女パナシアは好きなものだけを食べ、ゾーイが与えてくれる教育に手出しをしない。口先でアイリスの苦労を嘆くものの、原因である自分を律することはできない。

 夜に眠れないのは昼中寝ているからではないか、と侍女に言われた。

しかも部屋の中に閉じ籠り、物を食べているのに体が動かないという。


 聖女の責務を負っているはずの彼女は、本当に具合が悪いのでなければただ『怠惰』というしかない状況だ。


 そこまで考えると、最近慢性化した頭痛が再び始まった。実際のところ、パナシアに悩まされている第一人者がアステルであるのは間違いない。聖女の様子を正しく把握しているのは、彼と侍女、そしてゾーイだけだ。


 


「アステル様、どうかなさいましたか?」

「……いや、気にするな。アイリスは何を調べているんだ?」

「え、ええと。ガリシア伝奇と原初の龍ビギニングスについてですわ」


「それは、何故だ?」

「ええと……考古学にはもともと興味がありましたの!原初の龍ビギニングスについては何も知らなかったので、これを機に全て覚えてしまおうと思いまして!」 


「ふむ……」

 

 

 アステルは彼女の顔を覗き込み、瞳を見つめる。目があった瞬間、両瞼が勢いよく閉じられて思わず笑ってしまった。

 

(なんてわかりやすいんだ。君は)


 アイリスの純真さに驚き、じわりとあたたかなものが胸のうちに広がる。彼女が言った事は完全に嘘ではないが、アステルに対して後ろめたい事実があるようだ。それを言えないことが、彼女の瞼を閉じさせた。

その理由も先ほど明らかになってはいる。



 

「何故目を閉じた?」

「な、ななな、なんでもありません!」

 

「こう言う時普段なら目を逸らさないだろ?オレの目の色をじっと観察するのが好きだと聞いて、納得したよ」


「だ、誰からそんなことをお聞きになったのですか!?」

「今、思いついたんだ。ふっ」

 

「なっ!?揶揄うのもそれくらいにしてくださいまし!」


「揶揄ってなんかいないだろ?なぁ、アイリスはオレの顔と、目が好きなのか?」

「…………」

「違うのか。もしや、目の色が好きなのか?」

「…………」

 

「なんだ、それも違うのか。そうだよな、オレの目は昔から妙な色を写すから、気味が悪いとよく言われていた。君もそう思うか?」


「そんな事は、ありえません」



 逸らされた瞳は真剣な色を纏って、アステルに戻ってくる。息を呑むほどの気迫に彼は圧倒された。



 


「アステル様の目の色は、基礎が黒です。陽を浴びれば太陽の色を、闇に染まれば夕暮れ色を纏います。

 それが美しいと思えないなら、この世の何が美しいのでしょう」

「……そうかな」

 

「はい。……以前も言いましたが、私はあなたの瞳は1日の始まりと終わりの色だと思いますわ。

 夜から朝へ向かう時は青い色が散って、橙色や赤、黄色と白がよく見えます。これを東雲しののめ色と言います」

「……しののめ、か」


「はい。夕方に見られる色は逆に移り変わりますが、暗闇に映える紫は一等美しい。黄昏たそがれ色から夜に染まる一瞬に現れる、儚さが切ないのです」

 

「しのの、たそがれ……初めて聞く言葉たちだ。だが、そうだな……何故か心が揺れる」

「ハッ!!!!!!!変な事をいいましたわ!!ええと、あの、とにかく!!

 アステル様の目のお色はとても綺麗だとお伝えしたいのです」


「あぁ、伝わっているよ。褒められて嬉しい。ありがとう、アイリス」

「ファ……ハイ、イエ」

 

「では、本題に入ろうか」


「へっ!?」




 アステルは、アイリスが自分に嘘をつけないのだと確信した。それならば聞くべきことを、聞かなければならない。


「――オレは、死ぬのか?」


 彼が放った一言に、アイリスは文字通り凍りついたのだった。



 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る