5-6 命の秤


「ここが聖なる泉ですのね……」



 アイリスの呟きは、轟音を立てる滝の音にかき消された。案内役の青年は麦わら帽子をとり、山の精霊への挨拶だろうか……滝に向かって一礼する。

アギアの一行もそれに倣って頭を下げた。


 滝が落ちた泉からは飛沫が舞い、ひんやりとした風がそよぐ。登山にも等しい道程を超えてきた一行には心地よく、誰もがほっと息をつく。

 木漏れ日が降り注ぐ深い森の中にある清らかな泉は、陽の光を浴びて美しく輝いていた。




「アナスタシア、お前が木を生やしたのはこの周辺か?」


 アステルが背に負ったパナシアを下ろして聞くと、アナスタシアは首を振る。

彼女はアギアの男達に代わる代わる抱き抱えられて来たため、大変ご機嫌な様子だった。




「あっちの山から、こっちまで。えと、ここのまわりと、むらまでだよ!」

「そんなに広範囲を、お前一人で?」


「うん!はじめはふらーっとしたけど、ご飯食べてねたら、だいじょうぶ!3回くらいでおわって、そのあとずーっとねちゃったけど……」

「そうか。疲れただろうに、よくやったな」

 

「えへへ!」

 




 アナスタシアの頭を撫でたアステルは案内役の青年を睨む。小さな子を倒れるまで使役した事は間違いないようだ。

 この一件だけでも村での彼女の扱いは明確に示されている。

山を登る最中も彼女を気遣う様子はなかったし、早朝から叩き起こされて目を擦りながら歩いていたのに気づきもしなかった

 アステルが抱き抱えても、一切関心を示していなかったのだ。

 

 案内役の青年はハンカチで汗を拭いて目を逸らした。帰りの案内はいらないと伝えると早々に走り去っていった。




「村の体制には手を入れねばなりませんね。監視役が必要ですわ」

「そうだな、既に神殿の者に伝えてある。あれは子供らに対しては情けが深いから役に立つだろう。三日ほどでテティスに派遣される予定だ」


 アステルの言葉に頷いたアイリスは、泉を見つめて僅かな違和感を感じた。近寄って手で触れると、清らかな水は冷たく、透き通っている。

 アイリスの真似をして手のひらを水に浸したカイは眉根を寄せた。




「カイ、どう思いますか?」

「…………なんか、変だね」

 

「そうね、どうもおかしいわ。毒とまではいかないけれど『何か』が水に含まれている。アステル様、まだ水に触れないでくださいまし」

 

 滝があるということは、おそらくここが最初の水源ではない。山から滲出する湧き水が複数集まり、集合してこのような水量になっていることだろう。

 元人魚の二人は水に関してかなり敏感だ。水源に近いただけでも村とは違う水質に気づいた。


 人体に影響のあるものが、間違いなく含まれている。微量とはいえ、蓄積すれば体にとって毒となるような何かが。





「水質調査キットを使っても何も検出されないが、二人は何か感じているのか」

 

「……はい、これはこの水を何年も飲用して影響が出るものでしょう。

 川に流れればその物質が薄くなりますが、テティスには影響が出ているはずです」

「ふむ、なるほど。報告にあった『穢れ』とは別のものか?」

「はい。水質自体が悪化した単純汚染は、アナスタシアのおかげで問題ありませんわ」




 アイリスとカイの様子に不安げな顔をしたアナスタシアを抱き上げ、アステルは彼女を肩に乗せた。

 驚いた表情の少女は高い場所からの開けた視野に目を見開き、無垢な笑い声を上げる。


「アナスタシア、君のおかげでたくさんの人の命が助かったんだ。この山々は無くしてはならない」

「はい!」

 

「お前はテティスの救世主だよ。死んだ山を復活させ、人々の命を助けた。……だが、精霊のもとで育ったなら精霊のの方がいいんじゃないか?」




 アステルの問いに、遠くの山端まで眺めた少女は大きく頷く。その瞳は輝き、笑顔が溢れていた。

 

「おひめさまがいい!」

「そうだろう?『精霊姫・アナスタシア』これからもこの水源を守ってくれないか?」

 

「うん、いいよ!」


 彼女を肩に乗せてクルクルと回り、アステルは笑みを浮かべる。

愛らしい子供特有の笑い声にアイリスは胸が締め付けられていた。




(村長が言っていた、山の病はおそらくこの水質が関係している。これは原作のストーリーでは語られなかった部分だわ。

 そして、この問題を村の大人たちに突きつけなければならない……。

 最も有効で、わかりやすい形で)


 二人に釣られて笑い声をあげ、かわるがわるアナスタシアを抱えてあやすアギア達。アイリス以外は『アナスタシア』に癒されて幸せな気持ちでいっぱいになっていた。



 ━━━━━━


「――アイリス!眠るな!」

「……は、ぁ……カイ、」

 

「気絶したら自己回復できないよ!目を瞑らないで!」




 カイの叫び声が集会所に響き渡る。日が傾き始めた時刻、夕食もそろそろか……と報告書を片付け始めた時、それは起きた。

 騒ぎに気づいたパナシアと目を合わせ、アステルは建物から飛び出した。すぐに村の噴水前の人だかりに気づく。


 村人達は口々に「そんなバカな」「山の病気がこんなに早く?」と呟いていた。



「アイリス!!」

「わかっ……てるわ」


 カイの叫びとは別に、アイリスの弱々しい声が聞こえる。パナシアが駆け出し、アステルは人だかりをかき分けた。


「――アイリス……どうしたのですか?一体何が起きたの!?」

「噴水の水を、飲んだんだ。そしたらこうなった」


「噴水……な、なぜそんなことを?」

「噴水の水は村の浄化槽を通してない。滝から引いているのではなく、お祭りの時に使うから源泉に直接つながっている、と聞いたから」


「まさか、泉で感じた違和感を確かめるために……」

「うん……」

 

 カイの腕に抱きしめられていたアイリスは顔面蒼白で、何度も嘔吐を繰り返している。風に揺れるたびに髪が抜け、夕日に煌めきながら飛んでいく。

 こんなことは通常なら起こり得ない。彼女を支えたカイの服にも抜けた頭髪が大量に付着していた。





「ここではどうにもならん。一旦、室内へ運ぼう」


 アイリスよりも顔色の悪いカイの肩を叩き、アステル達は集会所へと引き返す。パナシアは運ばれるアイリスの手を握り、聖女の神聖力を使い始めた。

 不思議な白光に包まれた一行を沈黙で見送った村人達は呆然と立ち尽くし、自分たちの掌を見つめる。

 

 皮膚の中で絶えず起きている出血、常に体の中にある吐き気と倦怠感。それらは年齢を追うごとにひどくなり、アイリスのように脱毛が起こるようになる。


 やがて動けなくなっていき、全身から出血しながら壮絶な死を迎える『山の病』。それは、村人誰もがいつかたどり着く運命だった。



 ━━━━━━


「アイリス、喋れるか」

「はい、アステル様。神聖力を使わないでください、聖女様……私は大丈夫ですから」


「っ何を言ってるの!?あなたの綺麗な髪がこんなに抜けて……」

「自己治癒でどうにかなりますわ。それより――」


「アイリス!連れてきたぞ!」



 部屋のドアが乱暴に開き、テオーリアは村長を連れてやってくる。彼はまだ何も聞かされていないらしく、ベッドに横たわったアイリスを目にして驚愕の表情を浮かべた。


「村長さん、こちらへ」

「…………」


 手招きしたアイリスの元へふらふらと近づき、老爺は彼女の傍に腰掛ける。




「私は源泉を口にしました。今、発熱・皮膚内の出血・嘔吐、倦怠感、吐血があります……これは、村の病の症状ですわね」

「そうだと思いますが、なぜこんな早く発症したのですか!?」


「私は人魚ですわ。水の影響を強く受けます。……けほっ、ぐ……」


 咳き込んだ彼女は唇から血を滴らせる。カイが慌てて布を敷くと、そこに大量の鮮血が吐き出された。

 暖かな紅は飛び散り、村長の顔にも飛沫する。彼は恐怖の表情を浮かべ、必死でそれを袖で拭った。




「こんなに血を吐いて、どうしたんだ……厳選が毒なのか?」

「は、はぁ……テオ、薬草を煎じてくださ……」

「何を?何が必要なんだ!?」


 顔面蒼白のまま叫ぶテオーリアはアイリスの血まみれの口元を拭う。そこで自分の手が震えていることに気づいた。

こんな状態で解毒ができるのだろうか。しかも、見たところ聖女の奇跡は効いているとは思えない。



 掠れるアイリスの声を聞き、数回頷いた彼は再び部屋を飛び出した。言われた通りの薬草ならここ一帯に腐るほどある。

 彼は昨晩のアイリスの姿を思い出し、歯を食いしばりながら薬草集めのことだけを考えることにした。





「――山の病は、鉱石の主成分である重金属の中毒・特殊な毒線によるものです。これは放射能汚染と言いますが、目には見えません」

「………………は、そ、そんな」

 

「ここ、からでる鉱石が……水に溶けて、それから……掘り出されたものが放つ線が人を蝕む、げほっ!」




 アイリスの辿々しい説明を聞いた村長は呆然として体の力が抜けた。まさか、自分たちの根差した土地が……財をもたらす鉱石がそんな作用を持つなんて思ってもいなかった事だ。

 

 そう、テティスの土壌には『レアメタル』が含まれる。

 前世でも多様性があり重宝されていた鉱物は、テティスのみならず黒の国でも重宝されていた。


 

 神聖力はエネルギーであり、それを生活に使う人々の側で増幅の石として役に立っているのだ。だが、レアメタルは放射線を放出するものがあり、金属である以上その性質は水に溶ける。

 

 水に溶けるのは微量だとして、それを長年摂取すれば体内に蓄積していく。年月を経て、やがて中毒を起こす。

 さらに放射線被曝量が一線を越えれば人は死に至る。そして、採掘をしていれば被曝量の増加に繋がり、レアメタルに囲まれて暮らすテティスの人々はそれによって今までよりも早く死ぬことになる。

 

 風土病の『山の病』は、レアメタルの採掘場所で必ず出る問題が原因だった。




「幸いここから、人の飲む水となるまでに天然のフィルターがいくつもあります。重金属も、放射能汚染水も分解されますので……国の水源としては問題ありません」

 

「で、ですが、その『れあめたる』とやらはもう採掘できないのでは?」

「放射能汚染については、この世で防げるものはありません。このように、聖女様の奇跡も及ばないのですから」


「まさか、産業を手放せと!?」

「いいえ、そうではなく採掘量の調節をしてください。アナスタシアの体を気遣える範囲に留めてくだされば、すぐにはこのようになりませんわ。

 水については過度に森林を伐採しなければ、濃度が薄まります」


「…………それ、は」

「生きるよりも、価値のあることがありますか?命より大切なものがありますか?

 神聖力は生命力にも等しいのです。アナスタシアに無理をさせて、寿命を縮めていたら……どうなるかわかりますわね?」

 

「…………はい」



 アイリスは僅かに頷き、体を支えてくれるカイの手を握って自分を奮い立たせる。どんなに辛くても、今全ての問題定義をここで終わらせなければならない。

 目の前で彼らの行き着く先を見せ、悲惨な状況を目の当たりにして〝アナスタシアの現状改革〟も、採掘されすぎる鉱石によるもこれで和らげることが出来る。




「採掘する人員を少なくし、数日働いたら数日は仕事をしない。

 それから、具体的な量については国の採掘調整師に従う……まずはアナスタシアの疲労から限界を決めていただくのがよろしいと思います」

「はい、はい……そのようにいたします」


「アナスタシアは精霊様からもたらされた奇跡の姫君ですわ、大切になさってください。『精霊姫』の称号は、後ほど正式に黒の国から宣下をくださいます」


「すでにその手続きは鳥で報せた。我々が帰投する前に、国の研究員が証書を飛ばしてくれるだろう。

 テティスの聖霊姫が確固たる地位を得る……まずは村の皆で話し合ってくれ」


 アステルがそう告げると、床に頭を擦り付けた村長が震えながら立ち上がり、もう一度腰を折って頭を下げた。彼は静かに退出し、入れ替わりでテオーリアが戻った。


 


「薬湯だ、飲めば出血はおさまる」

「ありがとう、テオ」


 ベッドの上はすでにアイリスの吐き出した血で真っ赤に染まっている。躊躇いなくそこに膝をつき、そうっと薬湯を飲ませるテオーリアの瞳にはじわじわと雫が浮かび上がった。


「わざとやったのだな」

「……はい」

「アイリスは自己治癒で、これを治せるのか?聖女様にはできない事を」

 

「はい」


「…………わかった。毒物の排出、それから浄化作用のある薬草も見つけている。君は一晩薬漬けだ。覚悟してくれ」

「はい」



「今夜戦うのなら、戦場を整えてやろう。カイ、すまないがシーツを変えてやってくれ」

「…………」



  

 緩やかに微笑んだアイリスは大きく息を吐き、アステルに抱き抱えられた。

カイとテオーリア、パナシアも手伝ってベッドは清められていく。


「アイリス、今回も相談がなかったな」 

「…………」

「オレの副隊長殿は、隊長が信じられないか?」

 

「そうでは、ありませんわ。こんな風にするつもりではなかったんです、もう少し……影響が弱いと思っていて、」


「本当に……無茶ばかりする。しかも、人のためにしかその無茶が発揮されない」

「すみ、ません……」

 

「村長との話し合いはオレが引き受ける。お前は自分のためだけに今晩無茶をしてくれ」


「……はい。後のことをお願いいたします」

「あぁ、任せておけ。オレとの約束を破るなよ」


 


 腕の中で消沈した彼女の額に自分の額をつけ、アステルは瞳を閉じた。鳥が親愛を表すようにグリグリと頭を擦り付けると、アイリスは頬を染めて微笑む。


 ――その様子を、パナシアは複雑な気持ちで見つめていた。



 ━━━━━━


「テオーリア、そろそろ行くぞ」 

「はい」


 うとうとしながらアイリスを支え、カイは瞳を閉じたままベッドに座っている。横になってしまうと吐瀉物が喉に詰まってしまうし、アイリスの自己治癒は気絶すれば使えない。

 そのため、二人は座った姿勢のままで少なくとも一晩超えなければならない。


 スプーンで最後のひと匙を飲ませたテオーリアはメガネを取って、アステルと共に部屋を出た。




「いい色だな、その目。」

「はい、私の誇りです」

 

「昨日の晩、アイリスと話してそうなったのか?」

「はい。私は、今後色を変えるメガネをつけません」


「…………村長達は反発心を抱え始めた。暴走するなよ」

「努力します」 

 


 燃えるような赤を瞳に宿したテオーリアは、アステルに目線を合わせてしかと頷いた。今までと違う反応に満足したアステルは隊服のフードを外し、マスクの状態に変えた。

 威圧感を与えるにはこれが一番やりやすい。意思を気取られるのも口元だ。ここは、隠すのが得策だろう。

 

 テオーリアも彼の姿と同じように隊服を整え、村長宅の木の扉を叩いた。

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