『その名を呼ぶ日』

夕暮れ時、宴の喧騒もやわらぎ、庭園に風『その名を呼ぶ日』が吹く。

ドレスの裾を手で押さえながら、リリアは誰もいないベンチに腰を下ろした。


すっと横に座る気配――


「やっと……静かになりましたね」


リリアがふと顔を上げると、隣にいたのは、

よく知る“従者”ではなく、“彼”だった。


レンは正装から少しだけ崩した服装に着替えていた。

王宮にふさわしく、でも肩肘張らない、彼らしいスタイルだ。


「ふふっ……ちゃんと似合ってるわよ。

 いちばんかっこいい、って言ってもいいくらい」


「……それは光栄です、“リリアーナ様”」


わざと堅く言ったレンに、リリアはちょっとだけ口を尖らせる。



「……あー……」


わざとらしく手を胸に当てて、深々と一礼した。


「リリア、お疲れさまでした」


そう言って微笑むレンに、リリアも小さく笑った。

その笑みに、少しだけ――涙がにじんでいた。


「あんた、急に敬語になった時期あったしね。あれ、寂しかったんだからね」


「“姫”として接するべきだと、思ったからですよ」


「でも今は?」


レンは少し黙ってから、空を仰いだ。

そして、言葉を選ぶように、ゆっくりと話し出す。


「僕にとって、“リリアーナ様”はずっと――“主”でした」

「でも……今、隣にいるのは、“リリア”なんだって、ようやく気づいたんです」


リリアが目を見開く。


「僕が“リリア”と呼ぶのは、敬意を失くしたからじゃない。

 ようやく、あなたの隣に立てるようになった気がして……だから、そう呼びたいんです」


しばらくの沈黙。

風がそっと二人の間を通り抜ける。



「……リリア、一つ聞いてもいいですか?」


「なに?」


「この10年間……ずっと、僕のそばにいてくれたこと。あれは……“義務”だったか?」


その問いに、リリアはふっと笑い、横目で彼を見た。


「なにそれ、今さら?」


「……そうだね。今さら、か」


「義務なわけないでしょ。“好き”とか、そういうのも通り越してるの」


「じゃあ……どうして?」


「さぁ?」


リリアは肩をすくめ、少しだけ頬を赤らめる。

そして、いたずらっぽく笑った。


「ねぇ、“リリア”って呼んでよ。今ここで」


「……リリア」


たった一言。それだけで、彼女の目がふっと柔らかくなった。


「ありがと。……それだけで、もう十分」



その言葉を発した瞬間、リリアはそっと目を閉じた。



「これから先、“姫”じゃなくても、“リリアーナ”じゃなくても――

 レンの隣にいたいって、ずっと思う。

そのときは……。」



「……そのときは?」


レンが聞き返す。



リリアは小さく笑って、前を向いた。


「きまぐれの“おてんば姫”だから、覚悟しときなさい」


「……え?」


「何でもない!バーカ!」


レンの袖を軽く叩くと、リリアはくすくすと笑った。

その笑い声は、十年分の涙の代わりのように、柔らかく響いた。


そして、誰もいない石畳の通路に、また“いつものふたり”が戻っていった。



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おてんば姫と誓いの従者 ruki @xxrukixx

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