『言えなかった言葉』

夜の寝室は、昼の喧騒が嘘のように静かだった。

カーテン越しに月の光が差し込み、薄闇に銀色の縁を落とす。


その光の中、リリアはベッドの傍らに座っていた。


レンは、もう目を覚ましている。

朝には短い会話も交わせた。

でも今は、また穏やかな寝息を立てて、深く眠っている。


リリアはその横顔を見つめながら、小さく息を吐いた。


「……ねぇ、レン」


声は囁きのようにかすれていた。


「やっと目ぇ覚ましたと思ったら、開口一番“腹減った”とか言ってさ。

ほんと、何年寝てたと思ってんの……ばか」


言葉とは裏腹に、唇は微笑んでいた。

でもその笑みの奥には、ずっと抱えていた何かが滲んでいた。


「でもね……笑った顔、見たらさ、もう何も言えなかった」


目を伏せ、静かに続ける。


「“ずっと待ってた”なんて、そんなの……足りない。

だってあんたがいない間、私……」


「……世界が全部、灰色だった」


「冷たい手、細くなってく身体。

それでも、毎日話しかけたの。

お願いだからって、もう一度、声を聞かせてって」


喉が詰まり、言葉が止まる。


けれど、リリアはほんの少し笑って、続けた。


「戻ってきてくれて、ありがとう。

……本当に、ありがとう」


「もう、何もいらない。

私の人生、あんたのために使わせて」


「誰に何を言われても、どんな立場でもいい。

私は……あんたのそばにいるから」


リリアはそっと手を伸ばし、眠る彼の手を包み込んだ。


「もう、離れないからね」


そう囁いたとき、月明かりが窓を優しく照らしていた。


──彼女の想いは、今夜だけ、そっと夜に溶けていった。

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