『おてんば姫と逃げ出した午前中』

「リリア様が、また……!」


使用人のひとりが血相を変えて謁見の間に駆け込んできた。

レンは椅子の背から上着を取り、静かに立ち上がる。


「……今回は、どちらへ?」


「中庭までは確認されてます。ですが、その後は――」


「わかりました。僕が行きます」


返事を置いてレンは踵を返した。城の構造は頭に入っている。

逃げ場になりそうな場所も、全部。


というか――


(わかってる。たぶん、あそこだ)


中庭の先、小道を抜けた先にある温室。

花に囲まれたその空間だけは、彼女が子どもの頃から変わらず“好きな場所”だ。


案の定、そこには背中を向けてしゃがみ込む金髪の少女がいた。

白いドレスの裾は土に触れ、靴にはうっすら泥がついている。


「……また逃げましたね」


「ばれた?」


リリアーナが振り返って、いたずらを見つけられた子どものように笑った。

レンはため息をひとつだけ吐き、黙って隣に腰を下ろす。


「今日、誰が来るか知ってたんですか?」


「うん。貿易国の人でしょ? でもあたし、あの人たち苦手」

「……苦手でも、国を代表する王女ですから」


「わかってるよー。でもさ、昔はよかったなぁ。こうやって花いじってるだけで、毎日が冒険だった」


ふと、リリアがそっと一輪の花を摘み、じっと見つめた。


「レンってさ、あたしが最初に逃げた日、覚えてる?」


「……最初?」


「ほら、庭師の目を盗んで、柵の隙間から抜け出した日。あたし、あのとき初めて、レンに会ったんだよ」


レンは少しだけ視線をずらして頷いた。


「パン、盗んで走って……怒鳴られて逃げて、笑って。ほんとバカだったよね、ふたりとも」


「姫様が一番楽しそうでしたよ」


「今も、変わってないかも」


リリアはそう言って、摘んだ花をレンの肩にそっと置いた。


「……ほら。こうやって、迎えに来てくれるでしょ。昔からずっと」


レンは苦笑する。

怒ってるはずなのに、少しだけ心が緩んだ気がした。


「……次はちゃんと来てください。あと10分遅ければ、本当に公務が飛んでました」


「はいはい。次はもっと上手く逃げてみせるから」


「そこじゃないです」


笑い合った時間の中に、どこか昔の影が差していた。


“あの日”の記憶が、レンの胸を静かに揺らす――



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