第2話

ようやく、怒号どごう渦巻うずま会議かいぎを終えて魔物まものたちを部屋へやからすと、アリシアはぐったり椅子いすにもたれんだ。


「……ふぅ。やっとかえったわね……。」


 つくえの上には、まだやまのようにのこ書類しょるい。それでも、あの猛獣もうじゅうみたいなトロルたちや、ぬるぬるしたスライムの集団しゅうだんかこまれるよりはずっとマシだった。


 そのとき、いきおいよくドアがひらいた。


姫様ひめさま! 大変たいへんです!」


 んできたのは、王国おうこく勇者ゆうしゃ育成局いくせいきょく連絡員れんらくいんいきらせ、かおさおだ。


今度こんどなに? 書類しょるい誤字ごじ? 補助金ほじょきん追加ついか申請しんせい?」


 アリシアは書類をつまみ上げたまま、げんなりと問いといかえす。


「ち、ちがいます! 勇者様ゆうしゃさまが――予定よていとはちがうエリアにはいってしまいました!」


「はぁ!? なんでよ!? 関所せきしょ兵士へいしには、スライムぞくエリアのイベントがわるまでとおすなって通達つうたつしたはずでしょ!」


 アリシアのこえが、ぴしりと空気くうきめさせた。


「そ、それが……関所せきしょ兵士へいし交代こうたいしたさいに、引継ひきつぎがうまくいっていなかったみたいで……。」


 連絡員れんらくいんちぢこまりながらつづける。


「はぁ〜〜たよ、ヒューマンエラー……。あるあるだけど……人間にんげんだからね、うん。」


 アリシアはひたいさえた。ふか溜息ためいきれる。


 そのとなりで、側近そっきんのフェリスが小声こごえささやいた。


「ですが、姫様ひめさま……これは“あるある”ではみません。勇者様ゆうしゃさまはいったさきは、トロルぞくのエリアです。」


 アリシアの顔色かおいろがさっとわる。


「……トロルぞく? ちょっとって、いまあそこって……。」


むらち、村人全滅むらびとぜんめつふう)のイベント訓練を実施じっしちゅうです!」


うそでしょ!? いま勇者様ゆうしゃさまがそんなのたら――」


「ショックでなおれなくなるかもしれません!」


「やばい!!」


 アリシアは椅子いすからきた。つくえうえ書類しょるいがばさっとゆからばる。


 その書類しょるいうえで、ちいさな文字もじがきらりとひかっていた。

 ――勇者育成計画ゆうしゃいくせいけいかく だい212にひゃくじゅうにじょう勇者ゆうしゃ精神的せいしんてき健康けんこう保全ほぜんかんする規定きてい」。


 アリシアはそれを横目よこめながら、いきんだ。


「……いまからわたしくわ! 勇者様ゆうしゃさまめないと!」



 アリシアは連絡員れんらくいん指示しじばすと、すぐに関所せきしょかった。


 城門じょうもんけ、石畳いしだたみみちける。スカートのすそが大きくれた。


 関所せきしょくと、兵士へいしたちがひめ姿すがたあおざめる。


「ひ、姫様ひめさま! 申しもうしわけございません!」


 門前もんぜんっていたわか兵士へいしが、こえ裏返うらがえした。

 だがアリシアはあしめず、すりけるようにとおぎる。


べつにいいわ。」


「え……おとがめなし……?」


 兵士へいしがぽかんとつぶやく。


 一瞬いっしゅん、ホッとした空気くうきながれた。


 だがつぎ瞬間しゅんかん


「――ただし。勇者様ゆうしゃさまがメンタルブレイクしたら……おぼえときなさい。」


 アリシアのこえこおりのようにつめたかった。


 兵士へいしき、そのすわむ。


 アリシアはきもせず、けた。


 はやしけると、勇者ゆうしゃ背中せなかえた。


つけた……!)


 いきころし、先に勇者ゆうしゃが向かう予定であろうトロル族がいる村へ向かった。


 村にはいると、んできたのは訓練くんれん最中さいちゅう光景こうけいだった。


 巨大きょだいなトロルたちが、ときこえげてむら襲撃しゅうげきしている。

 エキストラの村人が、悲鳴をあげて逃げ惑う。


 すごい、本格的だ。でも、だからこそ!


「グルド・トロル会長かいちょう! 訓練くんれん中止ちゅうしです!」


 アリシアがこえげた。


勇者様ゆうしゃさま間違まちがってこっちにちゃったんです!」


「はあ? いまさら中止ちゅうしなんかできるわけねえだろがッ!」


 ふとうでまわし、グルド・トロルがえる。

 身長しんちょうさんメートルをえ、こえ木々きぎらした。


「どんだけ予算よさんかけてるとおもってんだ! 損害補償そんがいほしょうしてくれんだろうなァ!?」


 ゴツゴツしたかおをしかめ、グルドがつづける。


「このセットつくるのに、どんだけ時間じかんかけたとおもってんだよ! よう火薬かやくだって特注とくちゅうなんだぞ!」


 アリシアは必死ひっしことばさがす。


「わ、わかります! でも……勇者様ゆうしゃさまがこの惨劇さんげきたら、なおれなくなります!」


らん! 勇者育成ゆうしゃいくせいはビジネスだろが!」


 グルド・トロルのさけごえが、もりじゅうひびわたった。



トロル会長、グルド・トロルの怒声が、山々に反響する。三メートルを超える巨体が地面を踏み鳴らすたび、大地が微かに揺れた。


 「勇者様が間違ってトロル族のエリアに入っちゃったんです! このままじゃ心が折れちゃうかもしれないんですよ!」


 アリシアは必死に声を張る。しかしグルド・トロルは首を振り、血走った目で怒鳴り返した。


 「知るか! こっちはこのイベントにどれだけ予算かけたと思ってる! 火薬の賞味期限は今月末だし、エキストラの人件費も払い済みだ! 中止なんかできるか!」


 遠く、勇者リオの姿が小さく見え始めていた。もう時間がない。


 アリシアはきゅっと唇を噛み、決意を固めた。


 「……じゃあ、こうしてください!」


 短い打ち合わせの末、グルド・トロルは大きく鼻息を吐き、渋々頷いた。


 「ったく……しょうがねぇな」


 数分後。


 勇者リオは、人影のない村の広場に足を踏み入れた。


 「……おかしいな。さっきの地響きはなんだったんだ?」


 周囲をきょろきょろ見回すリオ。その前に、そろそろと顔を出した村人の一人――トロル族の若者が人間に化けたエキストラだ――がおずおずと告げた。


 「ト、トロルの襲撃がありまして! 村人たちは家に立てこもっています!」


 リオは眉をひそめ、ぐっと声を落とす。


 「トロルはどこに行ったんだ!?」


 村人役の男は必死に演技し、村の外れを指差す。


 「あちらの関所の方へ行きました!」


 「なにっ! なら俺が追いかけて、食べ物を取り返してくる!」


 リオは目を輝かせ、くるりと踵を返した。


 すると家々の戸が一斉に開き、中から村人役のエキストラたちがぞろぞろと飛び出してきた。


 「勇者様、最高ーッ!!」

 「がんばれー!!」


 ドン! ドン! ドドドン! 火薬の花火が次々に打ち上がる。夜空にぱっと光の華が咲き、勇者リオは目を丸くした。


 「えっ……?」


 歓声と拍手が村を包む。勇者祭りのような熱気が溢れ、リオは頬をかきながらも意気揚々と関所の方へ駆けていった。


 その背を、アリシアは物陰からそっと見送る。


 (今来た方向に逃げたんなら、すれ違ってるはずじゃない? なんて思うだろうけど……まあ、いっか!)


 リオの姿が見えなくなると、アリシアは安堵の息を吐き、ぐったりと肩を落とした。


 「何とか、うまくいったわね……」


 隣で、グルド・トロルが腕を組み、まだ不満げにぼやいている。


 「まったくよ。せっかく用意した村焼き討ちセットを、祭りに変更とかよ……火薬の賞味期限も人件費も、どうしてくれるんだ」


 アリシアは必死に説明する。


 「だから、お祭りにして花火を打ち上げる演出にしたんです! 勇者様を盛り上げるイベントにすれば、勇者育成計画として予算申請が通りますから!」


 「勇者様がメンタルブレイクして計画が破綻するよりは、ずっとマシでしょう!」


 グルド・トロルは鼻を鳴らし、渋々頷いた。


 「……ま、仕方ねぇな」


 アリシアは大きく空を仰ぐ。花火の残り火が空に霞み、彼女の瞳をきらりと照らした。


 (理想の勇者様を育てるんだもの。こんなところでつまずいていられない)


 そう決意を固めながら、彼女は王都への道を急ぐのだった。

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