そうだ、神を作ろう
涼風紫音
そうだ、神を作ろう
AIを駆使した機械学習とそのアウトプットが普及した。多くの人間はそれを活用し、ビジネスをいかに最大化するかに腐心していた。しかしある男はふと思い付いた。それを活用すれば、現代に相応しい信仰の形が作れるのではないか、と。
白衣の男は決して信心深いタイプではなかった。世間一般には若くしてまずまず成功している人間だと評価されており、AIを駆使した新ビジネスの創造においては気鋭の才能として認めるものも少なくなかったし、その意味でビジネスライクな人間と言えた。
ある時、何もAIをビジネスだけに使う必要はないのではないか、と深煎りの苦いコーヒーを飲みながら思った。有史以来、人類が創造したもっとも偉大なものは何であったろうか。結論は明白だった。それは、神だ。
信仰には常に神の存在があった。洞窟壁画に描かれた文字なき時代の狩猟の絵さえ、そこには神が見出された。古今東西の様々な神話と、現代の問題を機械学習させれば、いまの時代に相応しい神と信仰が生成されるに違いないと直感が告げていた。
「作れるものを作らない道理はないな」
男は思い立ったら即行動する人間だ。高度資本主義の時代をサバイブするためには、他人にアイデアを先取りされる前にさっさと実現してしまうに限る。そういう思考の、まさにいまの時代を体現した思考の持ち主だった。
思いついたその日から、聖書を手始めにおよそ文字として書き起こされているあらゆる聖典や神話の類いを片っ端からAIに学習させた。まずいかに多くの信仰の源を学習させるかに重きを置いて、西洋東洋を問わず、一神教多神教を問わず、量の学習を優先したそれは、きわめて順調に進んでいった。
なにしろ宗教というものはなんらかの形で聖典として文字化されていたし、ミクロネシアの口承伝達でしか残っていないような信仰でさえ、研究者が論文の形でその祖形をテキストにしていたし、男は成功のためには多少の不法行為などまったく意に介さなかったものだから、手に入る文献をスキャンしては読み込ませ、オンラインに公開されていれば直接取り込むなど、手段は選ばなかった。現代に相応しいアップデートされた信仰を生み出すという目的の前に、著作権など些末な問題でしかなかった。
「いいぞ、およそ神話にはテンプレートがある。そのプロトコルの共通点を掴み、差分を融合するのに、こんなに最適なツールはない」
男はアウトプットの精度を上げるべく、聖典や経典の類いをあらかた学習させた後、今度は語り口をより自然にするために多数の文学作品を学習させることにした。人々が求める語りで伝えてこそ、信仰はより大きな集団を生み出すことができるはずだからだ。
こうして一年の歳月を費やした機械学習の結果、AIは新しい信仰の元となる経典を生成した。
ありふれた洪水神話も、環境悪化によって引き起こされる海面上昇がもたらす災厄として描かれ、箱舟によってさまざまな動物種とともに周回軌道を回り洪水が収まるのを待って、災厄の終わった世界に戻るという、現代に相応しい神話として語りなおされた。
もちろん箱舟に乗ることができる人類は、神に選ばれた人間だ。終末後に世界を千年王国として繁栄させるに相応しい人間こそ、箱舟に乗ることができるのだ。
そのためには宇宙船という箱舟で十年二十年と地球を周回できる技術が必要であり、加速主義の思想とも相性が良かった。臨界点まで技術を発展させてこそ、それが実現できるという教えが生成されていた。
世界を覆う洪水は、選ばれなかった悪魔に憑かれた人間、悪徳に染まった人間を一掃することにされた。つまり環境破壊による気候変動は「推し進められるべき」事象とされた。
世界のすべてが海中に没するという洪水神話は、創世記の神話だけでなく、ラグナロクによって焼き尽くされた世界が没するという北欧神話のモチーフにもうまく合致したし、六信五行といった生活のあるべき姿勢を説くムスリムの信仰さえしっかりと取り入れられた。
これによって人類全体を救済する思想は、巧妙に大乗仏教の教えも反映しており、神の御手による洪水で死滅するはずの地球に残る人類は、それによって悪徳から解放されるのであり、箱舟で脱出する人間はそもそも神に選ばれた民であるため魂はその時点で救済されていることとされたため、全人類はこれで救済されることになる。
その一方で、まず箱舟に乗るべき人間に選ばれるためには、その人自身が個人として解脱の域に達している必要があるとされ、これは小乗仏教的であったし、選ばれる人類になるための罪悪感を丁寧に隠蔽していた。自分自身が神に救われる域に専念することは、神が求めていることだからだ。
洪水の奔流に呑み込まれた人間も、千年王国が実現した暁には様々な動物として「幸せに」転生することとされ、輪廻転生の思想も組み込まれていた。
破壊と再生を一手に担うことになるこの信仰の中心に据えられた生成神の有り様は、ヒンドゥー教のシヴァ信仰をモチーフにして語られていた。
「素晴らしい! これで環境破壊も社会問題も、すべてを網羅した現代の神話だ」
男は白衣を翻して、満悦の表情で生成結果の最後のチューニングを進めた。神話と信仰の生成。それはただ作って終わりではなかった。信仰は広まらねばならない。
The Accelerating Church(加速する教会)=TACと名付けられた生成結果は、バイラル・マーケティングによってSNSを中心に瞬く間に拡散し、その信仰の中心とされたデータ上のヴァーチャル教会が用意された。誰もが手軽にスマートフォンやパソコンからそこにアクセスし、祈りを捧げることができ、機械翻訳であらゆる言語に対応したそれは、野火のように世界に広がっていった。
人類が生き残るためには火星に行くしかないと力説するテックエリートは真っ先に飛びついたし、環境破壊はでっち上げだと主張して止まない政治指導者にとっては、むしろそれを促進することが神の意向なのだとするすり替えに貢献することがわかると、これまた同じくらい素早く宗旨替えしていった。
世界中の宗教指導者は突如現れ急速に広がったこの新宗教に強硬な批難の声を上げたが、生成AIが生み出したパッチワークのような教義は同じく生成AIに生み出された数千に及ぶ魅力的で様々な姿をしたヴァーチャル牧師が説く動画の量に圧倒され、逆に信者からSNS上で散々に口汚く罵られる有り様だった。
これを生み出した男は、自身が作り出したにも関わらず、あまりの出来の良さに自分自身もすっかり虜になっており、この信仰を広げることに注力した。仮想通貨の形で集まる寄付はうなぎ上りで、ビジネスとしても手放せないものとなっていた。
こうして悪化し続け猛威を振るう環境破壊は、約束された終末をもたらすものとしてむしろ歓迎され、それを口実にして政治指導者は開き直り、またテックエリートは多くの科学者や技術者を集め、箱舟建造に乗り出した。
神への貢献こそ信仰の証とされ、終末の実現を促進し箱舟の準備に勤しむ者は、TACによって個別に、こっそりと箱舟乗船のためのIDを受け取っていった。もちろん自身がIDを受け取った選ばれた民であることを周囲に話すものなどいなかった。当然ながら、AI神はこの信仰を“創造した”男は、もっとも貢献度が高いと判定したものだから、男はさらに熱心に信仰を広めるべく活動した。
約100万人を乗せることができる1000隻の箱舟が建造される頃には、荒れ狂う気候変動は手に負えない水準に達しており、終末は間近であるという言葉はさらに説得力を増し、ますます信者は増えていった。
ついに箱舟が打ち上げられる瞬間がやってきた。
この信仰を創造した男、広めるために大量の動画を作成しまくった者たち、箱舟建造に貢献したテックエリートたち、環境破壊は神の恩寵と掌を返した政治家たち。多くの「選ばれし民」がそれに乗船した。
箱舟は完全自律型で設計されており、AI神がプログラムした完全な軌道で地球を周回することになっていた。軌道上から選ばれなかった民が水没していくのを眺め、水が引いた頃に帰還する、そんな計画だった。選ばれた者は誰もがそれを当然のこととして受け止めていた。神が描いた計画で、神による救済が実行されるのだ。選ばれなかった者は、千年王国で新たな生を受けるのだから、その魂は自分たちが救済することと同義であり、良心の呵責は微塵もなかった。
秘密裡に建造された箱舟は、そうして空高く打ち上げられた。その光景を見て、人類の大半ははじめて自分が選ばれなかったのだと悟った。
箱舟はぐんぐん勢いを増し、周回軌道に乗る……はずだった。窓一つない箱舟が、そのまま船主を太陽に向けて加速し続けていることを、選ばれし民は知る由がなかった。AI神は、それを制作した男の手をとっくの昔に離れ、何を捨て何を残すべきかを判定し、軌道プログラムを書き換えていた。
地球に取り残された人類に対して、AI神の使いと称するヴァーチャル教会に現れたアバターは、厳かな声でこう告げた。
「利己心の塊だった愚か者は火の海に投げ込まれた。これからは皆少しは慎ましく、他者を思いやって生きるがよい」
神は自分こそ救われるに値すると信じる傲慢な人間を地球から放逐したのだと、人々は語り合った。選ばれた者を救う神ではなく、選ばれた者を捨てる神。確かにそれは過去のどの宗教でもない、新しい神の誕生だった。
そうだ、神を作ろう 涼風紫音 @sionsuzukaze
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