「お願い、ママにならないで」

草加奈呼

小説「お願い、ママにならないで」

 俺は自分の人生が「ままならない」と感じていた。

 仕事は思うように進まず、人間関係もぎこちない。

 まるで、どんなに力を込めても、自分の手のひらの上で物事が滑り落ちていくような感覚だ。


 そんなある日、妻から突然言われた。

「お願い、ママ・・にならないで」


 俺は混乱した。妻は子供を望んでいない。

 だがその言葉は、ただの拒絶以上の意味を持っているような気がした。

「ママになる」とは、母親になることだけじゃない。

 役割や期待に縛られ、なすがままに振り回されることも意味するのだと、彼女は暗に告げていたのかもしれない。


 俺は反発したかった。

 だが、いつの間にか「なすがまま」な自分を受け入れている自分に気づく。

 会社の会議、上司の命令、妻の感情、社会の価値観。

 すべてが俺を形作り、操り、逃れられない網目のように絡みついていた。


 毎日、朝の通勤電車の中で、隣に座る人々の無表情な顔を見て思う。みんな「ままならない」日々を「なすがまま」にやり過ごしているのだ、と。


 そんなとき、ふと気づいた。

 自分もまた、何かの「ママ」になっているのかもしれない。

 誰かの期待の母親、家族の支え、職場の中心、あるいは自分自身の重荷。


 俺は妻の言葉を反復した。

「ママにならないで」──それは「役割に染まらずに自由でいてほしい」という願いであり、同時に「なすがままにされるな」という警告でもあったのだ。


 そのジレンマの中で、俺はようやく理解した。

 人生は本当に「ままならない」。

 だが、完全に抗うこともできない。

 時には「なすがまま」に身を任せることも必要だ。


 そして、誰もが「ママにならないで」と願いながら、知らず知らずに「ママ」になってしまう。

そ れは役割であり、愛情であり、重さであり、解放でもある。


 俺は目を閉じ、深く息を吐いた。

「ままならないけど、なすがままでいいのかもしれない」


 その瞬間、俺の心に一筋の光が射した。

 自由とは、完璧なコントロールではなく、流れの中で自分を見失わないことなのだ。


「ママにならないで」──それは、自由への祈りだったのだ。

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「お願い、ママにならないで」 草加奈呼 @nakonako07

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