ただ愛を紡ぐ物語
春風ほたる
日常が壊れた日
強くなりたいと願った。強くなると誓った。私は強くなれただろうか。
――。
「美月?」
うん、ちょっとは強くなれた……はず。だってあんなに過酷な修行をしたんだもん。強くなれてないとおかしいよね。
「おーい」
あ、ティッシュティッシュ。さっきから鬱陶しいぐらい鼻水が止まらないんだよね。何でだろ?
「みーつーき」
鼻をかみ、ティッシュをバックにしまったところで脇腹に強い衝撃を受けた私は、ようやく思考の海から現実に舞い戻る。
「わっとっと。もー何? ひめ」
バランスを崩しながらも、抱きつき攻撃をしてきた犯人――ひめを受け止める私。おや? ひめを受け止めることができたってことは体幹も鍛えられてきたってことかな? 毎日の特訓の成果が出てきたってことか。やったぜ。
「美月、さっきから返事しない。もしかして私いらない?」
おやおや? ひめの発言から察するに、もしかして私ひめのこと無視しちゃってた? あちゃー、いけないいけない。こうやってすぐ自分の世界に入り込んじゃうのは私の悪い癖なんだ。直さないとね。
「ううん、そんなことないよ! その、……ごめんね?」
ひめに向き直り、抱き返しその頭を撫でながらひめに対し素直に謝る。ごめんねひめ、無視しちゃって。
無視するなんて人として最低な行為だ。それをよりにもよって大好きな人に対してやっちゃうなんて。……はぁ。私サイテー。落ち込んじゃうなぁ。
私が落ち込んでいることを察してか、ひめはホールドをさらに強め密着度を高くした。そして私の谷間に顔を埋めながら、ひめは私にこう命令した。
「あと十秒……こうしてくれたら許す」
何と、最低な行為をした私をひめは許してくれるつもりらしい。条件付きで。ひめ優しい。大好き。
あ、鼻水垂れてきた。……ずびび。
きっかり十秒経った後、ひめはホールドを解除する。もぅ、律儀なんだから~。もっとずっとぎゅーってして良いんだよ。ウェルカムひめ。
「ひめ。ほんとにごめんね」
名残惜しくもホールドを解除した後、私はもう一度ひめに謝った。謝るのって大事だよね。悪いことしちゃったんだから。
「もう大丈夫。さっきのでチャラ」
やだひめったらイケメン。こんな私を許してくれるなんて。なんてかっこいいの。かっこよくて優しくて可愛くて……あれ? うちの幼馴染最強だ。
ぶわっと私の両目から水が溢れ出す。
「ひめー!」
何万回か目の惚れ直しでひめに対し抱きつきに行こうとする私。そんな私の顔面をひめは易々と片手で抑えた。
「へぶっ」
抑えられたもんだから、思わず変な声が出た。
「美月、また泣いた。その泣き癖治した方が良い」
ひめは私の顔面を抑えていた手をそっと下ろし、淡々と私にそう告げる。
あ、ひめってばさり気なくその手ハンカチで拭いてる。まあしょうがないよね、私の鼻水と目汁でびちょびちょになっちゃたもんね。うん、傷ついてなんかないさ。
「泣いてないもん」
「じゃあその目から出ている涙は何?」
ギクッ。
「これはえーっと……目汁」
「じゃあその鼻水は?」
ギクギクッ。
「これはねー……そーだ! 花粉症なの!」
「嘘。美月花粉症無い」
ギクギクギクッ。
「えーっとそれは……そう! 突発性! 突発性花粉症なの!」
「ふふっ。何それ」
あ、ひめ笑った。可愛い。反則級に可愛い。惚れた。いやもう惚れてたわ。
そうして二人でひとしきり笑った後、私はおもむろに前に歩を進める。ひめと共に歩く輝かしい未来のために。
そして後ろに居るひめに対し手を差し出してこう言った。
「じゃあ行こっか」
ひめは私の手を素直に取る。そして二人で手を繋いで今いる場所――映画館から出たのだった。
――これが運命の分かれ道とも知らずに。
***
過酷な修行『映画館でホラー映画を見る』を達成した私は、それはもうルンルン気分でひめと手を繋ぎながらショッピングモール内を散策していた。
いやぁもう舞い上がっちゃうなぁ。ひめとのデートってだけでももう有頂天なのに、そのついでにあんな過酷な修行を終えるなんて。
私の気分は、それはもう舞い上がっていた。舞い上がり切っていた。だから許してほしい。今から言ってしまったこれはただ口が滑っただけなんだ。決して能天気に何も考えていなかったわけじゃないよ? ほんとだよ?
「いやぁ、にしてもさっきの映画面白かったねぇ」
何気ない会話のための一言。それに対しひめはガブッと食い付いてきた。
「……それ、本気で言ってる?」
ひめは今下を向いているから表情は分からないが、何故か肩がわなわなと震えている。ひめ、怒ってる? なんで?
「ん? どうしたのさ、ひめ」
わけが分からないから素直にひめに問いただす。こんな時、自分の馬鹿さ加減に呆れる。
「聞いてるのはこっちの方。さっきのは本気で言ったの?」
「さっきのって?」
「映画が面白かったって」
「あーうん、映画面白かったよねぇ」
ひめが怒っている意味が分からない。何? 何に怒ってるのひめ。私馬鹿だから分かんないよ。
私がどうしようどうしようとわたわたしていると、ひめがいきなり詰め寄ってきて早口でこう言った。
「面白かったっていうならどのシーンが面白かったのか明確に言って」
このひめの剣幕何? 怖いよひめ。何がそんなに怒り心頭なの?
「あ、あ~……ゾンビ? がやられるシーンとか?」
私がしどろもどろになりながらも適当に答えると、ひめがいきなり抱きついてきた。
ぽふっと私の胸元に収まるひめ。先程のような怒気は感じないが、未だ肩が震えている。そしてひめは私にこう言ったのだった。
「お願い。無理しないで」
「無理? 何のことかなぁ? 私は無理なんてしてないよぉ?」
「嘘。今日だって怖いの我慢して映画見てたの知ってる。ずっと半目だったし」
あちゃー、バレてたか。半目。きっとブッサイクな顔してたんだろうなぁ。ひめには見られたくなかった。
「我慢? してないしてない。ほら、さっきだって映画のワンシーン覚えてたでしょ?」
「美月。ゾンビがやられるシーンなんてなかった。そもそもあのホラー映画ゾンビ出てきてない」
マジか。
つまりひめは無理してまでホラー映画を見たことに対して怒ってるんだね。なんでそんなことするの? と。そんなことしなくても私は見捨てないよと暗に伝えてくれているわけだ。優しいなぁひめは。
「ごめん」
自然とその言葉が私の口から紡がれていた。
ごめん。ごめんねひめ。でも私、これからも強くなるための修業は止めないつもりだよ。『強くなる』それが私の人生の目標だからね。
っていうか今日はやたらとひめに抱きつかれるなぁ。何だろう、こんな気持ち本来は抱いちゃいけないんだろうけど……役得だ。
だがいつまでもこうしているわけにはいくまい。いつまでもこんな風に二人抱き合ってたら不審な目で見られるし、何より通行の邪魔になる。名残惜しくも私はホールドを解除した。
少しの間訪れる沈黙。珍しく私は今ひめと気まずくなっている。このままじゃ駄目だと私は口を開いた。
「「あ」」
と同時にひめも口を開いた。所謂ハモッたという奴である。気まずさを更に高める部類の。
「ひめどーぞ」
「いや美月が先に」
この後の王道は「いやいやひめが先に」だが、私はそんなことはしない。だって時間の無駄だし。こういった場合、大体私は率先して口を開く。「あ、じゃあ私から先に言わせてもらいますね」という感じに。
さぁ言うぞ、言うぞ~。
「あ……甘いものでも食べに行く?」
そうそう、私今丁度糖分欲してるんだよねぇ。あ、別に誤魔化したとかじゃないよ。ほんとだよ?
「ふふっ。うん。食べに行こう」
ひめも乗り気なようだし、レッツ糖分パーリィだー! いっぱい食べるぞー!
と、私が意気込みスイーツを目指して歩き出そうとしたその時――。
グォォォォォオオオオオ!!!!
――地割れと共にそれは現れた。
「え? きゃっ」
尻餅をついた後目を開けた私は、まず自分の目を疑った。
「なに、あれ」
地面が割れ、その中から異形の怪物が姿を現そうとしていた。
赤黒い肌に盛り上がった筋肉。顔と思われるそれはまさしく鬼といった形相をしており、その恐ろしい目と目が合っただけで身体がすくんでしまう。身体はまだ全体を現していないから分からないが、おそらく五メートルはあると思われる。おまけに手には、その巨体にふさわしい大きな棍棒が握られていた。
「「「キャーーーーーーーー!!」」」
「「「う、うわぁぁぁぁあああああ」」」
この場は一瞬で恐怖に陥った。
人々の行動は大きく二つに分かれた。恐怖のあまり逃げ出す者、状況に追いつけず啞然とする者。
私たちは後者だった。だが、いち早く逃げるべきだったんだろう。
「ひぃっ!?」
目が、あった? え? 私たちの方に向かって来てる?
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
明らかに私たちに向かって来てる。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。さっき見たホラー映画とは比較にならないくらい怖い。恐怖で足が動かない。
そうこうしているうちに、怪物は私たちの目の前まで来て、足を止めた。
このままでは殺される。そう思った私は、恐怖で動かなかった身体を、最後の勇気を振り絞って――。
「ひめ!」
逃げるのではなく、親友を突き飛ばすために使った。
直後、私の背中に隕石が直撃したかのような衝撃。
「かはっ!!」
「美月!」
突き飛ばしたはずのひめが、すぐさま私に駆け寄ってくる。
「駄……目。……逃げ……て」
獲物を逃したのが悔しかったのだろうか。怪物は、今度こそと棍棒を構えて、ひめへと棍棒を振り下ろそうとして――。
グォォォォォオオオオオ!!!!
突如もがき始め、そして消えていった。まるで何もいなかったように。今の出来事が全て夢だったかのように。
もちろん夢などではない。それは、この背中の痛みと、周りの状況が、そして何よりも割れたままの地面が示している。
ガラスは割れ、人々は未だ錯乱し、店内は大混乱。地面には大きな足跡まで残っている。
今の出来事は、決して夢などではなかった。
「美月? 美月! 美月美月美月! うわぁぁああん!」
泣き叫びながら、何度も何度も私のことを呼ぶひめ。
良かった。ひめは無事だった。私はひめを助けられたみたいだ。だから――。
「ひ……め」
だから私はひめをそっと抱きしめた。
ひめ、泣かないで。君は助かったんだよ。まるで赤子をあやすようにひめを抱きしめ続ける私。
ひめ。私かっこよかった? 私あなたのヒーローになれたかな? 私……強くなれたかな?
強く、なれてないんだろうなぁ。だって強い人はこんなに親友を泣かせたりしないもんね。ごめんね、ひめ。
強く、なりたかったなぁ。
そんなことを思いながら私は意識を闇の中に落としていったのだった。
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