第8話
「まあ!エレノアそのように大声で泣き叫ぶなど……。あなたは皇太子妃になるのですよ?みっともなく泣くのはお止めなさいな!」
オフィーリアに抱き着いて泣いていると、騒ぎを聞いてかけつけてきたお母様から冷ややかな視線と言葉を浴びせられた。
私は条件反射でビクッと身体を震わせる。
「エレノア。あなたは決して人前では泣いてはなりません。侍女にすら泣き顔は見せてはいけません。厳しく教育したと思ったのに……。もっと教育にかける時間を増やさなければなりませんわね。」
お母様はため息交じりにそう言った。
「まあ。お母さまったら。エレノアお姉さまは十分すぎるほど勉強なされているわ。これ以上エレノアお姉さまに期待しないでくださいますか?私が、エレノアお姉さまに変わって皇太子妃になるんですもの。」
「オフィーリア。あなたまで私を困らせないで頂戴。私はね、オフィーリア。あなたには何不自由なく幸せになって欲しいのよ。皇太子妃になるのだけは反対だわ。オフィーリアが皇太子妃になったって幸せになんてなれないわ。重責に押しつぶされて萎れていくオフィーリアなんて見たくないわ。オフィーリア、あなたは幸せに笑っていて頂戴。」
「嫌よ。私は皇太子妃になって王妃になるの。この国の女性の頂点に立つのはエレノアお姉さまでなくて私よ。」
「皇太子妃になるのはエレノアよ。これだけは産まれた時から変わらないの。なんのために高い教育費をエレノアにかけたというの。それがすべて泡に消えてしまうのよ。オフィーリアはエレノアの分も幸せにならなければならないのよ?」
お母様の私に対するお怒りは、オフィーリアの発言ですっかり静まったようだ。
代わりにオフィーリアのことを心配そうに見つめ、オフィーリアに皇太子妃になろうとしないように説得している。
けれど、甘やかされて育ったオフィーリアが納得するはずもない。
自分の意見を押し通そうとする。
「私は皇太子妃になってこそ幸せになれるのよ。他は嫌よ。」
「オフィーリア……。まったく、エレノアがしっかりとしていないから、オフィーリアがこのようなことを言い出すのよ。エレノアがもっと皇太子妃らしくなってくれていれば……。明日からもっと厳しくしますからねっ!」
オフィーリアのことを説得できなかったお母様は、今度は私に矛先を向けた。
オフィーリアにはめっぽう弱いお母様だが、私には強気だ。
「……はい。」
お母様に逆らうことができない私はしぶしぶと頷いた。
「エレノアお姉さまっ!そこは反論なさってくださいませ!これ以上教育は不要だとおっしゃってください!これ以上エレノアお姉さまの自由を奪ったらエレノアお姉さまが壊れてしまいます!」
「エレノアはそのくらいでは壊れないわ。エレノアにはより完璧な皇太子妃になってもらわないと困るのよ。」
お母様に頭を下げた私をオフィーリアが声を荒げる。
オフィーリアのその言葉はどこか私のことを案じているような響きがあった。
でも、きっと私の気のせい。
私がお母様に逆らって皇太子妃らしくないおこないをすれば、私の代わりにオフィーリアを皇太子妃として自分がとって代われると思ったに違いない。
オフィーリアが私のことを気遣ってくれていると思ったのは、きっと、私の気のせい。
お母様とお父様に愛されて甘やかされて育った我が儘いっぱいのオフィーリアが私のことを気遣ってくれるだなんて、そんな都合の良い話はないだろう。
だから、気のせい。
結局、オフィーリアの意見はお母様には通らず、私は翌日から皇太子妃教育の時間を増やされてしまった。寝る時間を削って皇太子妃教育は行われた。
「エレノアお姉さま、ひどいクマよ。やっぱり私はエレノアお姉さまが皇太子妃になることは反対だわ。皇太子妃になることは諦めて、私に譲ってちょうだい。お母さまにもそう言ってちょうだい。お願いよ、エレノアお姉さま。」
翌日、寝不足で朝食の場に現れた私にオフィーリアはそうかすれた声で懇願してきた。
「お母さまっ!もうこれ以上エレノアお姉さまを追い詰めないでくださいませっ!」
食事の席にお母様がいらっしゃったのを見て、オフィーリアが声を上げた。
お母様は私にチラッと視線を向けて苦々しい表情をする。
「オフィーリアあなたはとても優しい子に育ったわね。私の自慢の娘よ。でもね、エレノアはまだまだ足りないの。皇太子妃になろうというのに、エレノアにはその自覚がないみたいなのよ。もっとエレノアには頑張ってもらわなければならないわ。」
「そうだ。母さんを責めるのは間違っているよ、オフィーリア。優しいオフィーリアはエレノアのことが心配なのかもしれないが、これはエレノアにとって必要なことなんだ。心配いらないんだよ、オフィーリア。」
お母様とお父様からの過剰なまでの期待が私に重くのしかかる。どうして、私ばかりという気持ちが膨らんでいく。
オフィーリアはお父様とお母様からの深い愛情をもらって自由に過ごしているのに。
どうして、私のことはお父様もお母様も心配してくださらないんだろう。
どうして、私は自由に生きることができないのだろう。
「どうして!どうしてエレノアお姉さまが皇太子妃にならなければならないのですかっ!エレノアお姉さまの顔を見てくださいませっ!頬は痩せこけ、目の下にはクマが出来ております。目に生気だってありませんっ!このままでは、エレノアお姉さまは……エレノアお姉さまはっ!!」
オフィーリアは淑女にあるまじく声を荒げてお父様とお母様に感情をぶつけています。
それは、私には許されていないこと。
私が声を荒げて抗議したところで、教育がなっていないとお叱りを受けて罰を受けるだけ。
けれど、オフィーリアが声を荒げて感情を全面に出しても、お父様とお母様は困ったように微笑むだけ。
どうして、オフィーリアと私はこんなにも違うのだろうか。
同じお父様とお母様から産まれた子だというのに。
「エレノアは大丈夫だと私たちは信じている。オフィーリアが言うようなことにはならないから安心しなさい。エレノアはオフィーリアが思うより強い。」
お父様はオフィーリアを優しく宥める。
「どうして、大丈夫だと言えるのっ!?ちゃんとにお父さまとお母さまはエレノアお姉さまのことを見ているの?エレノアお姉さまはお父さまとお母さまの人形じゃないのよっ!!」
「オフィーリア、聞き分けのないことを言うのはやめてちょうだい。お母さまとても困ってしまうわ。」
お母様は困ったようにオフィーリアのことを見つめている。
この人たちに何を言っても、皇太子妃になるエレノアと、可愛い可愛い娘のオフィーリアでしかないのかもしれない。お父様もお母さまもオフィーリアと私のことを見ていないのかもしれない。
そう気づかされた。
もしかしたら、お父様とお母様はオフィーリアのことを可愛がって表面上愛しているように見えるが、実際は娘を可愛がっている親を演じているのではないかと勘ぐってしまう。
「お父さまもお母さまも、ちゃんとにエレノアお姉さまを見てちょうだいっ!」
「エレノアのことは、ちゃんとに見ている。エレノアは皇太子妃として問題ない。ジュドー殿下もエレノアの仕上がりにきっと満足なされるであろう。」
「私もエレノアのことは見ているわ。エレノアだったら皇太子妃として教育を受けれていれば問題ないわ。」
「エレノアお姉さまは今にも倒れそうだわっ!ほんとに見ているというのっ!!ちゃんとにエレノアお姉さまのことを見ていらしたら、これ以上エレノアお姉さまに勉強しろだなんて言えないはずだわっ!」
「……オフィーリア。ありがとう。大丈夫よ、私が頑張ってお父様とお母様の期待に応えれば良いだけだから。」
オフィーリアが私のことでお父様とお母様にくってかかってくれているのはとても嬉しい。
お父様もお母様も私のことを表面上しか見てくれていなかったけど、オフィーリアだけが私のことをちゃんと見ていてくれたような気がしたから。
でも、これ以上オフィーリアがお父様とお母様に反論をしても無駄だと感じた。
お父様とお母様は可愛くて天真爛漫なオフィーリアの偶像を愛でているだけのようだから。
きっと、オフィーリアがお父様とお母様の意にそわないことを何度訴えても、二人は困ったように笑うだけで取り合ってはくれないだろう。それは、きっと私も同じ。
お父様とお母様は理想の家族を演じているだけなのかもしれない。
「でもっ!エレノアお姉さまっ!!」
「オフィーリア、まずは食事にしましょう。それからゆっくりあなたと話したいわ。」
大きな目に薄っすらと涙を浮かべながらオフィーリア淑女らしくなく訴える。けれど、そんなオフィーリアの姿が私にはとても魅力的に見えた。
お父様とお母様に聞かれたらきっとオフィーリアと話している時間があるなら勉強しなさいと言われることだろう。だから、オフィーリアにだけ聞こえるようにオフィーリアの耳元で囁いた。
オフィーリアはこくりと小さく頷いて答えた。
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