第2話 出会い

 ‘それ’は夏の庭に、ある日突然現れた。

 私と母が草むしりをしているのを、網戸越しに眺めていた、当時小学校高学年だった娘は、暑さに負け始めた何かの花の低い木の木陰に、白黒の子猫がいることに気がついた。日陰でも暑いのか、具合でも悪いのか、呼吸がやや荒かったと、当時を振り返った彼女は言っていた。

元来猫好きの娘は、咄嗟に(あ、猫だ。かわいい…)と眺めてしまい、‘それ’に、首輪がついていない事、そのわりに祖母のすぐ近くの木陰で平気で体を横たえている状況の違和感に気づくまでにしばらくかかったらしい。


「ババ、おかぁ、猫がいる!!」

「はあ?そらいるろぉが、うちの中に」


 ババと呼ばれた私の母が、それはそれは流暢な方言で、家に飼われている猫の事を言うと、娘は焦った声を出した。


「ちがう、違う!ババの後ろ、何か知らないけど木の陰で横になってるんだって!」


 そこまで言われて、私と母が漸くそちらを振り向くと、娘の言った場所には確かに、牛のような白黒模様、特に顔はバットマンのように口元までが黒い毛で覆われた、ピスタチオ色の大きな目の…ガリガリの猫がいた。


「逃げないね。具合悪いのかな?」

「あんた、どこの子〜?」

「誰ら、お前」


 娘、私、祖母の声が重なる。その様子に目を丸くして小首を傾げた猫は、存外に大きな声で一声鳴いた。

 …おおよそ猫とは思えない、『えう〜』としわがれた声で。


「え、う〜…?変なの!」


 笑い出した娘に応えるように、猫は網戸の方へ寄って行き、再度鳴くと、次に首を後ろに捻って驚いている祖母の腰にその頬を擦り付けた。それはまぎれもなく、人馴れした猫が甘えたり、人間と関わろうとする仕草だった。


「もしかして、迷い猫…?」


 決して捨て猫だなんて思いたくなかった私の気持ちを、どうかわかって欲しい。

炎天下の中に、まだ幼さが残るように見える小柄な猫が捨てられたなんて、考えたくもない。

 −…だがその願いも虚しく、その日から一週間、特徴的な鳴き声から娘に「えうちゃん」とあだ名をつけられたその猫は、毎日のように庭にいた。たまに姿がないと思っても、どこからか嬉しそうに鳴きながら駆け寄ってくる。こうも嬉しそうに寄って来られると、情が移ってしまうのは人の性。まずは娘が、そして私、母と、えうちゃんが来ると、ついおやつや食事を出すようになってしまった。都合のいいことに(?)当時から我が家には猫がおり、彼の為の食事やおやつの用意がある。当のその猫は、自分のおやつやご飯が外の猫に与えられる様子を、窓越しにきょとんと眺めていた。思えばこの時、この猫が全く‘えうちゃん’に対して威嚇や嫉妬をする素振りがなかった事も、不思議ではある。

 人間はそれを後付けで『運命』などと言いたくなる事に気づいて苦笑するまで、そう時間は必要なかった。

 やっぱり、この子は…。私、母、娘、夫、そして認知症で介護サービスを利用しながらも自宅生活をしていた父、の家族が、互いに口には出さずとも、何となく‘そう’思い始めた頃。ついに痺れを切らした『えうちゃん』は、大胆な行動を起こした。

 ある昼下がり、学校が夏休みに入った娘が、いつものように『えうちゃん』に話しかけようと網戸を開けた所、なんと彼女は庭から4、50cmは高さがあろうかという窓から我が家に上がり込んだのだ。


「うわぁ!えうちゃん、入っちゃだめだよ!」

 娘は、言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな声で言いながら、それでもそっと『えうちゃん』を外に追い出した。地面に着地して尚も『中に入れて』というように後ろ足で立ち上がる痩せ細った猫の状況を、もう気のせいにはできない。

 やっぱりこの子はどこかの迷い猫などではなく、捨て猫なのだと、その時私も娘も確信した。

 その日から『えうちゃん』は、私や娘が外出先から帰ってきた時に玄関近くまで出迎えたり、ときには帰りを待っているようになった。元来猫好き一家。こんな事までされてしまっては、もうだめだ。

 何度目かの夕方のお出迎え、私の車の音を聞いて近くまで駆け寄ってきての『えう〜』の大歓迎を受けた後、私と娘は、彼女を洗濯ネットと、当時家にいた猫には小さくなり始めていた猫キャリーで捕獲して、そのまま動物病院に向かったのだった。

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