アウラの消失したテレビ

歴史家伝田匡彦

第1話

ヴァルター・ベンヤミンのアウラの消失とは、


アウラ、一回こっきりの複製のできない生ライブ感というか偶然的な邂逅のもつ呪術性、


ということらしいが?


テレビは少し前から既視感のあるものばかりで、


生の討論番組もどこにも知られてない発想などを持ちこむことは滅多になくなり、スポーツも日本がサッカーワールドカップで優勝してもさして驚かない世の中の雰囲気、、、


すると、旅や神社巡りも控えるように。


なぜかと言えば、テレビで見たものを目の当たりにするだけでは満足度が高くないから。


すると、日々の生活、テレビの楽しみ方が変わり、今日のスパゲティの味つけは何点だとか、味がちょっと違うことを楽しむとか、今日の〇〇さんは相変わらずだが、着ているものはなんだろうという小さな差異を評価することで毎日の喜びにする非ドラマチックなセンシティブな体調になっていく。イレギュラーなことは身体に悪いとでも言わんばかりに。


だから、


わたしが提示するエンタメは?


根底からその一回性の邂逅の根源のアナザーワールドの見知らぬ場所、地名、名字、人があったとしたら?


という可能世界、、、


わたしは昔からいて、


人によっては傳田さんなんているわけないよ、、、


という人が最近、知ったとしたら、


わたしの出会った名字の人とどれくらいリンクするのかとか、


要するに可能世界って地域でしょ?


とは思われるが、必ずしもそうとは言えず、


かなりラジカルなんだが、そこに千葉市美浜区真砂はあり、わたしの家はある。


しかし、同時にちょっと違う家族が同じ部屋に住んでてお互いに硬さはあるが?


仏教の空で?


一方がリジッドなときには片方は煙のようで?その逆もあり、、、


という痕跡がネット空間には嘘みたいな話しは花盛りだし、


現に3次元でおかしな現実に迷宮入りしちゃったとしたらみんなは面白くないが、


好きな人は好きな世界!?


しかし、それは怖いことでないことでも?


象徴としてのアナザーワールド、パラレルワールド、とは、


例えば、開成高校と北海道の公立高校と福岡のどこかのオフィスでは?


出会う人の考え方もそもそも名前もかけ離れるだろう。


テレビタレントの名字にわたしは大抵でもないが知ってはいるが、


世の中にはまったく知らない行動原理と仲間でかたまる生き方の人もいるのかなあ、、、


とか考える。

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アウラの消失したテレビ 歴史家伝田匡彦 @dennou_chiba_makuhari

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