第20話「緑の宴と、約束の口づけ」

あれから――

畑には少しずつ、けれど確実に花が増えていった。


小さな双葉だった苗が伸び、茎を太らせ、いつの間にかその先に色とりどりの蕾をつけていた。


紫や白、薄い紅色の花びらが畑のあちこちに咲き誇る。


瘴気に染まった風が吹いても、もうあの頃のように簡単に枯れたりはしなかった。


「……凄いな」


ルキナが畝の間を歩きながら、小さな声で呟く。


「これが全部……お前が耕してきた土地に咲いてるんだな」


「俺だけじゃありません。ルキナ様や、みんなが守ってくれたからです」


「……ふふ、そうやって私に花を持たせるのはお前らしいな」


でもルキナはその顔を少しだけ赤らめ、咲いていた花にそっと触れた。


「冷たい鎧の上じゃ感じられなかったな……こんな柔らかいもの」


その横顔を見ていたら、胸の奥が熱くなる。


俺は思わず鍬を置き、そっとルキナの手を取った。


「……リク?」


「ルキナ様。少し……顔、こっちを向けてください」


ルキナは一瞬驚いたように目を見開き、それから静かに瞳を閉じた。


その唇にそっと触れた。


短く、けれど確かに――二人の息が重なる。


「……ん」


熱が指先から伝わってくる。


離れたルキナの顔は、いつものどんな戦場に立っている時よりも赤かった。


「……ふふ。お前、こういう時だけ大胆だな」


「……すみません」


「謝るな。もっとしていい」


そう言って笑ったルキナは、もう一度俺の首に腕を回し、自分から唇を重ねてきた。


少し湿った吐息が触れ合って、胸の奥で何かがはじける。


「――おーい! そろそろ始めるぞ!」


遠くから魔族の兵士たちの賑やかな声が聞こえた。


今日は畑の収穫を祝う小さな宴の日だった。


俺たちの作った野菜と、花を摘んで飾った大きな机が畑の隣に並べられている。


ゴブリンたちが木の器を並べ、オーガが大鍋をぐつぐつとかき混ぜていた。


「おい人間! お前が摘んだあの葉っぱをこっちに持ってこい!」


「はーい!」


思わず笑って返事をした。


俺が大きな葉を抱えて運ぶと、魔族たちは嬉しそうにそれを刻んだり、香りを確かめたりした。


「こんなに旨いものがこの瘴気の土地に生えるなんてな……」


「リク様のおかげだ!」


「ちょっと待て、『様』はやめろって!」


ハルゥが「きゅいっ!」と鳴き、器の間を飛び回る。


その後ろでルキナが小さく笑っていた。


「……私も、剣を振るだけじゃなく。こういう宴の中にいるのは悪くない」


「ルキナ様がいてくれるから、こうしてみんな笑っていられるんですよ」


「ばか……またそういうことを」


でもその瞳は少し潤んで、細く笑っていた。


日が落ちる頃には、畑の周りに沢山の灯が灯された。


赤黒い魔界の夜空に、小さな光がぽつぽつ浮かぶ。


「リク」


「はい?」


ルキナがそっと俺の手を握り、そのまま畝の真ん中へと引っ張った。


「ここ……この畑が、私の一番好きな場所だ」


「……ありがとうございます。俺もです」


「……だから、その、なんだ。お前がいいなら――」


言葉を探しているルキナの手を、俺はそっと引き寄せた。


「ここで約束しましょう」


「……約束?」


「この畑がもっと広がって、魔界中が花でいっぱいになったら……その時は剣を置いて、ずっと俺の隣にいてください」


ルキナは少し涙ぐんで、それでもしっかり頷いた。


「……ああ。約束する。絶対に」


再びそっと唇を重ねた。


畑の花が風に揺れ、小さな香りが俺たちの間を通り過ぎる。


その香りは、魔界に生きて初めて感じる――本当の春の匂いだった。


宴は夜遅くまで続き、ハルゥがくるくる回りながら花びらを撒き散らしていた。


魔族たちの笑い声が響き、誰もがこのひとときを心から楽しんでいた。


(……絶対にこの時間を守る)


鍬を握る手に、自然と力が入る。


ルキナがそっと肩を預け、小さく囁いた。


「……お前の耕した土の上なら、何度でも眠りたい。剣を置く日まで、ずっと隣で」


「はい。ずっと隣にいてください」


その声に応えるように、畑の花々が夜風に小さく揺れた。


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