第16話「魔界大緑化計画、始動」

「……ここを全部、畑に?」


俺の前に広がっていたのは、どこまでも赤黒い荒野だった。


枯れた木々が散在し、瘴気を纏った風が砂を巻き上げる。

遠目に見ると白い骨のような石が転がり、地表にはいくつもの裂け目が走っている。


魔王ゼルヴァが俺に託したのは、この一帯――魔界の中央部、瘴気が最も濃く、人間も魔族も容易には踏み込めない場所だった。


「魔界の中心部だからこそ、そこを緑にできれば他の土地への浸透も早いだろう」


そうゼルヴァは言った。


つまりここが成功すれば、魔界全土が変わる。


俺は改めて息を吸い込み、鍬の柄をぎゅっと握った。


(怖いか?)


心が問いかけてくる。


(……ああ、怖いよ)


これまでの畑と比べ物にならない広さ。

瘴気の濃度は今までの十倍だ。


だけど――。


「やるしかないだろ」


その呟きに、隣のルキナが小さく笑った。


「……そうだな。お前なら、きっとやれる」


「きゅいっ!」


ハルゥが跳ねるように前に出て、荒野に鼻先を突っ込んだ。


すぐに苦しそうに顔を上げて鼻をぴくぴくさせる。


「おいおい……ムリすんなよ」


俺がしゃがみ込むと、ハルゥは目を細めて尻尾を振った。


「……大丈夫だ。少しずつ、瘴気を和らげる菌や根っこを探して……それを増やしていけば、きっと土は変わる」


頭の中で何度も思い描いた方法を反芻する。


日本にいた頃、農学部で学んだ微生物や菌の知識。

それをこの魔界の菌に置き換え、瘴気を食う特殊な根を持つ草と共生させる。


膨大な作業だし、どれだけ失敗するかも分からない。

でも、やるしかなかった。


「よし……最初の一鍬だ!」


鍬を振り上げ、固い土に力いっぱい突き立てた。


ごりっ、と鈍い音がして、腕に衝撃が走る。

だが構わず押し込む。


小さな裂け目ができ、そこに冷たい空気が吹き込んだ。


「……一歩目、だな」


「……ふふ」


ルキナが微笑み、剣ではなく小さな鍬を肩に担いで立った。


「私もやる。瘴気に強い草の種、ここに撒く場所を作ろう」


「ありがとうございます。ルキナ様がいれば百人力です」


「……ばか。そういうのは……もっと二人きりの時に言え」


そう言いながらも、耳が赤く染まっていた。


その日から、俺たちの新しい挑戦が始まった。


ハルゥが土の中の魔蟲を探し出し、俺が鍬で追い払い、ルキナが腐った石を取り除いていく。


時には魔族の兵士たちが大きな岩を運び出し、また時には黒竜将軍グレイオが息を吐いて大地を焼き払った。


「余が地を浄化してやる。お前はその後で好きに耕せ」


「ありがとうございます、グレイオ様!」


「……人間の礼などいらん。ただ畑を作れ。それが我らの生きる理由になるのだからな」


寂しげにそう言ったグレイオの目は、いつもよりどこか優しく見えた。


夕方、畑の端でルキナが肩で息をしながら小さく笑った。


「……私、剣を振るより……鍬を振る方が疲れる気がする」


「ふふ、それはきっと慣れてないからです」


「馬鹿……お前の隣で耕すのは嫌いじゃないけどな」


ルキナが少しだけ体を寄せてきて、そっと肩を預ける。


「……お前の鍬で耕したこの地が、いつか緑でいっぱいになるのを見たい」


「必ずそうします。ルキナ様と一緒に」


「……ふふ」


頬に当たる魔界の風はまだ赤黒く湿っていたけれど、どこか柔らかい匂いが混じっていた。


ハルゥがその横で畝を掘り返し、鼻先を土に押し当てる。


「きゅいっ!」


「そうだな。お前も俺たちの仲間だ」


その夜。


簡易に建てたテントの中で、ルキナは小さな声で囁いた。


「なぁ、リク」


「はい?」


「……もし、また人間が攻めてきても」


「……?」


「絶対に死ぬな。畑を守るのは私たちがやる。お前は畑を耕し続けろ。魔界を緑に変えるのはお前の役目だ」


俺は少しだけ目を伏せ、それから力強く頷いた。


「……はい。絶対に死にません。畑がある限り、何度でも立ち上がりますから」


ルキナはそっと俺の手を握り、その手を自分の額に当てた。


「……約束だ」


「はい、約束です」


その小さな触れ合いが、どんな剣よりも俺の胸に深く刻まれた。


外に出ると、魔界の夜空にいくつもの小さな星がまたたいていた。


赤黒い空を背景に、それでも光は確かにそこにあった。


「……いつかこの星の下で、畑に寝転んで笑い合いましょうね」


小さく呟くと、ルキナは黙って俺の手を握り返した。


ハルゥが足元で「きゅいっ」と鳴く。


俺たちの魔界大緑化計画は、今確かに動き出した。

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