第14話「瘴気の嵐、畑を襲う試練」

それは、前触れもなくやってきた。


夜中、宿舎の窓を激しく叩く風音で目を覚ました俺は、嫌な胸騒ぎを覚えて飛び起きた。


「……これは」


窓の外には、赤黒い風が渦を巻いていた。


風そのものが瘴気を孕んでいる。

遠くの空が光り、雷のような閃光が稲妻ではなく紫の瘴気を伴って大地に叩きつけられていた。


「……瘴気の嵐か!」


「きゅいっ!」


ハルゥが慌てて俺の足元に飛びついてくる。


その体が小さく震えていた。


「大丈夫、大丈夫だからな……!」


でも、自分に言い聞かせてるみたいで情けなくなる。


頭の奥がじんじんと痛む。

瘴気は人間には強すぎる毒だ。ここ数ヶ月でずいぶん耐性はつけたつもりだったが、それでもこの濃さは尋常じゃない。


(畑……!)


俺は急いで防護用のマントを羽織り、外に飛び出した。


「うっ……!」


外はまるで空気そのものが棘を持っているかのようだった。


一歩外に出ただけで喉が焼ける。

それでも歯を食いしばり、畑へ向かって走った。


「頼む……無事でいてくれ……!」


嵐は畑を容赦なく叩いていた。


瘴気に混じった細かい赤黒い砂が吹き荒れ、葉が激しく揺れては土に叩きつけられる。


いくつもの小さな苗が引き抜かれ、畝の上で泥にまみれて転がっていた。


「やめろ……やめろよ……!」


鍬を杖にして必死に立ちながら、俺は苗を土に戻そうと手を伸ばす。


風が頬を切り裂くように吹きつけ、涙が勝手にこぼれ落ちる。


(どうして……こんな……)


ただ畑を作っていただけなのに。

ただ魔界を緑に変えたいだけなのに――。


「……リク!」


声が聞こえた。


振り返ると、そこには防毒用の分厚い黒い外套を着込んだルキナがいた。


「何をやっている! こんな嵐の中で!」


「でも……! 放っておけるわけないでしょう……!」


涙混じりに叫ぶ俺を見て、ルキナは少しだけ目を細めた。


「……馬鹿だな、お前は」


それでも彼女は近づいてきて、俺の肩を抱いた。


「戻るぞ。こんな嵐の中では何もできない」


「でも……!」


「お前が倒れたら、誰が畑を守る? 誰がまたここに種を撒く?」


ハッと息が詰まった。


「……ルキナ様……」


「瘴気の嵐はいつか止む。そしたらまたお前が耕せばいい。私がいる、魔王がいる、ハルゥも……この畑を諦める奴は誰もいない」


それを聞いた途端、胸の奥がぐしゃりと潰れるように熱くなり、俺はルキナの胸元に顔を埋めた。


「……ありがとう、ルキナ様……」


「ふん……後で泣くなら今は戻るぞ」


そう言いながらも、ルキナの手は俺の背を優しく叩いてくれた。


「きゅい……」


ハルゥが俺の足元に寄り添ってくる。


小さな体も瘴気で苦しそうに呼吸をしている。

それでも俺を置いて逃げたりしない。


「……よし、戻ろう」


ルキナに肩を貸されながら、俺は畑を振り返った。


嵐の中、まだ抜かれずに揺れている小さな双葉が見えた。


その細い茎が風に押されながら、なおも空を向こうとしている。


(……そうだよな。お前も諦めてない)


宿舎に戻ると、グレイオが無言で分厚い薬湯を差し出してきた。


「人間の身で瘴気の嵐に出るなど……死ぬ気か」


低い声に怒気が滲んでいたが、その爪はそっと俺の肩を支えてくれていた。


「……すみません」


「お前が死ねば、その畑は終わる。分かっているのだろう?」


「はい……」


俺は薬湯を飲み干した。

苦くて熱くて、喉が焼けるようだったけれど、少しだけ体が楽になった。


夜明け前、窓の外の風がやっと静まった。


魔界の嵐はいつも突然で、去るときも突然だ。


俺はそっと窓を開け、冷たい外気を吸い込んだ。


「……終わった」


あの瘴気の匂いが、もうほとんどしない。


隣を見ると、眠れずにいたのかルキナが外套を羽織ったまま座っていた。


「……行くか?」


「はい」


畑へ行くと、そこには嵐の痕跡が残っていた。


たくさんの苗が倒れ、葉が黒く変色しているものもある。


でも――。


「……まだ、いける」


幾つもの苗はなおもしっかりと根を張り、小さな葉を震わせていた。


「やっぱりお前らは強いな……」


俺はしゃがみ込んで、小さな双葉にそっと触れた。


「……リク」


後ろからルキナが俺の肩に手を置く。


「次は、私も最初から一緒に畝を作る。剣ではなく、鍬を持って」


振り返ると、ルキナは少し照れたように視線を逸らしていた。


「……私も、お前の畑を本気で守りたい」


「……はい。ありがとう、ルキナ様」


小さな声が震えそうになった。


ハルゥが「きゅいっ」と鳴き、畝の間を走り回る。


魔界の空はまだ赤黒いけれど、確かにそこには少しだけ優しい風が吹いていた。

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