第5話「魔王の晩餐、そして小さな試食会」

「これは……本当にお前が作った野菜か?」


魔王ゼルヴァが、玉座の間に簡易に設えた長卓の上でナイフを握りしめ、俺の作った野菜をじっと見下ろしていた。


収穫したのは、まだ少しだけ育った芋と、瘴気に適応して生えた試験用の葉物。

それでも色は鮮やかで、魔界ではまず見られない瑞々しさを放っていた。


「はい。魔界の土で育てた、初めての成果です」


俺の声はわずかに震えていた。


緊張で喉がからからになる。

魔王の試食会なんて、胃がいくつあっても足りない。


「きゅいっ!」


ハルゥがテーブルの下で尻尾を振っている。

こいつはすでに畑で摘んだ葉を齧りまくっていて、味には絶対の自信を持っているようだ。


「……そうか」


ゼルヴァは淡々とした表情のまま、ナイフで柔らかな芋を切り取り、一口。


その瞬間――。


「……っ!」


真紅の瞳が大きく見開かれた。

魔王の背筋がわずかに震え、長い睫毛がピクリと揺れる。


玉座の間が静まり返る。

従者の魔族たちが一斉に息を飲んだ。


「陛下……?」


「……甘い」


小さく落ちた声が、玉座の間に響く。


「この、ねっとりとした舌触り……そして、深い甘み。瘴気を吸って育ったくせに、どこまでも優しい……。まるで――」


ゼルヴァは言葉を切り、再び小さく芋を齧った。


「――まるで、平和の味だ」


ドクン、と胸の奥で何かが跳ねた。


魔王がそんな顔をするなんて、誰が想像するだろう。

厳格で冷酷、恐怖で世界を支配する存在だと思っていたその人が――。


「お前、名は?」


「リ、リク・タカナシです」


「リク……お前は余が今まで味わったどの武器、どの戦略よりも価値がある」


ゼルヴァはわずかに目を細め、微笑んだ。


「これからも作れ。魔界を緑にしろ。余は……それを心から望む」


「ふふ。大層ご満悦だったな」


玉座の間を辞し、廊下を歩いていると、いつの間にかルキナが隣に並んでいた。


その顔は普段よりも柔らかく、どこか楽しそうだった。


「は、はあ……魔王陛下にそう言われるなんて、正直今でも夢みたいです」


「夢ではない。お前の野菜が、それだけの力を持っていたということだ」


「力……?」


「平和の味、と言っただろう。あれはただの比喩ではない。魔族は瘴気とともに生きているが、それは常に暴力と衝突の性質を伴う。

だがお前の野菜は、それを抑える。心を穏やかにする。魔族にとって、それは――」


ルキナは少し言葉を探して、それから恥ずかしそうに続けた。


「……初めて手に入れた安らぎだ」


その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


畑を作るのは俺の生き方だった。ただの自己満足だと思っていた。

でも――誰かの心を救うことができるなんて、思いもしなかった。


「ありがとう、ございます」


「礼を言うのは私の方だ。……お前の野菜、私もまた食べたい」


「もちろんです! 次はもっと色んな野菜を育てますから」


ルキナはふっと口元を綻ばせ、小さく頷いた。


その夜。


俺は宿舎の簡素な寝台で、珍しくなかなか寝付けなかった。


窓の外は魔界特有の赤黒い夜。

瘴気に揺れる空気が、どこかいつもより優しく感じられる。


「……平和の味、か」


魔王も、ルキナも。

あの世界の覇者たちが、俺の畑で作った芋を食べてあんな顔をするなんて。


「きゅいっ」


足元で丸くなっていたハルゥが、尻尾で俺の手をつついた。


「ありがとな、ハルゥ。お前がいなきゃ絶対無理だった」


「きゅいっ!」


小さな体を俺の胸に擦り付け、またぐるぐると喉を鳴らす。


そうだ。

まだまだこれからだ。

もっと畑を広げ、もっと魔界を緑にして――


いつか、人間と魔族が一緒にこの畑で笑える日が来たら。


「……それって、最高じゃねぇか」


小さく笑い、俺はようやく瞼を閉じた。


荒地を少しずつ緑に染める夢を見ながら。

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