第5話 きみと歩くために
翌朝、寮の部屋。
カノンは鏡の前で手のひらを見つめた。昨夜の光魔法の感触がまだ残っている。あの小さな光の球——リアナの完璧な光には及ばないが、確実に同じ種類の、安定した光だった。目の下の隈、少しこけた頬。でも——
「もしかして、僕にも——」
希望が、胸の奥でゆっくりと燃え上がる。
学院要覧のページをめくる。「年二回の定期考査において、成績等を総合的に勘案し所属クラスの見直しを実施する場合がある」
指先が文字を追う。光魔法ができたなら、これだって——可能性があるのではないか。
◆
朝の授業前、II組の教室。
「おい、カノン」
エディが机に肘をついて振り返る。
「最近、様子が変だぞ? 昨日も早く帰っちまうし」
カノンの手が止まった。
「あ、ちょっと調べ物があって——」
「調べ物?」
エディが眉をひそめる。
「I組の連中と一緒にいるのも見かけたぞ。何やってんだ?」
カノンは少し迷った。
「図書館で一緒に勉強してただけだよ」
「お前、なんか変わったよな」
エディが真剣な表情を見せる。
「前よりも——なんていうか、前向きになった」
「そうかな?」
「ああ。いいことだよ」
エディが肩を軽く叩く。
「何やってるか知らないけど、頑張れよ、カノン」
エディの声に、いつもの軽やかさとは違う真剣さが混じった。
「でも、無理だけはすんなよ」
いつものように軽く笑って見せるエディの優しさが、カノンの胸に深く響いた。
◆
放課後、カノンは教授室の前で立ち止まっていた。扉のノブに手をかけては躊躇し、また離す。
僕に本当に可能性があるのだろうか。条件が厳しすぎたら——
でも、聞いてみなければ始まらない。
三度目で、扉を開いた。
「失礼します」
担任の教授が振り返る。
「カノン君。どうしましたか?」
「編入制度について、詳しく教えていただけませんか」
教授の手が止まった。羊皮紙を整理していた手が、宙に浮いたままになる。
「ああ、再評価制度のことですね」
「僕にも、その可能性があるのでしょうか」
教授が深いため息をつく。
「座りなさい、カノン君」
カノンは椅子に腰を下ろす。教授は机の引き出しから古い資料を取り出すと、しばらく眺めてから口を開いた。
「挑戦してみたい、ということですか?」
教授がカノンを見つめる。
「はい」
「では、条件をお話ししましょう。基礎問題で八割以上の正答率——」
カノンの心が軽やかになる。基礎問題なら、毎日の努力が報われるはず。
「応用問題でI組の平均点以上の成績が必要です」
I組の平均? リアナと一緒に勉強していれば、きっと——
カノンの背筋が伸びた。
「そして、中間評価は来月、九月です。あと一ヶ月しかありません」
教授がカノンを見つめる。
「それでも、挑戦してみたいのですか?」
「それでも、やってみたいんです」
カノンの声が震えていた。
「最近、ようやく光魔法ができるようになったんです。正しい方法があれば、道は必ず開けるって」
教授は長い沈黙の後、複雑な表情を見せた。
「光魔法の成功は確かに大きな前進だが——」
言いかけて、教授は首を振った。
「分かりました。君の気持ちは理解できました。ただし、決して無理はしないように」
◆
教授室を出た後、カノンは鞄を整理しながら、教授の言葉を反芻していた。
「基礎問題で八割以上の正答率、応用問題でI組の平均以上」
口に出してみると、それほど不可能には思えない。リアナと一緒に勉強していれば、きっと——
光魔法を成功させた時と同じように、正しい方法があれば道は必ず開ける。
「一ヶ月」
カノンは呟いた。リアナに追いつくために——君と同じ高さに立つために。十分な時間があるはずだ。カノンは、久しぶりに明るい未来を想像していた。
◆
同じ頃、I組の授業。
リアナは羽根ペンを回していた。カノンの決意は嬉しいけれど、I組の現実を知っている自分には——応援したい気持ちと、心配が入り混じっている。
授業が終わると、隣の席から、琥珀色の髪をした女子生徒――ミレーネ=アル=ティエラが振り返った。
普段はあまり会話することのない相手だった。I組の中でも、リアナはいつも一人でいることが多く、ミレーネのような積極的な生徒とは距離があった。
「リアナ、授業中ずっと上の空だったけど、大丈夫?」
突然の気遣いに、リアナは戸惑った。
「うん、ちょっと考え事をしてて——」
「最近よく考え事してるわよね。この前も、授業中に突然席を立って出て行ったし」
ミレーネが心配そうに続ける。観察していてくれたのだろうか。
「あの時、すごく必死な表情だったけど」
リアナは何と答えていいのか迷った。あの時のことを、どう説明すればいいのか。そして、なぜミレーネが自分を気にかけてくれているのか。
「実は、友達と——ちょっと誤解があって」
「友達?」
ミレーネが興味深そうに身を乗り出す。
「II組の男の子なの。でも、誤解は解けたから」
「良かったじゃない」
ミレーネが微笑む。しかし、その目にはまだ興味の光が残っている。
「それで今日は何を考えてたの?」
「その友達のことで——」
リアナが言いかけて止まる。カノンの決意を知っているのは自分だけ。その想いの重さを、どう伝えればいいのか。
「何か悩み事?」
「悩み事というか——その人が編入制度に挑戦しようとしてるの」
「編入制度?」
ミレーネが眉を上げる。
「クラスの移動制度のこと? 聞いたことはあるけれど、詳しくは知らないわ」
「ミレーネも知ってるの?」
「お母様から少し聞いたことがあるの。昔、同級生で成功した人がいたって」
リアナの目が輝いた。
「本当に? 詳しく聞かせてもらえる?」
「ええ。お母様に聞いてみるわ。その人のこと、もっと詳しく」
「それで、その人は本当に挑戦するつもりなの?」
リアナが小さく頷く。
「まだ決めたわけじゃないけど——でも、きっと」
声が小さく震えた。彼の真剣な表情が、まぶたの裏に浮かんでいる。
「そう」
ミレーネが考え込むような表情を見せる。
「なかなか興味深いことを考えるのね」
その声には、単なる興味以上の何かがあった。
「どんな人なの? その人って」
「とても真面目で、優しい人よ」
「ふぅん」
ミレーネの目に、小さな光が宿った。
「明日、お母様に詳しく聞いてみるわ」
ミレーネが立ち上がりながら、鞄を整理する。
「応援してあげたいのね」
リアナの静かな声に、ミレーネの足が止まった。
「うん」
リアナが小さく微笑む。
「私も、力になりたいと思ってる」
ミレーネが振り返る。その表情に、強い好奇心が浮かんでいた。
「——面白いじゃない」
ミレーネの目に、久しぶりに感じる好奇心の輝きが宿った。退屈な日常に、ようやく刺激的な出来事が現れた。
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