第3章 5.

   5.

Tips:『モンスター名称』……モンスターのネーミングは初遭遇し、そのことを正規の記録に取った人物が名づける。

最初期にネーミングをつけた人々が主に神話や伝説のモンスターの名前を使用したことから、各国でその風潮の下で名づけが行われている。

とはいえ、同じ名前がかぶるときがあり、そうならないように色をつける場合がある。

例えば、イギリス本土で発見されたあるモンスターはエルフと名づけられたが、同じ名前がフランスでも使用されていたため、レッドエルフとして登録された。


 ダンジョン、正確には『ディープ・フロンティアスペース(DFS)』の最大の問題は管理出来ない事である。

日本でいれば日本列島が3個増えたのだ。いや、領海も含めればすさまじい巨大国家になった。

救いは正解中の国家が同様の状態となり、対処能力を飽和してしまっている点である。


アメリカは西部劇となり、ロシアはトラックマフィア天国となり、中国は内情三国志、水滸伝ではないだけましと称され、EUはドイツ帝国VSフランス帝国と揶揄され、北アフリカはエジプトとゆかいな仲間たちの戦国時代と自虐を込めて現地ジャーナリストが報道する。

ブラックアフリカでは、南アフリカ帝国主義VSその他(資金源はブラックダイヤ)と言われ、東南アジアは海賊と山賊の建国戦記物語などと語られる。

世界中がこんな有様で、何も日本だけが特別大変であるというわけではない。ダンジョンは人が死なないがゆえにそう見えないだけで、無法地帯でしかない。


労働基準監督署はもちろん、国税庁、税関、その他諸々が手を組んでこうして行動するのは、たとえ無法地帯であったとしても日本の領土であり時折で良いから、ちゃんと執政しているのだと示す必要があるからである。

だから、わかりやすく派手にやってる連中を『見せしめ』にすることで、無法地帯をこのまま永遠に無法地帯のままでいさせるつもりはないのだとアピールしているのだ。

とはいえ、それに付き合わされる一般職員は地獄も同意義だろう。が、そんな一般職員でさえも天の助けとなる世界。

それが無法地帯というものだ。

だって、そうだろ? そうじゃなきゃ、虚ろな目をしたおじさんが若造に縋りつくように、ただ一言だけ、「たすけてくれ」なんていうはずがないじゃないか。

ネットだのスマホだの色々な通信機器が発達しようが声なき声は社会に必ず存在し、時にそれに手を差し伸べる役割を求められた存在がいる。


「『長谷川』さん……」

地下坑道で発生した激突は、地下坑道の崩落という形で終了した。

激突した役人連合と被害者企業を装うブラック企業の戦いはいったん延期。

とりあえず生き埋めになった人達を役人連合の無事な人々が救助にかかる。


「『長谷川』さん!」  「おう、『川上』どした」

うつろな目をしたおじさんが、若造――『川上』――の裾に捕まりこっちを見ている。気味が悪かった。


「おっちゃん、どした。なんば、言いたいことがあるとよ?」

「た、すけて……くれ」  「おう、今出してやる」

「違う、俺は、もう、いい……若者をこんな会社から、逃がしてくれ」

バブル崩壊後、社会は冷え切った。多くの企業が迫りくる大赤字から逃れようと人件費のカットに乗り出した。

かくして多くの若者が彷徨うことになる。いや、若者だけではない。老人たちもまた亡霊のように彷徨うことになった。

そうならずに済んだのは一握りのチャンスをつかめた者たちだけ。当然、自分たちがやっとの思いでつかんだチャンスを手放すはずもなく、過酷な競争が始まった。

そういった諸々の副作用が社会問題化するのはさらに長い時間を要することになる。

誰も悪くないのだ。単に自然の摂理と最悪のタイミングが何重にも重なった悲劇に過ぎない。1000年単位の世界史で見ればさほど珍しい事でもない。


「先代の社長は、あの時代にあって、解雇だけは絶対にしなかった。あの人は、ワンマンで正直バカみたいに仕事を増やすやばい人だった。それでも絶対に解雇しなかった。

どんなやらかしも社長自身が頭を下げて何とかした。だから、みんな、頭の中では無限の罵倒を唱えながらもついていった。社長自身すごい量の仕事をこなしていたから、文句も言えなかった。代替わりして全部変わった」

生き埋め状態から解放されたおじさん、すなわちブラック企業従業員の1人。


「若様は、先代の社長が作り上げた利益だけ見た。今まで、これだけの仕事がこなせるんだから、多少増やしても大丈夫だろう。

従業員が辞めるのは、先代社長と同じ世代が定年退職する影響だろう。新しく雇えばいい。新人が辞めるのは新しく社長になった自分が舐められているからだ。

先代社長かた続く社員がうるさいのはやっぱり舐められているからだ。利益が増えないのは、社員が依然と比べてサボり始めたからだ。

なまじ、ワンマンで引っ張ってきた先代を見てきたのがいけなかった。あれが、正しいやり方なんだと思っていた」

赤字は増える。設備投資を今まで怠ってきたのだという発想に至った若社長は、新たに経営コンサルタントや友人たちを連れて改革とやらに乗り出す。

そして、仕事量が増える。業務改善を唱えて今までやってこなかった新たな業務が増えて覚えること理解しなきゃいけないことが増える。そして仕事量が増える。

設備投資の分の資金を回収できない事態が一つ起きると崩壊が始まる。

雪崩を打ったように崩れゆく。


そこに、ダンジョンを悪用した利益確保法が耳に入る。


「従業員の入場料投入コストこそ高いが、逆に言えば一度それだけを負担すれば、アバターという理論上不眠不休で数日活動する労働力を確保できる。

水食糧もアバターシステムの保護により、最小で済む。そんなとこか」

長谷川が、そういって従業員のおっさんはうなづく。

逃がさないようにすれば、退職も不可能。逃げられない。通信手段もうまい場所なら、まだスマホ程度の通信インフラが十分に整備されていないしそもそも取り上げればいい。いや、そもそも給料を払う必要さえあるだろうか? そりゃ、行政機関が監視しているので銀行振り込みなどの

手段は必要だろう。だが……


「別に本人だけしか、振り込まれた給料に触れないという物理法則は存在しないからな――」

「――!?」

絶句。『川上』にとって、もはや理外。給与は振り込まれる。そして、口座から引き落とされる。ただし本人以外が引き落とす。

こうして、事実上給与といえるのは水食糧の現物支給。それも毎日ではない。


「つっても限度はある。アバターの保護機能だって餓死を完璧に防げるわけじゃないからな。半年に1回、2~3日だけ『通常の現実世界レベルゼロ』に戻れるんじゃないか?」

「……だから表の世界に戻っても逃げられないように、する……」

「やばい仕事をさせてか? 通報したら最後、本人も捕まって前科者。最悪は刑務所で毎日を過ごすことになるから」

ダンジョンは無法地帯だ。そこで安全な企業活動をするには何かしら裏社会の助けが必要だろう。そして、そちら方面からやばい仕事を受注すれば従業員は逃げ出せなくなる。

むしろ、積極的に運営側に回して、良い思いをさせればどんどん抜け出せなくなる。

給与ゼロで良い思いとは、どうするのか? おいおい、無法地帯で特殊活動の運営側だぞ。乱痴気騒ぎの枠を超えた騒ぎの一つや二つ出来るだろ。


「月に2回、2連休がもらえる……でも、ここを抜け出すことは出来ないから、それらしい場所に連れていかれて……。それとは別に時折明らかに薬物にまつわる仕事をさせられる。無理だ。もう俺は良い。けど若いのは助けてあげてくれ。ここままなんてことはダメなんだ……」

「月に2回の2連休ね……週休5日どころか、月休み4日か……クソが」

「なんで……なんでそんなになるまで働くんです。逃げれば!!」

逃げて、どうするんだろう。こんな場所からどうやって逃げればいい? ああ、そうか。死ねばいいんだ。

死ねば解放される。リ・スポーンという形でこの場所から離れることが出来る。


「妨害装置だな?」  「はい……」

死は救済――んな都合のいい話があるわきゃねえだろ。


「あるいは、ポーションを無理やり投入する仕組みがあったりするのかな。いや、ポーションは高いからどうだろう」

アバターはHPがある限り死ではない。HPを補充するものがあればそれだけ死は遠ざかる。


「仮に逃げ出せたとして、モンスターと戦うすべはあるか?」  「……」

或いは、傭兵か何かから戦ってでも逃げる能力は? うまい事レベル0に戻れたとして、警察を頼れば自分も手錠がかかるかもしれない。

逃げることに意味はあるか。乱痴気騒ぎ以上のようなうまみもごくたまにある。食い物には困らない。物理的に食べる必要性が薄いから。


「俺は……もう十分だ。俺が命令した。だから若い奴は関係ない。俺が全部奴らにやらせた!! 悪いのは俺だ!! 若い奴に罪はない。

あいつら、命令されて仕方なくなんだ!! だから、あいつらだけでも――――――救ってくれ」

絞り出すような言葉。


「週40時間、8時間労働ってよ、今から100年前に当時の労働者たちが人間をバカにするなって話し合いながら手に入れた権利なんだ。

それまでは1日16時間も働かされて、しかもガキだってそんな扱いを受けてた。幾らなんでも人をバカにしすぎだろ。そんなの」

『長谷川』がそんなことを語りだす。『川上』は一体何事かと彼を見る。


「労働基準法って日本の法律はよ、そういった歴史と当たり前の健康的常識をもとにみんなで作り上げていった存在なんだ。

そこに記されているのは労働の最低条件。どんなことがあってもこれだけは守ってくださいっていうものでしかないんだ。ごくたまによ、クソみたいな経営者が労働基準法なんか守ってたら倒産するっていうけどよ、倒産すればいいじゃん。

100年前に年中無休で1日16時間働くなんて馬鹿な真似はやめよう! から始まった『これだけは絶対守ろう』ってみんなで決めた最低基準が労働基準法の内容なんだぜ!? 100年前から求められたものだぜ、それを守って倒産するなら、とっくに倒産してんだよ。

法律を無視して強引に生きながらえてるような会社は反社と何が違うんだ? そういうことを言う経営者は私は無能です。

みんなが守って当然の基本さえまともに守れないのに偉そうに経営者の肩書だけは守っていますっていう自己紹介だよ」

そして、『長谷川』はおっさんと向き合う。


「俺たち労基は警察でも裁判所でも法の番人でもない。法の執行機関だ。たまに色々と融通を効かせろ的な事を言われるけどよ、法令と衡平の見地って奴に立って動かなきゃ、反社同然の経営者と何が違うんだ? って話だ。

あんたの罪はこの先裁かれるだろうさ、あんたの言う若者の罪も。だけど、使用者責任って奴をそのバカな若社長とその友人たちに思い起こさせてやろうって気を起こそうぜ! 何しろ、あんたも俺もそれが出来る立場にある。

いや、それが法の執行とも言える」

リベンジ退職をしようぜ! と高らかに宣言する長谷川に「いや、リベンジ退職はまずいでしょ!」と思わず声を上げる川上。


Tipis:『リベンジ退職』……穏当な物であれば繁忙期のまっただ中に離職するといった物から顧客データを盗み出し明らかな犯罪行為でもって企業に打撃を与えることを目的とする退職。

SNSサービスの発達とともにアメリカ等で流行し、労働者と経営者サイドの溝の深さと、時にそれを拡張させる

SNSサービスの功罪を考える問題。


「まぁ、要するに証拠だよ。出退勤記録なんてまともに撮ってないだろうが、逃走防止、社員管理の都合上、何かしらの記録はあるだろう。

上司の命令でさせられたことに大して、メモでも録音でも何でもいい。そういうものに心当たりはないか? 証言一つだと厳しいんだ。

何か証拠になりそうな物、事、思いつくものはあるかい?」




「うそでしょ……なんで本当にこれで話が進むの」

リベンジ退職を推奨するヤバい労基職員『長谷川』に感化されたおじさん従業員が案内するのは職場として扱われているプレハブから100メートルほど離れたところにある大型テントが2つ並んだ場所。

中に入ると荷物置き場になっているとわかるくらい物が散乱している。

『川上』からしたら、このやり方はまるでTVの刑事ドラマみたいな感じだ。実際にやると懲戒処分の対象になるようなあの感じ。


「なるほど、スライムの培養層か……」

荷物に隠された取っ手を持ち上げるとそこには地下空間が形成されていた。それを一瞥した『長谷川』は、麻取を呼ぶ。

厚生労働省麻薬取締官こと麻取はその地下空間を見た瞬間


「あらら~。サイクロン式掃除機を加工した換気システムと……車用のクーラント……じゃなくてスライムを直接流している塩ビ管。うーん簡単に作れる空冷、水冷装置ってやつねー」

麻取の女性がうっすらと笑みを浮かべながらそんなことを言っている。

麻取の女性の視線の先を見ると、車用のクーラントと呼ばれている液体が詰まったポリタンクが放置されている。使おうとして、結局いらないという結論にこの装置を作った人は至った……とのこと。


「スライムは、主にアンモニアなどの物質、冷媒としての性質、物理法則をアバターを通してモンスターとして観測した結果、モンスター、スライムとして見えている、活動している存在よ。

こいつらは熱エネルギーに反応して増殖する。気を付けてね、人の体温も遠慮なく反応するから。

といっても人が短期間で凍死しちゃうとかまではいかないし、長時間だと普通に蒸発して消えるのよね」

スライムを冷媒として活用することで最低限の電力でエアコンを稼働させているだけの冷却効果を生み出す。

これは、水資源に乏しいダンジョン内部の工業活用の切り札として言われ続けて10年くらいたってるもので、いたるところで活用されている。

尤も水資源不足は深刻ゆえに大規模な工業施設が立つのは未だ数える程度であるが。


「工場が立つ……その手の申請書類の存在は……無いね」

スマホ片手にそんな事を唱えるのは『税関』の腕章をつけた職員。

ダンジョン関係の行政文書、書類の類はなるべくセクショナリズムを発揮されないように『暫定的公共行政ネットワーク』に登録される運びになっているがそのネットワークを参照する専用端末を使ってみたところ、それらしいものは見当たらないとのこと。


Tips:『暫定的公共行政ネットワーク』……文字通り、暫定的に用意された、行政文書ネットワークで、主にダンジョン対応に関連する法規。

ダンジョン……正確にはディープ・フロンティアスペースのレベル1~3までの領域は国土として扱う以上、日本の法令が実行されるはずだが、実際には

そうそううまくいくはずもなく、それを見越して予め設置されたが、これだけで人員不足・予算不足その他諸々が全部解決するはずもなく……。


Tips:『不法行為と違法行為』……日本の法体系において、不法行為とは、法律的にやってはいけない或いはまずいことをしたという意味。

違法行為とは刑法に反したということ。つまり、警察等に訴えれば、逮捕できるような事を行ったこと。

不法行為は直ちに罰せられるわけではないが、損害賠償などを訴えられる立場である。


「違法操業……不法行為で損害賠償請求は市町村役場の方ですかね」  「いやいや、どういう名目で? 環境規制?」

「スライムをレベル0に持ち出したわけでもないし……」  「レベル0にそのまま持ち出すと単なるアンモニア化合物だったり水溶液だのになるからな……」

「それより、この配管……何処につながってて、何のために冷却しているかな」

「「「…………」」」

ある意味で決まりきった答え。麻取の女性が積極的に配管の伸びている先を探す。地下に埋まっているので、どうにかして、どの方向に向かっているか時に穴を掘って調べようとしている。

次第にこの作業にイライラし始めて、スキルとやらを使用してテントごと吹っ飛ばしているがご愛敬。


「いや、ダメでしょ」

『川上』は本当にそう思った。


「いいんだよ。俺なんかいつも胸に『退職願』をもって仕事しているんだから」

『長谷川』がそんなことを言い出す。


「悪いことをしました、だから責任をとっつてやめますっていつでも言える覚悟を決めて仕事する。それが俺のスタイルって奴だ。

考えてもみろ、このおっちゃん。やめたいですって上司にいってやめさせてもらえる状態だと思うか? 自分の意志でやめるって言葉さえ封じられたおっちゃんを今、助けられるのは俺たちだけだろ。

なのに、あれやこれや、色々なあれこれで助けるのは無理です! そんな事は嫌だね。

だから、覚悟を決めるんだよ。多少の越権行為はこういうおっちゃんを救うためには仕方ない。問題行動なのは認めるから潔く腹を切るって覚悟を」

気が付けば、この役人軍団の全員が何かしら小さな笑みを浮かべていた。


「良いこと言いますね」  「だろ?」

『長谷川』が出入国管理局(入管)のお姉さんに言われて、うれしそうな顔をしている。


「でも問題発言ですから、場所は気を付けてくださいよ」  「もちろんです。皆さんも私のことは反面教師か何かと思っていただければ」

嘱託職員のような、純粋な行政機関職員ではない人間もいるにも関わらず、皆が似たような笑みを浮かべて黙々と作業をしている。


「そんな、適当でいいんですか?」

「適当じゃないよ。意義のあることがしたかったら、肩の力抜けって言ってるだけさ。どうせ人間一人でやれることなんてたかが知れてるんだ。

お前は腕が4本あるか? 目が4つもついているか? お前という人間は分裂できるか? 24時間不眠不休で働けるか? 無理だろそんなことやれることには限度がある。当たり前の話だ。

頑張ることは良いことだけど、限界を振り切ったところで振り切った分だけ報われる訳がないだろ」

『川上』の発言に『長谷川』は人間は物理的な条件を超えられないと答えた。一瞬、話題をずらされたと『川上』は感じるが、話は続く。

曰く、これを理解しない奴が過労死する労働者、過労死させる経営者になるのだと。それは単に『長谷川』の意見じゃないかと思うがそれに対してその通り、自分の意見だと開き直る。

ただし、物理的条件を乗り越えられるとお前は本気で考えているのかと問われて――


「――無理だと……思います」

「そういうこった。報われる努力って奴には限度がある。その限界を超えて努力しても何にも意味がない。意義のあることがしたかったら限界を見極めろ自分の払った努力が『報われる努力』になれるようトライ&エラーを繰り返せ。

ちゃんとPDCAを回せ。一人で全部出来るんなら会社なんていらないんだよ。

……そして、だからこそ俺は『退職願』をいつも胸に秘めてる。こいつを使う時が俺が本当に意義のある仕事を胸張って成し遂げた瞬間だ。例えそのあと苦労することになるとしても」




そして、そいつらはやってくる。




『旧ソ連製旧式:40ミリロケット無反動砲』が役人連合に向けて撃ち込まれた。

爆轟と衝撃波。『川上』はその2つによって吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、気付けば尖った岩ばかりの空間に頭から落下している。死んで無いのが不思議だ。

いや、本当なら死んでいたのだろう。アバターの機能であるHPが危険水域に入っているアラートがなっている。

アバターには作成にかかったリソースを元にすることにはなるが、基本的にはHPとMP、そしてAPとSPなる物が備わっている。まるでRPGゲームのように。

というか、アバター関連の技術は直感的にわかるようにそういう風に発達している。

HPは活動できる限界ラインを示した数値。0になれば死ぬ。MPはスキルと呼ばれる技能を使うために必要な数値。SPはアーツ、APはHPを保護するためにHPの身代わりとなって減る数値。


「まだ生きてるな!」

『長谷川』がポーションをもって『川上』の元に訪れる。ポーションはHPを回復させる物で、内容は濃縮された高カロリーと金属粒子で出来ている小瓶だ。

ただしデカい注射針のような針が無数についている容器でもある。それを『川上』の負傷箇所に遠慮なく刺すとその小瓶を覆うように負傷箇所が再生されていく。HPの数値も上昇していく。

アバターはHPがゼロにならない限りは絶対に死なないように保護する。つまりは、一撃で死ねない。

一撃で死ぬ場合は、アバターをもってしてもカバーできない急所への即死ダメージ、つまり脳みそや心臓をぶち抜く瞬間だ。それだって工夫次第では何とか出来てしまう。

例えば、心臓の位置をアバター設計の段階でいじくって尻にするとか。


「何があったんですか?」

「用心棒どもが出てきた。警察式の1個小隊に囲まれてる。証拠隠滅が目的で、どうせ死なないからとこっちの排除もするつもりだ。アバターだから顔バレの恐れも薄いと思ってるのさ」

そして、ここはダンジョンだ。その特性上、増援が来て助けてくれる確率は低い。

警察式の1個小隊とは、2個分隊12人から成り立つ単位だ。ちなみに4個小隊48人で1個中隊となる。ダンジョンの特性上大人数を展開できないがゆえに普遍的に使われている軍事単位でもある。


「ただのブラック企業が何でこんな、大がかりな!!」  「この仕掛けを見ろ! ダンジョン悪用にズブズブでもう骨の髄までレベル0の一般企業とは頭の中身が変わってる!」

指さされた先にあるのは例のスライム培養層。そしてそこから伸びる配管。

攻撃により配管の先に何があるのか、簡単にだがわかるように露出している。サーバーらしいコンピューターの数々だった。

それだけなら別に大した話ではないだろう。おそらくはマイニングとやらでもやっているのだ。問題なのはその電源だった。


「全く、ごくまれにある異常な発想って奴だな」

人間だった……いや、人の形をまともにしていない。ただ、人間らしい顔があって目がこちらを見ていて、足らしきものが生えている。そして、その足は明らかに動けないほどに小さい。

その姿かたちは発電機に見えた。

たぶん、アバターだ。『ジェネレーター』のアバターにさせられているのだ。電力供給のために人間を……正確にはアバターだが、そういう風に改造したのだ。


「ぁ?」

こっちを見た発電機アバターの男が小さく声を出す。何を言っているのか、何を伝えたいのかはわからない。


「なるほど、ポーションの高カロリー&金属粒子を燃料にしてんのか。いやぁ……えげつないな。ここまでやって、家庭用電源1日分程度って感じか。

あんた1人か? 他にも似たような状態にある奴いるんじゃないの?」

「ぁ、、、、が…………ぶ……」

もはやまともにしゃべる事もなく、いや、そもそも声を出すという『機能』さえ、用意されているのか怪しい状態。


「な、なんで!! こんな! どう考えても! バレるでしょ!! こんなバカげたことをやり続けて……仮にも普通の企業を名乗るなら、どうあがいてもバレるでしょ!!」

「だから、こうして俺たちがいて、そして真っ当じゃない手段を駆使して闇に葬ろうとしているんだろ?」

聞こえてくるのは、銃声と剣戟。ブラック企業の用心棒こと、証拠隠滅を目的に盗賊を名乗って行動している傭兵たちと役人連合の激突だ。


「だから、俺は『退職願』を胸に秘めているんだ。一生に一度きりの武器であり、俺が意義のある仕事をする覚悟を決めるために」

そういいながら、『長谷川』はスマホ片手に何かを打ち込んでいる。画面が見えた。それは動画サイトのコメント欄に見えた。内容はわからない。

何かを打ち込み、そして、レイピアを手に『長谷川』は戦いに行く。


(あぁ……そういうことか……)

『川上』はその瞬間、何かを悟った気分になった。多分、この悟りは間違っている。絶対間違っている。それでもやめたい、やめたいと思っていた自分の心に一つの光が見えた。


(どうせ、やめるなら……思いっきり暴れてやめるって言うのは良いことかもしれない)

あれこれと理屈をつけているけど、結局『長谷川』が言っているのは単にそれだけのことなのだと。

『リベンジ退職』をする厄介さんと本質は同じだ。綺麗事ではない。建前でもない。

ただ、胸に秘めた退職願を、最高に「意義のある仕事」をした瞬間に叩きつける。それは、さぞ迷惑な事だろう。

だが、今の川上には、それが何よりも眩しく、そして、とてつもなく解放的に思えた。恐怖は消えていない。

だが、その恐怖の先には、もう「何も失うものはない」という、奇妙な高揚感が芽生えていた


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