第二話 ミサキの髪ゴムと、ユウくんの沈黙。

「……女の髪ゴム、だったよね」


天井裏から見下ろすリビング。

彼の部屋のテーブルに転がる“それ”を、しおんはカメラ越しに見つめていた。

ピンク色、細い繊維、人工香料の残り香──間違いない。

天野ミサキが、以前使っていたものと一致していた。


しおんは、ぬいぐるみ「みるく」を抱きながら、観察ノートに静かに記録をつける。


> 【2025.07.05/19:46】

> 対象A(ユウ)居室にて異物(女物の髪ゴム)を発見。

> 形状・色・素材から天野ミサキ(同級生)との一致率:94%。

> 推定滞在時間:前夜~当日午前。


ページの端に、丸く囲まれた言葉を書く。


> “許さない”


だが、すぐにその文字を指で擦り、消す。

しおんは感情を記録しない。

記録するのは**行動・状況・兆候**のみ。


「……ねぇ、みるく。

ユウくんは、ミサキに“なに”をされたと思う?」


クマのぬいぐるみは答えない。

だが、しおんは知っている。

自分の問いかけは、彼女自身への確認作業なのだ。


---


ユウはまだ帰ってこない。

スマホの通知は先ほどから鳴っていない。

先ほど、電源を確認するためだけに一度ロック解除を行った。

ロックパターンは前回と同じ──L字型の左回り。


そのスマホの中には、もうひとつ“異物”があった。


> 写真フォルダの中に、**自撮りの女の顔**。


ミサキだった。

彼の部屋のソファに座り、ピースサイン。

撮影時刻:前日、午前11時34分。


その画像を見たとき、しおんの心臓は強く脈打った。

だが表情は一切動かず、ただ**「この女、消すべき」**と、どこかの思考回路が淡々と結論を下していた。


---


「……あの女、わざとやってるんだ」


ミサキは気づいている。

ユウには“誰かの気配”があることを。

きっと、ユウが無意識に「何かを感じている」ことも。


天井裏から、しおんは天井の木材を指でなぞる。

この感触が好きだ。

ぎしぎしと軋む音が、まるで「ユウくんと心が繋がってる」みたいに思えるから。


そのとき。


──ガチャリ。


玄関の鍵が回る音。


「……帰ってきた」


しおんはすぐに、手元のモニターを切り替える。

玄関カメラの映像に、**彼が映る**。


傘を畳み、濡れた髪をかきあげながら、溜息をつく。

右手には、コンビニの袋。

左手には──ピンクの折りたたみ傘。


「……あの女の傘だよ、それ」


しおんの囁きは、ぬるく、冷たい。

その瞳の奥には、喜びと殺意が微かに同居していた。


---


ユウは部屋に入るなり、スマホを充電台に置き、ソファに座った。

なにかを考えているように、無言で天井を見上げる。


“目が合った”──


そう錯覚するほどに、しおんの心は激しく鼓動した。


「見えてないよね? ねぇ、ユウくん。見えてないよね?」


だがその瞬間、彼の口から一言、言葉が漏れた。


「……やっぱ、誰かいる気がするんだよな……」


息が止まりそうになる。

しおんは、口を両手で塞いだ。

でも目だけは、彼をしっかりと見つめていた。


「だいじょうぶ。

私は、ユウくんの隣。

天井の上だけど──ずっと、見てるよ」


そして、静かに微笑んだ。

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