わたしの席、ユウくんの隣。天井の上だけど。

おたべ〜

第一話 彼の“異変”に、気づいた日。

「……あれ? 今日、遅いな……」


雨の音が止んだ部屋。時計の針は午後七時を指していた。

薄暗い部屋の中、少女はカーテンを閉めたまま、スマホの画面を凝視している。

何度もリロードされるLINEのトーク画面。そこには“既読”の青い文字が浮かび、しかし返信はない。


夜咲しおん──高校二年、クラスでは“無口で不思議ちゃん”として扱われている女子生徒。

人前ではいつも静かで、感情の起伏も見せず、誰にも関わらず、そして好かれも嫌われもしない。

けれど、その内面は、誰よりも鋭く、そして誰よりも壊れていた。


「ユウくん、何してるの……?」


スマホの画面には、1時間前に送ったメッセージが表示されている。

> しおん:今日は疲れてる? あのね、傘、机にかけたままだったよ☂️


それに対する反応はまだなかった。


“遅い”のではない。

ユウくんは、これまで**どんなに疲れていても、どんなに体調が悪くても、1時間以内には返信をくれていた**。

それがルールであり、彼女の中の“愛の証明”だった。


指先が震える。

ぬいぐるみ──クマの「みるく」を強く抱きしめる。


「おかしいよね……ねぇ、みるく」


問いかけは誰にも届かない。

けれど、しおんの頭の中では、すでに**分析モード**が動き出していた。


---


彼のスマホ使用時間は、平均で日中は4.2時間。

この時間帯、彼のSNSは既に3回更新されていた。

インスタには昼食の写真(誰かと一緒)

ストーリーには“雨の空”を映した動画。


> 『今日も雨かー。ダルすぎ。』


その動画に、**女の声**が一瞬入っていた。

笑っているような、囁くような──。


しおんはその0.8秒の音声を切り出し、何度も再生する。

そして、既に保存してある女子の音声リストと照合を始める。

一致率、81%。

名前:**天野ミサキ**。クラスメイト。以前、彼の席の近くにいた女。


しおんの瞳が細くなる。

その瞬間、部屋の温度が少し下がったように感じた。


---


「……ねぇ、みるく。ちょっとだけ、行ってくるね」


パーカーのフードを被り、しおんは音を立てずに立ち上がる。

バックパックの中には、観察ノート・小型マイク・クレセント鍵開け器具・小型カメラ。

すべて、**“観察のため”**の道具。


彼の部屋には、過去の“予備鍵”がまだ使えるはず。

合鍵なんてロマンチックなものではない。彼のゴミ箱に落ちていた**鍵の型を粘土で複製して作ったもの**。

それを使うのは、これが三度目。


「……今夜も、ちゃんと見守ってあげなきゃね」


ぬいぐるみにそっとキスを落とし、夜咲しおんは静かにドアを開けた。


---


静まり返った夜。

ユウのアパートの裏口には、防犯カメラはない。

そのことも、既に調査済みだった。

壁をよじ登り、しおんは2階の非常階段へ。

雨で濡れた手すりに滑りそうになりながらも、表情は一切動かない。


彼の部屋の窓は、少しだけ開いていた。

換気のためだろう。

そこからするりと忍び込む。

動作は、まるで猫のように無音だった。


部屋には、薄く洗剤の匂いが漂っていた。

そして、リビングには……**女の髪ゴム**が落ちていた。


しおんの心臓が、静かに脈打つ。


---


彼のスマホはテーブルの上に無造作に置かれていた。

ロック画面の通知を見る。


> ミサキ💗:ねぇ、さっきの続き、まだ言ってないよ?笑

> ミサキ💗:返事くらいしてよー!www


しおんは、その画面を見ながら、口元に微笑を浮かべた。

指先が震えたのは、怒りではなく、**歓喜**。


「やっぱり……壊さなきゃ、ダメだよね?」


その言葉は、誰に向けてでもなく、ただ部屋の闇に消えていった。


しおんはバッグから**小型カメラ**を取り出し、部屋のあらゆる隅に設置していく。

彼の行動、彼の寝顔、彼の通話、全部……**監視のためじゃない、愛の記録のため**。


そして、彼の部屋の**天井裏**へと這い上がる。

そこはしおんだけの特等席。

ユウくんの真上、呼吸が聞こえる距離。


「……おやすみ、ユウくん」


しおんは、みるくを抱えながら、そっと目を閉じた。


“彼の世界”のすぐ上で、

誰にも気づかれずに。


そして、今夜もまた、観察は始まる。

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