第11話 みんな無事だといいんだけど…

カチャカチャ……ガチャン。




ギィィィ……。




誰もいないはずの家の玄関に、錠が外れる音と軋む扉の響きが広がった。


表札には「犬山」とある。築二十年ほどの木造二階建てだ。








『お邪魔しまーす……』








石田成実(33)は小さく声を掛けながら恐る恐る中へと足を踏み入れる。


長い髪を後ろで縛り、キャップのつばを下げ気味にしていた。






『成美ちゃん、大丈夫よ。ちゃんと許可は取ってあるから』


背後から声をかけたのは君江。軽く背中を押すように笑う。






成美はこくりと頷き、靴を脱いで土間に並べると家の中へ進んだ。






数か月も人が出入りしていないせいか、空気はひんやりと淀み、生活の残り香が濃く漂っている。










『犬山さんちね、一階の廊下の突き当たりが物置で、そこに布団があるって。寝室の押し入れにも同じく布団、クローゼットには防寒着と冬物衣類……。さぁ、いろいろ頂戴しましょ!』






君江が廊下を抜け、物置の扉を開け放つ。


中は雑多な荷物で埋め尽くされ、押し入れには布団がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。




『あったあった! だいぶ眠ってたみたいだから、一度天日干ししないとね』




鼻をひくつかせながら、君江は布団を一枚ずつ引きずり出す。




成美は腕いっぱいに布団を抱えてよろめきつつ玄関へ。


『すいませーん! お願いしまーす!』




外にいる仲間へ呼びかけると――






『はいよー!』






克俊らが等間隔に立ち、バケツリレーの要領で布団を荷台へ運び込んでいった。


家の周囲では猟銃を構えた裕太が、静かに辺りを見張っている。








やがて布団を運び終えると、君江を先頭に母親たちが家中へ散らばり、避難所で役立ちそうな物を探し始めた。










『あ、成美ちゃん。これどう? 少し小さいかしら』




君江が衣装ケースからくたびれた子供服を取り出す。




『うちの子には小さいですけど……蘭さんちのお子さんなら着られるかも。とりあえずキープで!』




『了解! これもキープっと』








積まれた荷物はどんどん玄関に運ばれ、克俊が苦笑する。


『おいおい……引っ越しじゃねぇんだから。少しは加減してくれよ、君江さん』




清次は腰を伸ばし、浩平は黙々と汗を拭いながら作業を続ける。


家から次々に荷が運ばれる光景は、まるで引っ越しか夜逃げのようだった。








『成美ちゃんちは家族みんな、避難所にいるんだよね?』






君江がキッチンを探りながら問う。






『はい。うちは旦那と子供の三人です。避難命令が出た日、たまたま旦那が休みで……家族そろって避難できました』






『ならよかったわね。バラバラに避難した人も多いみたいだし。小さい子がいる家は特に心配よ』






成美は少しだけ声を落とす。




『別々の避難所に行かされた家は……連絡も取れないし、無事かどうかも分からないんですよね』






そこへ青木蘭(35)が顔を出した。すらっと背が高く、両手に段ボールを抱えて立っている。


前髪が邪魔そうで、ゴムでざっくりと結んでいた。




『どうしたの? ふたりとも暗い顔して。虫でも出た?』




『いやいや。お風呂場はカビだらけで叫んじゃいましたけど!』


後ろからひょこっと顔を出したのは松本香織(24)。金髪はすっかりプリンになっている。






君江は2人の言葉に笑いながら事情を説明した。






『ちょうど成美ちゃんの家族の話をしてたのよ』






そして玄関の方へ向き直り、大きな声を張る。


『ごめんなさーい! 10分休憩にしましょー!』




『あいよー!』


克俊の返事が響いた。








ダイニングの椅子に腰を下ろした四人は、ほっと息をつく。






『蘭ちゃんちは? みんな一緒に避難できた?』






蘭は少し視線を落とした。






『私と旦那、子供たちは高校へ避難できました。でも同居してた義父母は残ってます……持病があってね。血圧とか糖尿病で薬も必要だから、医療機関の避難所に行けって言われて……。最後まで私たちを先に行かせて、自分たちは家に残っちゃって』






『そうだったんですね……』






香織もすぐ口を開いた。


『ウチも! 母ちゃんが病気持ちだからってバス断られてさ。子供はばあちゃんと一緒がいいって泣くし、揉めに揉めた挙げ句……結局残ることになったんすよ』






『香織ちゃんちは旦那さんは?』






『シングルなんで、いませんよ。両親も離婚してるし、母ちゃんと子供と三人暮らしです』




口調は強がっていたが、3人はその裏に不安があることを感じ取っていた。






『大丈夫。きっと病院の避難所にいるわ。裕太君や克俊さんに聞いてみたら?』


君江は前向きに励ます。






蘭は両手をぎゅっと組み、視線を落とした。






『分かってます。でも……もし現実を突きつけられたら、と思うと怖くて聞けないんです』








壁掛け時計の秒針の音が、静かに時を刻む。








『君江さんちは? 家族は同じ避難所に?』


香織が逆に問いかける。






君江は少しだけ肩をすくめ、努めて明るく話す。






『うちは子供は独立してるし、旦那も単身赴任で不在。母がね、90歳で。今年の1月に転んで骨折して、介護施設に入ってるの』






『……じゃあ、ずっと連絡は?』






『旦那や子供と話したのが8月の末。母の様子を施設から聞いたのは7月。だから2、3か月はご無沙汰ね』






『……大丈夫ですよ。きっと皆さん無事です!』






成美が声を強めて言う。






『そうよ。私たちが生き残らなきゃ、再会もできないんだから!』




『そうそう! 生きてりゃなんとかなりますって!』






笑顔を取り戻した君江と香織の言葉に、場の空気は少し和らいだ。








『あのー、荷台がもう一杯になりそうなんすけど』






玄関から浩平の声が廊下に響いた。






『あ、はーい! そろそろおいとましましょうか!』








最後の荷物を抱え、四人は玄関へ向かった。








トラクターの荷台は今にもこぼれ落ちそうなほどパンパンだ。






『うわぁ……これ、引っ越しか夜逃げですよね』


成美が苦笑する。






『いや、むしろ強盗だな』






克俊がタバコを吹かしながらつぶやく。






『強盗がトラクターに荷物積みますかね?』


清次のぼそりとした一言に、浩平が吹き出した。






『ぶっ……はははっ! 違ぇねぇ!』






みんなの笑い声が重なり、張り詰めていた空気が解けていく。








『さて、一旦帰るぞ。今日のうちにあと何軒回れるかだな』








克俊の掛け声と共に、物資調達の一行は市街地の郊外をあとにした。





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