夏色の炒飯への応援コメント
何度か犀川様の作品を読ませていただいたおかげで、作者のタクトが読者に対して何を指示しているのかがだんだん分かってくるような気がしました。今回は特にシンクロ率が高かったです。……とは云え、迂闊な解釈をして外してしまうのも恐ろしいものw やはり多くは語らずに済ませるのが無難か、と思ったのですがせっかくいい具合に浸ることができたので、間違いを覚悟の上で感想を述べさせていただきたいと思います。
冒頭の幼稚園児らしからぬ誘いがちょっとユーモラスに響きますね。ひまわり畑の辺りで、あぁ、これは──と察するものがありました。ラストシーンでの、おそらく恣意的なミスリードが実は子どもではなく夫の方に作用していたか、というところまではなんとか読み解けたのですが……あんまり具体的に解釈を並べるとこういう作品は興が削がれてしまう面もありますよね💦 なんか、書いてて少し後悔が💦 すみません、おかしな解釈だったら遠慮せずにぶった切ってくださいw
夏の幻というのは、いつもどこか物悲しい。
実は一番寂しい季節なのかもしれないと、これまで生きてきた経験がそう言っているような気がしました。
堪能させていただきました✨️
作者からの返信
コメントありがとうございます。
天川さんにはいつも真摯な姿勢で拙作を読んでいただき頭が下がる思いです。
作品というのは作る側の意図と読む側の理解が乖離してしまうのはある意味当然かつ自然な事ですので、そういう観点に立てば間違った解釈というのは無いといっても過言ではないかと思います。ゆえに以後もお気になさらずに読んでいただければと思います。
せっかく作品の意図について感想を頂いたので、作った側の意図をざっくり書かせていただきますと、
①息子は交通事故ですでに亡くなっている説(「わたし」もその場にいた。物語の最初から息子が登場しているがすべて幻想)
②息子は実在どころかハナから存在していなかった説(「わたしたち」の出産願望or生まれなかった不幸があったからの、「わたし」の妄想)
上記①と②を向日葵畑だったり薄暗い地下室の夢だったりで暗に表現しております。①が本線ですが、②にも解釈できるように物や話を配置した次第です。
実は炒飯は本線に対するただの添え物であり、幻惑の夏という、現実と空想の往還を視覚化するアイテムでしかないです。
滔々と語ってしまいお恥ずかしいですが、何かの情報になれば幸いです。
夏色の炒飯への応援コメント
これは……夏の夜の夢を見たような不思議な感覚がしました。
夏も冬も、私の見る夢は大差ない気がしますが……💦
前半部分は、穏やかな日常のワンシーンが描かれていて、細かな描写がリアリティを感じさせてくれて。
そして、向日葵畑で白昼夢を見たような……そこから息子を連れて帰る描写がなく帰宅するのが意味深というか不気味で、あれ?これはもしや息子さん亡くなってる……?と気づき。
タイヤの跡から交通事故だったのかな、と推察します。
夫の態度も、息子を亡くした妻を案じるそれで、炒飯を食べていたところまでは確かに存在していたのに、夫まで消えてしまう。
これは、息子の死をキッカケに、夫も離れてしまったのかな、なんて想像しました。
最後の炒飯を見つめる描写から、主人公の心が、夏に息子を失った時間から動かないでいるのを感じました。
ただ美味しそうな炒飯の話……ではなかったことが衝撃的です。
うわぁ、こんなお話書いてみたいなぁと思いました✨
作者からの返信
コメントありがとうございます。
素敵な感想をいただき、ありがとうございます。
夏の幻影をお楽しみいただけたようでうれしいです。