第4話 揺らぐ絆と魔性の囁き
神託都市エクレシアでのルシウスの襲撃は、カイの力を覚醒させる契機となったが、同時に、闇の王の脅威が現実のものであることを、人々に強く認識させた。騎士団は都市の防衛を強化し、市民の不安は日ごとに増していく。そんな中、リリスの魔手は、静かに、しかし確実に、カイとリリアーナの周囲へと忍び寄っていた。
大聖堂の一室で、カイはリリアーナの傍らにいた。彼女は、都市全体に癒しの力を送り続けているため、疲労の色が濃い。
「聖女様、少し休まれた方が……」
「大丈夫よ、カイ。私が休めば、みんなの不安がもっと大きくなるわ」
リリアーナは、力なく微笑んだ。その瞳の奥には、やはり、贄となる運命への諦めが宿っているように見えた。
その時、アメリアが慌ただしく部屋に入ってきた。
「聖女様!大変です!都市の北側で、突如として魔物の群れが出現し、騎士団が苦戦していると!」
「何だと!?」カイは思わず立ち上がった。国境にいるはずの魔物が、なぜ都市内部に?
「総長からは、聖女様の護衛を厳重にするよう指示が出ています。カイ様も、聖女様の傍を離れないでください!」アメリアが真剣な表情で言う。
「だが、それでは……!」カイは焦った。騎士団が苦戦していると聞き、このままここにいるわけにはいかない。
「カイ。あなたは、私の盾。今は、私の傍にいて」リリアーナが、静かにカイの手を握った。その手には、震えがあった。
カイは、葛藤した。リリアーナの言葉は重い。しかし、外では仲間たちが戦っている。
その瞬間、カイの脳裏に、リカルドたちの嘲笑が蘇った。
「お前なんかに、聖女様の護衛ができるのかよ、カイ!」
「せいぜい、聖女様の後ろに隠れてるんだな!」
「……くそっ!」
カイは、拳を握りしめた。このまま無力なままで、聖女の後ろに隠れているだけなのか?
「アメリアさん、聖女様を頼みます!俺は、援護に向かいます!」
カイは、そう言い残し、大聖堂を飛び出した。
「カイ!待ちなさい!」アメリアの声が、背後から聞こえた。しかし、カイは振り返らなかった。
彼の全身から、青白いオーラが溢れ出す。今、彼を突き動かしているのは、仲間を助けたいという思いと、そして、無能と蔑まれた過去への怒りだった。
北門付近の市街地は、魔物たちによって蹂躙されていた。騎士たちが必死に抗戦しているが、その数は圧倒的に少ない。
「くそっ、キリがない!」
都市に残っていた騎士の一人、エリックが、剣を振り回しながら叫んだ。彼の周りには、既に数体の魔物が倒れている。
「援軍はまだなのか!?このままでは……!」
その時、一際巨大な魔物が、エリックに向かって咆哮を上げた。エリックは、咄嗟に盾を構えたが、間に合わない。
その瞬間、青白い閃光が走り、魔物の身体が吹き飛ばされた。
「な……!?」
エリックが目を見開くと、そこに立っていたのは、青白いオーラを纏ったカイだった。
「カイ!?」
「大丈夫ですか、エリックさん!」
カイは、周囲の魔物たちを睨みつけた。その瞳には、かつての頼りなさはなく、強い意志の光が宿っている。
「散開しろ!俺が、一気に片付ける!」
カイは、地面を蹴り、魔物の群れへと突っ込んだ。彼の剣は、もはや木剣ではなく、神殿騎士が使う実戦用の鋼鉄の剣だ。青白いオーラを纏ったその剣は、魔物たちの身体を次々と両断していく。
彼の動きは、以前よりもさらに洗練され、無駄がない。一撃一撃が重く、正確だ。まるで、魔物の急所を全て見切っているかのように、次々と敵を倒していく。
「すごい……!これが、聖女の盾の力なのか!?」エリックは、呆然とカイの戦いぶりを見ていた。
その時、市街地の建物の陰から、一人の女性が姿を現した。しなやかな身体つきに、妖艶な笑みを浮かべたその女性は、リリスだった。
「ふふふ……素晴らしい力だわ、カイ。聖女のために、そこまで自分を追い詰めるなんて……」
リリスの視線は、カイに向けられていた。彼女は、指を鳴らすと、周囲の魔物たちが、一斉にカイへと襲い掛かる。
「聖女様から離れるなと、そう言われただろうに」
リリスの声が、カイの脳裏に直接響いてきた。
「仲間を守るためか?それとも、聖女の信頼を勝ち取るため?」
リリスの言葉は、カイの心の奥底にある、隠された感情を抉り出すようだった。
「聖女の盾、ねぇ。そんな役職、本当に意味があるのかしら?聖女は、いずれ贄となる運命だというのに」
「黙れっ!」
カイは、叫んだ。リリスの言葉は、彼の心をかき乱す。
「無駄よ。いくらあなたが頑張っても、聖女の運命は変わらない。彼女は、世界の希望のために、その命を捧げなければならないのよ」
リリスの声が、甘く、誘惑的に響く。
「でも、もし、あなたがその運命を変えられたら?もし、あなたが聖女を救うことができたとしたら?」
「どういうことだ……!?」
カイの動きが、一瞬止まった。その隙に、魔物たちの攻撃が、彼に集中する。
「ぐっ!」
カイの身体に、鋭い痛みが走った。しかし、リリスの言葉は、彼の心を支配していた。
「聖女を救う方法は、一つだけあるわ。それは、聖女の命を凌駕するほどの、強大な闇の力を手に入れること」
「闇の力……?」
「そうよ。この世界の全てを、闇で包み込めば、聖なる光は必要なくなる。贄も必要なくなる。そうすれば、聖女は、死なずに済むわ」
リリスは、カイの心を惑わすように囁いた。
「どうする?カイ。あなたは、聖女のために、その身を闇に捧げることができるかしら?」
カイは、混乱した。聖女を救うために、闇の力を手に入れる?そんなことが、本当に可能なのか?
その時、大聖堂の方向から、一際強い聖なる光が放たれた。リリアーナの癒しの光だ。その光が、リリスの魔性の囁きを、一瞬だけ打ち消した。
「聖女様……!」
カイは、はっとした。自分は、聖女を護るために、ここにいる。闇の力に頼るなど、本末転倒ではないか。
「惑わされるな、カイ!」
その声は、エミリア隊長だった。彼女は、他の魔物たちを蹴散らし、カイの元へと駆け寄ってきた。
「リリス!貴様、カイ殿に何を吹き込んだ!?」
エミリアは、リリスに剣を突きつけた。
「あら、ご苦労様。邪魔が入ったようね」
リリスは、余裕の笑みを浮かべたまま、後ずさりする。
「また会えるわ、カイ。その時までに、どちらの道を選ぶか、決めておくといいわ」
リリスは、そう言い残し、漆黒の影の中に溶けるように消えていった。
「くそっ!」エミリアが、悔しそうに舌打ちした。
「カイ殿、大丈夫ですか!?」
カイは、その場に膝をついていた。全身から汗が噴き出し、青白いオーラも消えている。身体の痛みよりも、心の混乱が彼を支配していた。
「エミリア隊長……俺は……」
「大丈夫です。あなたは、聖女様を護るために戦った。それだけです」
エミリアは、カイの肩にそっと手を置いた。
その時、遠くから、リカルドたちの声が聞こえてきた。
「まさか、カイがここまでやるとはな……」
「だが、あの魔物の女と何を話していたんだ?」
リカルド、レオナルド、セシルたちが、訓練から戻ってきたところだった。彼らは、戦闘の跡と、倒れている魔物たちを見て、驚きを隠せないでいた。そして、カイとエミリアの姿を見て、何かを察したようだった。
「聖女の盾が、魔物と通じていた、というわけか?」リカルドが、冷たい視線をカイに向けた。
「リカルド!何を言っているんだ!」エミリアが声を荒げた。
「現に、あの魔物が、カイに何かを囁きかけていたのを見たぞ!聖なる力を凌駕する闇の力だとかなんとか……」レオナルドが、嘲笑うように言った。
「そうよ!ひょっとしたら、あの魔物の女とカイが、結託して聖女様を狙っているのかもしれないわ!」セシルも追撃する。
カイは、何も言い返せなかった。リリスの言葉が、彼の心を揺さぶっていたのは事実だからだ。
「……信じてくれるな、カイ。我々を」
ゼノン隊長が、その場に現れた。彼の表情は、以前にも増して複雑なものになっていた。
ゼノンは、カイをじっと見つめた。その瞳には、疑念と、そして僅かな期待が入り混じっていた。
「聖女の盾などと、大層な役職に就いたところで、所詮は平民。それに、その得体の知れない力……。いつ、裏切らないとも限らない」
ゼノンの言葉は、カイの心を深く抉った。
「ゼノン隊長!」エミリアが、抗議の声を上げた。
しかし、ゼノンはエミリアの言葉を無視し、カイに冷たい視線を向け続けた。
「お前は、この神殿騎士団に、そして聖女様に、本当に忠誠を誓っているのか?それとも、己の欲のために、闇の力に身を落とすのか?」
その問いに、カイは何も答えられなかった。彼の心は、深く沈み込んでいた。
闇は、カイの心を蝕み始めていた。それは、肉体的な傷よりも、深く、根源的なものだ。
聖女を護るための力。だが、その力が、闇へと繋がる道を示しているとしたら?
彼の葛藤は、深まるばかりだった。
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神託都市エクレシアからさらに遥か遠く、魔族の支配する深淵の地の奥深く。
闇の王の玉座の間で、リリスは優雅に膝を折っていた。
「ご報告いたします、我が王。計画は順調に進んでおります」
「ほう……。あの人間は、どうだ?」闇の王の声が響く。
「彼の心は、揺らいでおります。聖女への忠誠と、己の過去への怒り、そして聖女を救うための闇の力への誘惑……。彼の内側で、感情の嵐が吹き荒れております」
リリスは、冷酷な笑みを浮かべた。
「間もなく、彼の心は、闇に染まるか、あるいは、より強固な光となるか……。いずれにせよ、それは、我々にとって都合の良い方向へと進むでしょう」
「ふむ……。聖なる光と生命の力の衝突は、我の復活を早めるだろう」
闇の王は、満足げに頷いた。
「だが、油断はするな。あの聖女は、まだ完全に力を失ってはいない。そして、あの人間の騎士の力も、未知数だ」
「御意に。しかし、ご安心を。私は、彼の心の最も深い部分に、毒を仕込んで参りました」
リリスは、さらに妖艶な笑みを浮かべた。
「人間は、欲深い生き物。特に、愛という感情は、簡単に憎しみへと転じるものです」
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