朱色の疼き

京野 薫

前編

「明日から月曜の祝日も合わせて三連休です。つい羽目を外しがちにもなりますが、もう高校生なんだから、勉強などやるべき事をしっかり行うことを忘れないようにね」


 私の言葉は、喜びと開放感に染まった歓声に埋もれていく。

 誰も私の言葉など聞いてもいない。

 それはそうだろう。

 高校二年のこの子達にとって、中学に入学してから初めての長いお休み。

 頭の中は、土曜から月曜にかけていかに遊ぶかで埋め尽くされているのだろう。

 担任教師である私の呼びかけはもはや、フードコート脇の奇妙なオブジェほどの存在感も無い。


 自分がこの子たちくらいの頃もそうだった。

 分かってはいるけど、微かに感じる苛立ちが煩わしい。


 私は書類を揃えると、小脇に抱えて最後に教室をチラリと見回す。

 開放感に染まりはしゃいでいる生徒たち。

 私の目はその中で一際目だつ男子生徒……梅野健太の所で止まった。


 高校入学早々サッカー部ではレギュラー。

 学業も優秀。

 そして……可愛い。


 男子にしておくには勿体ないくらい。

 神様もこの子については作り損なったのだろうか。


 そう思っていると、梅野君と目が合った。

 宝石の様な瞳と長く綺麗なまつげに、吸い込まれそうになる。


「あ! 岸田先生、梅野ガン見してるじゃん!」


 隣の男子がめざとく気付いて、からかうような笑みで言った。


 私はわざとらしくため息をついて言った。


「偶然です。みんなが先生の言ったことを理解してくれてるか、見てただけです」


「いやいやいや~先生! 梅野、もう好きな奴いるからダメっすよ。同年代で見つけて下さい。いいアプリ教えますよ」


 彼の言葉に教室に笑いが起こる。

 何が面白いのか理解不能だが、中高生は所謂「箸が転がっても可笑しい」お年頃なのだろう。その雰囲気に気分が上がったのだろう、近くに座っている遠藤香奈もわざとらしく手を上げて続く。


「ってか、先生彼氏とか居ないんですか? 来年には三十路ですよね。ヤバくないですか」


「ね……香奈、それ……失礼だよ」


「失礼じゃないじゃん。先生の事、心配してんだよ。じゃあ絵里香のお兄ちゃんとか紹介すれば?」


「お兄ちゃんはもう……彼女いるから」


「冗談だって!」


 遠藤さんの言葉に困ったような表情を浮かべているのは、千石愛。

 まるでお人形のような容姿に、品行方正。

 クラス内の男子の間の人気ナンバー1。

 そして……梅野君も片思いしている。


 ……でしょうね。

 まさに男子のお好きな「守ってあげたい美少女」って奴だ。


 そして、遠藤香奈は梅野君にこの前フラれたらしい。

 それでもなお諦めきれずに付きまとっているようだが……こっちに八つ当たりされても困る。

「じゃあこれで帰りのホームルームを終わります。みんな早く帰るように。寄り道はダメですよ」


 そう言いながら、教室を出る間際に梅野君に再度視線を送る。

 梅野君は一瞬表情をこわばらせたが、すぐに見返してきた。


 いい子。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 シャワーを浴び終わった私は、身体を拭き終わると身体の隅々まで確認した。

 愛する人に見せる事を考えると、ついつい熱が入ってしまう。


 遠藤香奈は私を来年三十路と言ったが、正確には再来月の誕生日で32才だ。

 この年まで教育に夢中だった。

 そのせいで彼氏も……ううん、綺麗事はよそう。

 本当は……


 そんな事を考えていると、スマホの着信音が聞こえたのでキャミソールを着るとラインを確認した。

 梅野君からだ。

 もう一階のエレベーターに来たらしい。


 私は彼に電話して返事を伝えると、自分が滑稽なほどの笑顔になっているのが分かった。

 それはそうだろう。

 この三連休。

 彼と過ごす時間の甘美な味を思うと抑えきれない。

 でも我慢だ。

 私は、彼の担任教師なんだから……


 そう思いながらもドアの前に立ち、じっと見ている。

 やがてインターホンが鳴ると、私は待ちきれずにドアを開ける。


 夕日に照らされる彼は一際可愛い。

 彼に化粧をして女の子の服を着せたら……

 その姿を想像すると、背中に鳥肌が立つ。


 そんな梅野君は私の姿を見て、戸惑ったような表情で目を逸らす。


「ん? どうしたの? 先生、そんなに変かな」


 ドアを閉めると、わざとからかうように言って梅野君に近づく。

 だけど、彼は後ずさりしてポツリと言った。


「先生……もう、やめませんか」


「やめる? 何を? ハッキリ言ってくれないと分からないんだけど」


「……こういう関係です。もし辞めないなら……学校に全部言います!」


 ほう、これはこれは……

 私は小首をかしげながら梅野君を見た。


「ああ、好きな子が出来たって噂……千石さんか。あれってホントだったんだね」


 だが、梅野君は首を振ると私を見て言った。


「今、付き合ってるんです。千石さんと。彼女の事……僕、本当に好きなんです。だから、先生とはもう会えません」


 そう言うと、彼は顔を赤らめてつぶやく様に続けた。


「……あんな事も……嫌です」


 私はそんな彼の姿を見て、笑いがこみ上げてきた。

 我慢しなきゃ、と思いながらもクスクスと笑ってしまった。


「あのね……本当にそうしたいなら、お家に入っちゃダメだよ。もう鍵もかけてるんだから。後ね……そんな事言われて『分かった。じゃあもう辞めるね。帰って良いよ』なんて……言うと思う?」


「だから……学校に全部言います!」


「で?」


 私の言葉に梅野君は、戸惑ったように顔を強ばらせた。


「で……って……」


「言えば? 証拠あるの? 私、あなたとの時間で何ら証拠に残ることはしてないんだけど。ラインだって全部あなたからの連絡のみ。私からは一切返してない。一緒にどこかに出かけたりもしてない。私、全力で否定するよ。『生徒から不当に名誉を傷つけられました』って」


 私はそう言うと、しゃがみ込んで梅野君に視線を合わせるとゆっくりと言った。


「忘れてた。あなたの……妹が万引きしてた事も、中学校にキチンと報告しないとね。兄妹揃って教育しないとでしょ? 私、教師なんだから」


 そう。

 彼の二つ違いの妹。

 彼女が受験のストレスだったのだろうか。

 スーパーで万引きしてたのだ。

 元々梅野君の行動を逐一見ていた私にとって、それは私の頑張りに神様が答えて下さった瞬間に思えた。


 その一部始終を写真に撮り、梅野君に見せて……


 だが、梅野君は私を睨み付けると言った。


「証拠……無いですよ。僕、この前先生が寝てるとき、スマホのロックを解除して……消しました。妹の奴」


 私はビックリしたように両手を口に当てた。


「え? 嘘! 凄いね、梅野君。そんな小説に出そうな事やったんだ! 先生、嬉しいな……可愛い教え子の成長を見れて。感動しちゃった……」


「……本当に消したんですよ! 嘘だと思うなら確認して下さ……」


 そう言いかけた梅野君の表情が固まった。

 そして、私の差し出したスマホを見ながら、顔色がみるみる青ざめていく。

 可愛い子って、絶望する表情も愛しいんだよね……うん、今回は「ちょっと刺激的なコース」で行こう。

 千石さんの事とか、今回の反抗的な事とかもムカついたし……ちょっと苛めたくなってきた。


「確認したよ。で、消えてたからまた入れ直したの。だって……その顔が見たかったから」


「先生……まさか」


「良く出来ました。画像はキチンと別の所に保管してるよ。そこからまたコピーしたの。あ、あとちょっと嘘ついちゃった。梅野君と私の愛の記録もちゃんと録画して保管してるから。個人的に楽しみたいしね」


 梅野君はすでに言葉もなく、その場にへたり込んでいる。


「おいたは今回限り。もし、次にこんなふざけた事したら……あなたと私のしちゃった画像、私だけ加工してネットで売りまくるからね。あ、良かったら妹さんにもプレゼント……」


「やめろ!」


 彼がそう叫んだ瞬間。

 私は彼の髪を掴んで、力一杯廊下に投げた。

 うずくまり、痛みでうめき声を上げる梅野君に馬乗りになると、私は無言で彼の制服のボタンを外し始めた。


「先生……本当に辞めて下さい!」


「あなた、馬鹿なの? 辞めるわけ無いじゃん。私、あなたの事が好きなの。あなたを手に入れる。千石愛……あんなクソガキになんであなたを取られないと行けないの! 高校に入ったあなたを見たときから、ずっと……見守ってたのに。あなたの寝相の悪さも、冷蔵庫にいつも板チョコを二枚入れていることも、お風呂で左の首から洗うことも、エロい動画を見た後で家族にバレないようにトイレの中で慰めてることも……あのクソガキは知らないでしょ。家族だって知らない。私だけなの!」


「先生……なんで……そんな事……」


 そう言って、恐怖で顔を真っ青にして震えている梅野君を見ながら私は、顔を近づけて……キスした。

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