新人歓迎会
「やっぱ四百キロはきっついな……」
「帰るだけなんだから全力で飛ばさなくても!」
部屋の前の渡り廊下で両足に手をつき、ゆっくり肩で息をする来留さん。
自身にも
「……全力出せば、私一人やったらマッハ二……いや三はいくし……」
「それに今日がちょうど良かったから、ノロノロ帰ってられへんわ。綿来くん、今日家でご飯食べへんって言うてるよな?」
「それはもちろん、約束通り……」
「ほな良かった」
テミスへ向かう前、「晩ご飯食べて帰ろ」と決定事項で伝えられたため、母には連絡していた。
どこでなにを食べるかはなにも話していないが、もしかしてこれは……部屋で二人きりの夕食ということか……!?
と脈拍が上昇しかけていたときだ。
「綿来くん入職おめでと〜う!」
ワインレッドのドアを開けた途端、華のある声と耳に響く爆発音、そしてカラフルな紙テープが頭を覆った。
「……これは?」
「おめでとう!」
「おめでとう」
宝木さんと来留さんは並んで拍手している。この図、見覚えがあるぞ。
「有名な最終回か! ……もしかして、今日ご飯誘ったのって……」
絡みついた紙テープを取り払いながら中へ進んだ。
折りたたみテーブルの上には半月型のスライストマトが乗ったマルゲリータに海老が彩っているシーフードピザ。そしてカラッと揚げられたポテトとポップコーンシュリンプ。ついでに数種類のジュースと申し訳程度のサラダが用意されていた。
「綿来くんの歓迎会や」
「歓迎……してくれるの?」
「そらそうやろ」
「もちろんだよ! ね! 彗も!」
宝木さんの目線の先には窓にもたれて両腕を組んでいた黒瀬さんがいた。この雰囲気からあまり歓迎されているとは思えないが。
「……度胸は評価するよ。度胸だけはね」
「綿来くんにカバーしてもらったくせに〜! ああ言ってるけど本当に歓迎してるから!」
「ちょっと、七花」
「なんですか〜本当のことです〜う」
黒瀬さんは「余計なことを言うな」と言いたげに名前を呼ぶが、宝木さんはおかまいなしにニヤニヤとしてひらりと躱わす。
とにかく、初対面のときよりも俺に対する嫌悪感は薄れているようで少し安心した。
「ほら冷める前に食べようや。いただきます」
「綿来くんが主役なんだから先に好きなの取って! 礼奈に取られる前に!」
「えっ、あ、ありがとうございます」
来留さんの一声をきっかけにパーティーは始まった。
ピザはまだ温かさを保っており、一ピースを持ち上げればチーズは離れまいと伸び、チキンにかぶればカリカリの衣に肉汁が絡んだ。そこにジンジャーエールを流し込めばより一層美味い。
「来留。三切れも一気に確保しようとするな」
「私四百キロも飛んだんやで? もう耐えれんて」
「彗、サラダ食べてる?」
「後で食べるって」
チーム、というより家族のようにも見える光景だ。
他人同士でこんな関係が築けるんだ。
感心すると遅れて嫉妬が生まれた。……自分の歓迎会でなに黒い感情出してんだよと自らを嘲る。
「……なんで笑ろたん?」
ピザを齧りチーズを伸ばした彼女が尋ねた。
変なところを見られてしまい、恥ずかしさがじわじわと湧く。
「いや、家族みたいに仲良いなーって……良いなと思って笑っただけだよ」
そう言うと、間が訪れた。
変なことを言ってしまったかと皿のピザから視線を上げると、三人とも顔を見合わせていた。
「付き合い長いから、もう適当になってお互い好き勝手してるだけやけど……」
「家族みたい……かぁ」
「僕はよく分かんないけど」
ピンと来ていないようで眉尻を下げたり眉間に皺が寄ったりと難しい顔が並ぶ。
本人たちには『仲が良い』という意識はなさそう、というかもはやそんな概念はないのだろう。
テーブルの上にあった食べ物が八割がた消えた頃。
「あ、そうそう」
来留さんがなにかを思い出したかのように冷蔵庫へ駆け、白い箱を取り出した。
「じゃーん」
およそ直径15センチメートルのケーキが現れた。パッと見た感じではその辺のお店に置いていそうなケーキではない。
ナパージュのドレスを着こなしたフルーツたちは純白生クリームのベッドに寝転がり、その周りには型抜かれたクマのクッキーが取り囲んでいる。
クマたちの間に降り注いだ星型のクッキーには鮮やかなアイシングが施され、縁からは艶のあるチョコレートがたらりと伝い落ちていた。
「え……こ、これ、来留さんが!?」
「私ちゃう」
「じゃあ宝木さん……?」
「私こんなの作れないよ〜」
ということは、どこかでオーダーメイド注文したケーキ——
「黒瀬が作ったんやで」
ではなかった。
「うえぇえ!?」
この中で一番甘い物には縁遠そうな人が。
まさか、こんな芸当ができるとは。
「そんなゲテモノ見るような目で見ないでよ。別に君を祝うために作ったわけじゃないから。趣味だからついでに作っただけ」
これはいわゆる『ツンデレ』に分類されるのだろうか。
「ん? じゃあここにあったクッキーって……」
「あれも黒瀬や」
「彗のおかげでお菓子に困らないんだよね、そのおかげで太りつつあるけど」
女子の手作りクッキーだと信じ込んで味わった俺は。
たしかに味は完璧だった。間違いなく美味しかった。
心にいるもう一人の俺は、一筋の涙を流していた。
「綿来くんにはフルーツとクッキー多めね!」
「あ、ありがとうございます……」
切り分けられたケーキにフォークを差し込む。
動物性油脂特有のミルク感の強いコクとまろやかさがしっとりとしたスポンジケーキを包み込んだ。
そこに酸味を孕んだ果汁が合わさることでアクセントが生まれる。もう黒瀬さんは実働部隊員ではなくパティシエの道を進んだ方が良いのではないかとさえ思える。
クッキーを齧ると、キャニスターに入っていたディアマンクッキーと同じ味がした。
「彗、作るたびに上手くなってるよね〜」
「クッキーも減ってきたからなんかまた作ってや」
「来留が食いすぎなんだよ。バターも卵も高いのに」
来留さんはピザもチキンもあれだけ食べたのにケーキを頬張っている。甘いものは別腹ということだろうか。
「どうしたの。あんまり口に合わない?」
嫌なら食わなくていい、の言葉が今にも飛んできそうな顔で問う黒瀬さん。
「いえ……プロが作ったような味がして……美味しいです」
これは偽りのない本音である。
「な……」
彼は目を向いて言葉を詰まらせた。
「な、何言ってんの? ただの趣味で作ってる物だし、売り物のケーキ食べたことないの?」
何を動揺しているのか早口になり、誤魔化すようにクッキーをサクサクといわせた。
「素直に『ありがとう』でええやん」
「すぐそんなこと言う〜」
そして女性陣からすぐに指摘されている。
黒瀬さんは「うるさい」とだけ返しケーキを口へ運んだ。
来留さんはケーキを一ピース食べ終え、残っていたシーフードピザをオーブントースターで温めてから食べていた。その細い体のどこに収められているのか不思議で仕方ない。
「あ、忘れとった。綿来くん明日からしばらく超能力訓練してもらおうと思っとって」
「超能力訓練……?」
「そう。実戦用に鍛えるために」
「ああ、なるほど」
「訓練相手は黒瀬な」
思わず固まってしまった。
「く、来留さんと宝木さんは……?」
「私らは基本ノータッチで。教えられることがあれば教えるけど、
彼女の言っていることはもっともである。俺がリーダーでもそう考えるだろう。
「よ、よろしくお願い……します」
「僕は甘くいかないからね」
そのようなことは1ミリたりとも思っておりません。
「明日からやるよ」と付け加えられ、俺は心を無にした。
「それじゃ、お開きにしますか〜」
「そやなぁ」
時刻は午後八時半。
宝木さんに続いてケーキを片手に来留さんも賛同する。彼女の中でパーティーはまだ終わりそうにないが。
スマートフォンを開き乗換案内で時間を打ち込む。
「うわ、最悪……」
信号機トラブルにより遅延発生しダイヤが乱れていることが判明した。
電車を利用する以上遅延はつきものだが、嘆息を漏らさずにはいられない。
「どうしたん?」
「電車が遅延してる……」
「飛んだらいいんじゃないの?」
「……あ、そっか!?」
「『その発想はなかった』みたいに言うやん。超能力の存在忘れてない?」
「飛ぶのは極力控えてるっていうか……親から『人に見られないように』ってよく言われてたから」
日常的に超能力を利用している三人と、普通の人たちに溶け込むように生活していた俺とでは自身と能力の心理的な距離があまりに違った。
「あぁそういうこと! うちに入ったからには大丈夫だよ、万が一ヤバそうになってもテミスが揉み消してくれるし!」
「そ、そうなの?」
「揉み消すってちょっとアレな言い方やけど……テミスは超能力が表に出んようにもしてる組織やからな。バレたら世間は混乱するやろし、悪用しようとする奴も増えるやろし」
「多少バレかけても
「やってること反社の一歩手前じゃないソレ!?」
あ、出てしまった。と思ったが時すでに遅し。
「操作言うても催眠に近いからな。そんな強力なモンちゃうよ」
「もちろんその力悪用したらテミス送りだけどね!」
超能力犯罪を取り締まっている組織だけあってそこはきちんとしてるのか。
正義の味方と反社の境界線上にいる機関である。
「とりあえず綿来くんはまだ
「ただでさえテミスまで送ってくれたのに、これ以上は……」
「僕が送るよ」
名乗り出してくれたのは黒瀬さんだった。
「けど、黒瀬らと逆方向やで?」
「別にいいよ」
来留さんと宝木さんは律儀に玄関先までお見送りをしてくれた。
「今日はありがとう、また明日!」
「綿来くん! またね!」
「またな〜」
黒瀬さんの
「うわっ!?」
自分の
「そんなにびっくりするほどじゃないでしょ。で、家どこなの?」
「えっと……科学館の近く……」
「は!? あそこ!?」
「す、すいません! やっぱ自分で帰ります!」
ただでさえ冷たい表情が険しくなり、ヒュッと息を飲む。
「飛んだらすぐそこだしいいよ」
「わっ!」
体が前方へ倒れ直進する。下を向けば光の筋が生まれておりいつもとは違う夜景が広がっていた。
やっぱり飛ぶのは気持ちが良い。
「なんでわざわざこんな遠いとこ通ってんの?」
「……中学で、色々あったというか……知ってる人が誰もいなさそうな学校が良くて」
「ふーん……
ピンポイントで言い当てられ、思わず首を絞められたような声を出す。
「な、なんで分かったんですか」
「
「使わざるを得ない状況になりまして……」
「人助けとか?」
「自分を助けるため……ですね」
彼の冷笑が夜風に乗って顔を掠めた。
「結局、保身のために見せびらかしたんだ」
部分的に説明したせいで俺がガキ大将としてのさばっていた人間になってしまっている。
その誤解はさすがに解きたかったため、正直に話すことにした。
「居眠り運転の車が、突っ込んできたんです。思わず飛んで避けてしまって。……それだけです」
黒瀬さんはしばし間を空けてから口を開いた。
「……その事故どうなったの」
「運転手の人がムチウチになったくらいで……他は誰も怪我してないです。……たまに『轢かれた方が良かったかも』って思ったりしましたね」
やっぱり痛いの怖いんで無理ですけど、と笑った。けど、黒瀬さんは笑わなかった。
「それは、人助けだよ」
「……え?」
「君という死傷者が出なかったことで、運転手は加害者にならなかったんだから」
自分を助けるために使った力が、人助けになっている。この一年半、至りもしなかった考えだ。
冷えた風が鼻の奥をツンと刺した。
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