第五章 現代パート「霧の奥に眠る都」

紫苑様は、ついに霧島の名を口にした。


霧も、火も、この地に生きている。

衛星写真の輪郭は、ただの山影ではなかった。

円弧を描く稜線りょうせんは、かつてのカルデラの痕跡こんせきであり、

いくつもの盆地と水脈が絡み合う「境界の地」を形作っていた。


「ここが、本当に終着点なんだろうか。」


紫苑様はタブレットを指先で滑らせた。

霧島連山は南北に広がり、北東には高千穂峰、南には新燃岳しんもえだけが連なる。

古代、この地がどれほど人の想像を呑み込み、拒んだのか。

その気配が、地図越しにも伝わってくるようだった。

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【魏志倭人伝の記述を再確認します。】


イオナが文面を表示する。

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【原文】

「其南有狗奴國。男子爲王。其官有狗古智卑狗。不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。又其國界東西以海為限。南北與邪馬台接。其道里不可得而論也。」


【口語訳】

「その南に狗奴国があり、男が王である。狗古智卑狗という官がいて、女王国には属していない。郡から女王国までの距離はおおよそ一万二千余里。またその国の境界は、東西は海を限りとし、南北は邪馬台国と接している。その道や距離は明確に論じることができない。」

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「距離は一万二千余里。単純計算で九百キロを超える。」


【ただし、方角と距離の誇張は三国志でも多く見られます。現実的な行程では、水行陸行を合わせて約四百〜五百キロの範囲と推定する論もあります。】


「投馬国から邪馬台国まで、水行十日、陸行一月。霧島に至るには、川と陸路を繋ぎ、最低でも十の峠を越える。」


紫苑様は指でルートをなぞった。

球磨川上流からえびの、都城、霧島の盆地へ。

そこに点在する遺跡が、線で繋がっていく。

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「霧島神宮の旧跡、霧島東神社、高千穂河原の祭祀遺構……。この分布は偶然じゃない。」


【それぞれ、火山信仰の痕跡です。】


「霧島神宮の旧跡は、高千穂峰の中腹にあったんだよな。何度も噴火で焼けて、それでも再建された。」


【霧島東神社では、火山灰を敷いた祭壇跡が確認されています。高千穂河原には、噴火後に行われた鎮火祭の供物や、鉄製祭具の破片も残されています。】


「生きて帰るだけで、意味がある儀礼か。」

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紫苑様はため息をつき、画面を切り替えた。


「都城の梅北Ⅰ遺跡……。ここも無視できない。」


【弥生末期から古墳初期にかけて栄えた大規模集落です。方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼ群、鉄製武器、鉄器の型が出土しました。】


「つまり、この地には武力を持つ首長層がいた。」


【南九州における鉄の使用は、他地域と比較しても先進的です。霧島の火山灰層に埋もれた遺物と同時期に成立しています。】


紫苑様は地図を拡大し、霧島市内を指でなぞった。


「上野原遺跡、市ノ原遺跡……。霧島山に近い場所に、これだけの定住集落があった。」


【上野原遺跡は、日本最古級の定住集落です。縄文後期から弥生初期まで人が住み、火山噴火を経験しながら継続的に生活が営まれていました。】


「市ノ原遺跡は?」


【霧島山の噴火に伴う火砕流が集落を襲いました。それでも生活痕跡が残っています。】


「噴火を恐れながら、あえて近くに住む理由があったんだろう。」


【火は脅威であり、同時に霊威でもあった。火口の祭祀は恐れと敬意が交わる境界の儀式でした。】

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紫苑様は小さく息を吐いた。


「本当に……。この場所から九州を統治していたのか?」


【記述が真実であれば、霧と火の境界から権威が生まれた可能性があります。】


「でも、この地勢でどうやって北九州に影響力を及ぼしたんだ。」


【それを裏付ける証拠はまだ不十分です。ただ、この三角の領域を中心に多くの痕跡が重なるのは事実です。】


紫苑様は画面に表示された地図を見つめた。


「ここを見てくれ。」


タブレットに、えびの、都城、霧島の三地点が青い光で浮かび上がる。

指先で線を結ぶと、霧島山を囲む三角形が浮かび上がった。


「……霧島デルタ。」


【霧と火が交わる三角形の境界。】


「もしここが邪馬台国なら……狗奴国はどこにあったんだ?」


紫苑様は地図を南へ動かした。

志布志しぶし鹿屋かのや大隅おおすみ半島の影が広がる。


【魏志倭人伝では狗奴国は南に接するとされています。】


「ここか……。あるいはもっと南か。」


【記述に『南北與邪馬台接』とある以上、隣接していた可能性が高いです。】


「……そして、この霧の奥に、都があったのか。」


【現在の霧島神宮旧跡や高千穂河原が、その中心地だった可能性があります。ただ、火口に近い高地か霧に覆われた盆地かは断定できません。】


「どちらにしても、この地は境界そのものだ。」


画面に光る三角形が、ゆっくりと収束していく。


「霧の奥に、火の記憶が眠っている。」


【そしてそれは、境界を越える者への試練でもあります。】

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