第2話 殺人事件?
そもそも、その日の事故というのは、
「ここ数日続いている中でも、3日目」
ということであった。
さすがに、世の中の人は、
「三度目」
ということになれば、許さないだろう。
「二度あることは三度ある」
と言われるが、それは、あくまでも、
「三度目があるということは、普通ならありえないことで、実際には、最初にすべて解決されるはずだ」
ということではないだろうか。
「二度目までは、偶然ということで片付けられても、三度目というのは、人災の可能性がある」
ということを、特に事故の場合は言えるということになるだろう。
だから、三度目が起こるということは、二度目を本当に偶然と考えているということからで、
「本当に、自分たちに責任がある」
と考えるのであれば、最初の時に、真剣に取り組み、二度目も、それが起こるのを阻止するはずだ。
それができずに二度目が起こったということは、
「最初から、事故を防ごう」
という意識がないということになり、
「真剣に受け止めず、他人事のように思っている」
ということで、
だからこそ、
「二度目があれば、三度目がある」
ということであり、さらに、そこから先は、
「半永久的に続く」
ということを暗示させるのであった。
「二度あることは三度ある」
というのは、
「戒め」
ということでの、ことわざではないか?
もっといえば、
「ことわざではなく、格言として皆が受け止めなければいけない」
という、
「先人の知恵」
というものが孕む言葉なのではないかということであろう。
それを考えると、
「世の中で言われていることわざ」
であったり、
「格言」
というものは、それなりに意味があることで、
「逆の意味も一緒に考えなければいけない」
ということになるであろう。
特に、鉄道会社というのは、
「人や荷物を、決まった時間に、安心安全に、目的地に送り届ける」
というのが当たり前ということではないだろうか?
しかも、
「鉄道会社が、事故を真剣に考えようとしない」
というのは、
「事故が起これば、儲かる」
と考えているのではないか?
それが本当かどうか分からないが、冷静に考えれば、それも考えられなくもないということになるのだ。
というのも、
「交通事故で被害に遭い、病院に誘引すればするほど、金になる」
というような話を聞いたことがある。
というのは、
「交通事故に遭って、入院すれば、保険に入っていれば、一日いくらという形で金が降りる」
ということである。
よく、コメディドラマなどで、
「交通事故で、骨が折れたかなどで入信する場合、入院が長引けば金になるんだ」
と言いながら、実際には、治っているのに、医者に対して。
「まだ痛いんです、歩けないんです」
といって、
「医者を困らせながら入院を続けている」
というシーンがあたりするではないか。
それこそ、本当は違反であり、許されることではないが平気で行われているわけで、それを知っている人は、
「鉄道会社が、会社ぐるみで、事故が起これば、同じことをしているのではないか?」
と勘ぐるのも無理はないことである。
というのも、鉄道法というものがあり、
「故意に電車を止める行為をした」
という人に関しては、鉄道会社に対して、賠償をしなければいけない。
というのがある、
何百万単位での賠償金が課せられるわけで、これが、
「自殺による人身事故」
ということで電車を止めた場合であっても、逃れることはできない。
「本人は死んでしまっている」
といっても、許されるというわけではない。
その賠償義務は、
「遺族に行く」
ということだ。
それこそ、
「債務者が夜逃げをすると、その債務は保証人にいく」
というのと同じで、それを考えると、
「鉄道会社は、やくざよりも恐ろしい」
ということで、
「やっていることは、やくざ顔負け」
といってもいいだろう。
下手をすれば、
「のちの世代3代までも、その債務に追われる」
ということになるというくらいである。
実際に、そのようなことは起こっているだろう。
「社会問題にどうしてならないのか?」
ということが分からない。
何といっても、
「家族にその責を負わせておいて、鉄道会社は、自分たちも団体として、事故保険というものに入っているだろうから、乗客からと保険会社からの、二重取り」
ということになって、下手をすれば、
「ウハウハが止まらない」
ということになるだろう。
本当にそうであれば、
「やくざ顔負け」
ということになるだろう、
そうなると、一番の被害者は、
「鉄道を利用している乗客」
ということになる、
実際に、鉄道利用者に対して、何んら保障があるわけではない。
何といっても、
「一切の払い戻しなどもなく、遅れた分だけ、その賠償を背負わされる」
ということになる。
実際に、
「鉄道会社によっては、その対応にも、天と地ほどの差がある」
といってもいい、
バスなどを持っている会社では、
「大害交通手段」
ということで、ピストンバスをすぐに用意できるだろうが、
「バスを持っていない」
という会社ではそんな対応はしてくれない。
「では、タクシー代くらいくれてもいいのではないか?」
といって交渉しても、何もしてくればい、
「過去にそんな事例はない」
ということで、門前払いを食らうだけだ。
しかし、実際に被害を受けているのは乗客なので、
「一体どうしてくれるというのか?」
ということになるだろう、
それを考えると、
「鉄道会社は、さすがやくざ顔負け」
ということになり、
「特に、元国鉄」
という会社は、
「その最たる例だ」
ということになるだろう。
何といっても、昔は、
「親方日の丸」
ということで、国家権力がバックにあるようなものであったので、いくらでも、
「胡坐を掻いた商売ができた」
ということで、その問題が、
「累積赤字」
ということで表面化してくると、やっと世間も、
「ひどい」
ということに気づき、政府も、
「民営化」
ということにして、借金もろとも、民間に、責任を押し付けることになったのである。
しかも、今度は
「民間企業」
ということで、
「営利企業」
なのだ。
「利益を挙げなけえれば、罪悪」
と言われる世界に入りこんだわけで、シビアに利益追求をするためには、
「利用客に、できるだけのサービスをしないといけない」
ということになるだろう。
しかし、実際には、口では、
「サービス」
といって、表面上は、
「客に寄り添っているかのような感じ」
であるが、実際には、
「赤字の解消」
ということで、
「赤字路線は、少ないとは言いが奈良生活に必要な利用客がいるのにかかわらず、簡単に切ってしまう」
ということであった。
「それでは困る」
ということで、
「自治体が、その鉄道を買い受けて、自分たちで運営する」
という、
「第三セクター方式」
というものを取り入れて、何とか地元で盛り立てるというやり方をしているのが、今の現状であった。
しかも、民間会社になったにも関わらず、
「やっていることは、国鉄時代と一緒だ」
といってもいいだろう、
その最たる例が、
「人身事故での対応」
である、最近では。
さすがに、駅員が笑顔で、
「人身事故ですからね。しょうがないですよ」
といって、客の神経を逆なでするようなことはなくなったが、相変わらずの
「塩対応」
ほとんど、客に対しては何もしてくれないというのは、以前と同じことであったのだ。
それを思えば、
「利益を追求するシビアなことはするくせに、客への対応は、国鉄時代と同じ」
ということで、
「国鉄時代の悪いとこだけが残ってしまった」
ということで、
「これじゃあ、本当に、やくざと変わらんわ」
と言われても仕方がないだろう。
そもそも、利益を追求しないといけないというわけで、
「人身事故で儲かるのであれば、もっと人身事故が起こればいい」
というような、不謹慎なことを考えているとは思えないが、
「あの鉄道会社だったら、十分にありえるな」
と考えさせられるのだから、
「それだけの会社なんだ」
ということで、
「諦めていいものなのか?」
それとも、
「誰かが今からでも、変えることができるのだろうか?」
とも考えるが、
「まず無理だろうな」
ということは、
「ほぼ共通下意見ではないだろうか?」
と、誰もが思っているに違いない。
今回の事件は、実際に発生した時は、
「事故」
「事件」
「自殺」
のすべての可能性があった。
というのは、何も問題がなければ、
「電車への飛び込み」
いわゆる、
「電車の人身事故」
だったからである。
それも、時間としては、朝のまさに、
「通勤ラッシュの時間」
ということであった。
つまりは、
「ホームには人がごった返していて、一歩間違うと、押しくらまんじゅうという状況になり、
「ホームに押し出される」
という状態になりかねないのであった。
もし、今回のものが、
「事故である」
ということであれば、
「そこに、何ら問題はない」
ということになる。
しかし、これが自殺だということになると、当然、殺人を疑ってみないわけにはいなかい。
まず、最初に問題となるのは、
「目撃者の存在」
ということである。
現場で一部始終を見ていた」
という人がいれば、それが一番なのだろうが、問題は、
「その人の証言の信ぴょう性」
ということである、
何といっても、たくさんの人が乱立している、
「朝の通勤ラッシュ」
ということであれば、本当に、
「まわりの人と少し降れただけで、ホームに落とされる可能性もある」
というほどの込み具合であれば、乗客一人一人が、
「人のことなど構っていられる場合ではない」
ということになるだろう。
「自分だって、いつ人から押し出されるかどうか分からない状態で、他人を気にするなどという状態ではないといえる」
そうなると、目撃者が証言したことも、
「本当にそうなのだろうか?」
と、疑ってみてしまうのも仕方のないことであろう。
確かに、
「私はずっと、その人のことを見ていました」
といっても、状況というべきほど、危険な込み具合であれば、
「どうして、そんなにその人のことが気になったんですか?」
と言われかねないともいえるだろう。
「ひょっとすると、その人が女性で、死んだ人間が、男性だったり、その逆だったりすると、ストーカー気質ではないか?」
と思われたとしても、無理もないことであろう。
そうなると、
「証言も、どこか、疑われないようにしないといけない」
ということで、
「本来の真実から、少し目を逸れているかも知れない」
といえるだろう。
ただ、それは、
「事実ではない」
といっているとは限らない。
実際に、
「事実」
というものと、
「真実」
というものでは、基本的に意味が違っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます