溺死するなら底まで泳いで

夜市川 鞠

溺死するなら底まで泳いで



 世間っていう言葉が大嫌いです。世間世間言われる度に、お前のいうその世間ってやつを、ひっぱり出してこいや、と思います。世間ってあなたの目に見えている範囲のことでしょ、ねぇ、そうなんでしょと問い詰めたくなります。けれど、私は世に言う世間とやらの名声を得ることで、私の言葉が発言に値することを確かめたくて、でもそれって、なんというか、変じゃないですか。矛盾しているじゃないですか。お前の言う世間も、お前に見えている範囲だけだろって、特大ブーメランじゃないですか。

 そうなんです。大岡信さん曰く、「言葉は氷山の一角」だから、言葉として表出するのは全体の一割にも満たないから。冷たい海の中をどぷんと覗いてみないといけなくて。深海へ泳いでゆかないと見えないことの多さに愕然として、私はあまり泳ぎが得意じゃないから、意味をうまく受け取れなくて。けれど、そこに確かな意味があることだけはわかっていて。

 私は幼い頃、よく両親に「ばかな子ね」と笑われました。私はよく騙される子で、父からはよく悪戯をされていました。悪戯と言っても、きっと今そこにいるあなたが頭に浮かべているような卑猥なものではなくて、頭脳を使った悪戯です。例えば、インターネットが普及したばかりの頃、私がまだ五歳くらいだったでしょうか。サイトの右上に手を振る小さな小人を見つけ、「小人さんが手を振ってるね」と言ったのに対し、父は驚いた顔で「え、動いてないよ」と言います。最初は、父が私を脅かそうと思っていっているのだと思いましたが、何度も否定され、挙げ句の果てには、頭がおかしくなったのかもしれない、病院へ行かないと、と決死の形相で言われたものですから、不安になった私はとうとう泣いてしまいました。私の肩を抱く父は、怖かったね、と笑いました。泣いている私を見て、母はまた、困ったように「ばかな子ね」と言いました。そういう事が、何度もあって、私は、私の意見は正しくなくて、両親の意見が全てで、両親がいないと生きていけないばかな子なのだと、ずっと思っていました。

 一方で、私の言葉がちゃんと機能していて、誰かに届く、という証明が欲しいと強く願いました。「ばか」の言葉一つで跳ね除けられた私の言葉たちが無意味ではないという確証がどうしてもほしかったのです。


 そんなばかだった私に転機が訪れたのは、二十歳過ぎのことです。

 残業帰り、終電を待っていた私に声をかけてくれたのが、私の好きな人でした。息を切らしながら、忘れ物、と手渡してくれたスマホを見てぎょっとしました。スクリーンの自動ロックをかけ忘れていた私のスマホ画面には、私の読書日記の文章が白く光っていました。

「文章書くの好きなの?」

 これは、他の人の書いた文章で、とかなんとかいくらでも嘘をつけたのに、嘘をつくなと叩き込まれて育った私は、素直に首を縦に振ってしまいました。

「ごめん。見るつもりなかったけど、あの、気になって読んじゃって。花さん、すごいよ。力のある文章書くんだね。本がすごく好きなんだって伝わってきて、俺もその本、読んでみたいと思った」

 あ、届くんだ、と思いました。彼のまっすぐな言葉は、私の心を眩い光で突き刺しました。

まっすぐな言葉を放つ彼は私の恋人になりました。彼は、私が初めて、両親に相談一つせず交際を決めたお相手でした。その人は、私のことをばかだと笑いませんでした。私の言葉に、命が宿っていることを認めてくれました。私は、それだけで十分だったのです。

 けれど、両親はひどく哀しみました。そして、私にこう言い放ったのです。

「おれは、そいつと家族になりたくない」って。私は憤りました。私の好きな人は、私と家族になるのであって、あなたと結婚するわけじゃない、と。私は、私の言葉を初めて正しいと思って使っていました。けれど、両親も譲りませんでした。そして、私が縁談を進めるならば、お相手の家を滅茶苦茶にするぞと脅したのです。私は、そんなことはできまい――と思いながらも、かりそめの言葉に騙されまいと思いながらも、なんだか、そんな両親のもとに生まれたことが恥ずかしくなって、恥ずかしさのあまり、とうとう別れを切り出してしまいました。

 私は好きな人と家族になりたかったけれど、私の家族とは家族関係にしたくない、と強く思ってしまったからです。



 二人で指輪を見に行こうと約束していた日、私は駅のフォームであなたを見つけ、開口一番にこう言いました。


「私、好きな人ができたの」


 私の好きな人は、不思議そうに笑いました。何言ってるの、って。

「だから、別れてほしくて。結婚も、あなたとはしたくないの」

 私の言葉が、ママにならないで、とどこかで願いながら。

 私の好きな人は、私の真剣な眼差しに、次第に顔を引き攣らせました。きっと、泣くまいとしている顔を、別の意味で捉えられたのでしょう。彼は何も言わずに立ち去りました。似たもの同士がくっつくのだとしたら、彼も私と同じく、言葉をママに受け取る人だと、わかっていたはずなのに。

 そういう人だとわかっていたから、私はこういうふうな別れを選んだのに、残された私はホームでわんわん泣きました。

 まっすぐな彼は、あの日、初めて日記を読んでくれた時のように、私の言葉の海へ潜ってはくれませんでした。

 そんな私を見て、両親はまた、「ばかな子ね」と、いつものように私を抱きしめました。

 私の選んだ人が、普通のサラリーマンじゃなくて、どこかの玉の輿だったならば、両親は喜んだでしょうか。それとも、家族になりたくないっていうのは、今はまだ心の準備ができていない、という意味だったのでしょうか。だとしたら、私は、ものすごく後悔しなくてはならなくて。私が全て間違いだったと、認めねばならなくて。昔からされていた私をばか呼ばわりする悪戯だって、私に頼られるのが嬉しいからだったり、しないだろうか。なんて考えたらキリがなくて。


 私は今も、言葉の海をうまく泳げないまま、ままならない日々の中で、ママで届いて、ママにならないでの間を揺蕩いながら。

 言葉の海で、無様に精一杯息をしています。


〈了〉

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