第4話 リエさんの存在と渡会さんからの誘い

 頭に何かがぶつかって、目の前にちゃぶ台の足が見えた。

「出迎えもないのか!」

 マツさんだった。いつの間にか寝ていたらしい。

「ごめんなさい、すぐにごはんの用意するから」

「いらない。食べてきた」

 あたしの腕を引っ張って立たせて、ベッドにつれていく。


 今日は後ろから突っ込まれた。初めてだった。あたしのお尻とマツさんのお腹があたって高い音が何度も鳴る。マツさんがいつもより呻いているのが気になった。

「リエたん、リエたんっ」

 マツさんがあえぎながら知らない女の人の名前を呼ぶ。何度も何度も。

 ああ、だから後ろからだったんだ。マツさん、あたしを「リエたん」の代わりにしてるんだね。


 目を閉じた。兄にされてきたことがパズルのピースのようにパラパラと降ってきたけど、それは深くて暗い、穴の中に吸い込まれていくみたいだった。

 兄にされてきたのは、たいしたことじゃないんだ、これに比べたら。あたしは、過去を乗り越えられるかもしれない。



 行為の後、マツさんはあたしを抱きしめるでもなく、優しい言葉をかけるでもなく、背を向けて寝息をたてた。

 いつもの、けたたましいいびきが聞こえてから、あたしはこっそりと起き上がり、ちゃぶ台の側に置いてあるマツさんの鞄からスマホを取り出した。

 試しにマツさんの生年月日を打ってみたら、簡単に開いた。LINEから、「リエたん」を探してみる。

 リエ、りえ、理恵、利江・・・・・・。

 Rieが見つかった。マツさんの職場のグループにその名前があって、今日、じゃなくて、日付が変わったから昨日、招待されてRieが入ったことが分かった。

「よろしくお願いします」というRieさんのメッセージに、5人がスタンプやメッセージを送っている。

 マツさんも「分からないことがあったらいつでも聞いてネ(にこにこマーク)」と送っていた。

 それから、今日さっそく歓迎会が行われたことを知った。


 マツさんはリエさんに一目惚れしたらしい。

 ドクンドクンと胸を打つ音が首筋を通り、耳の奥でシャンシャンと大きく響いていく。嫉妬ってやつなんだろうか。それとも、不安? あたしのこの場所が、リエさんに取って代わられるかもしれないから?


 そんなわけないと、頭の中でもう1人のあたしの声がした、ような気がした。

 誰があんな・・・・・・、その先を考えないようにして、息を大きく吸って、吐いて、この動悸を治めようとするうちにまったりとした眠気が襲ってきたから、そのまま横になって眠りに身を任せてみた。



 次の日も、その次の日も、またその次の日も、マツさんの帰りは遅かった。

 ご飯の用意をしても食べてきたと言うから、あたしもマツさんを待たずにこっそり先にご飯を食べるようになった。

 寝ていたら文字通り叩き起こされるけど、そうじゃなければ鼻歌なんかを歌ったりして機嫌が良さそうだ。叩いたり蹴ったりされるのが減ってきて、時々あたしをリエさんの代わりにするぐらい。

 何かあったの?なんて聞かない。何かあたしが言ったら「気分を害した」と、また暴力を振るわれるだろうから。


 平穏な日が続いた。


 その間、コンビニに毎朝、あのキレイな、女優さんみたいな人・・・・・・渡会さんが来て、

「困ったことはない?」

「何かあったら言ってね」

 と声をかけてくれた。本当に、いい人だ。

 でも、体の痛みはないし、夜も眠れているから、特に相談することは無いかな。

「大丈夫です」

 と、できる限りの笑顔をつくって、あたしは答える。


 あのキモ男はコンビニを辞めた。いや、辞めさせられたらしい。カエさんとあたしへの度重なるセクハラ発言、女性客へのナンパ行為が理由だとユミさんに聞いた。

「あんな男はね、一度はあれ、メンズクライシスだっけ? あれで痛い目をみたほうがいいわよ。自分が悪いなんて全然思っていないんだから」

 ユミさん、それは言い過ぎじゃないかなあと思ったけど、

「そうですねえ」

 と相づちを打っておいた。あたしも少しは大人になったのかもしれない。


 ついでに言えば、クレーマーのオジも来なくなった。カエさんに向かって怒鳴り散らしていたとき、偶然、渡会さんが来て、オジと同じくらいの声量で怒ったのだ。

 よく聞こえなかったけど、オジの行為はカスタマーハラスメントだとか、法律用語を並べてオジを言い負かしたらしい。なんてかっこいいんだ。美人で、頭がよくて、男の人を相手に堂々としている。



 その渡会さんに、お茶に誘われた。朝の、誰もお客さんがいない静かな時に。

 なんであたし? 渡会さんはとてもステキだけど、急に距離をつめてこられたからびっくりした。

 それに、騒がしいところじゃ会話ができないし、きっとつまらない思いをさせてしまう。断ろうと思ったけど、

「びっくりしたよね、ごめんね。でも、他に頼める人がいなくて」

 好きな漫画のコラボカフェで推しキャラをイメージしたパフェを食べたい。限定グッズも買いたいけど、まわりには若い人だらけだからオバさん1人では行きづらい。申し訳ないけど、あたしの姪ってことで一緒に来てくれたら助かる。もちろん、奢るし、交通費も出します、と。

 渡会さんは頭を下げて頼んでくる。


 オジに怒鳴り返した人と同一人物とは思えないくらい、ギャップがすごくて、笑ってしまった。

 その漫画、あたしは知らないけどパフェは食べてみたいかも。それに、あたしには友達がいなかったから、誰かとカフェに行くことに、実は憧れていたんだった。

 マツさんは今日も遅いはずだから、少しぐらいあたしも遅く帰っていいかもしれない。思い切って、渡会さんの誘いに乗ってみた。

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