入道雲

つかさあき

入道雲

1


 葉灘美子はなだねこは八月の青空をでこぼこ畦道に横たわって見上げていた。

 夏休み真っ只中なのだが、九月の文化祭に向けて手芸部に所属する美子はクラブ活動に出るため登校しようとしていたのだが……

「ホント、さいっあく……」

 美子の通う高校は部活動が活発で、彼女の所属する手芸部も例外なく文化祭に向けての熱量は半端がなかった。

「全員、最低でも一点は提出すること」

 天災部長カラミティジェーンの異名を持つ梶純菜かじじゅんな部長の至上命令は守らなければならない。それに梶部長の訓示が飛んだのは、夏休み前の七月後半だったので、日程的に厳しいものではないはずだった。

 それでも一年の悲哀と言うべきか、上級生の材料買い出しや雑用でなかなか時間が作れず、夏休みに入っても美子はまだ何を作るか、デザインすら浮かんでいない有様だった。

 これはマズいと思った美子は宿題そっちのけでデザイン作成に取り掛かり、昨日ようやく錆びついた頭脳が始動を始め、遅くまでデザイン画を起こしていたのがいけなかった。

 遅れていたデザイン画を明日には部長に提出できる、と思って夜更かしてしまい、お陰でギリギリの時間に起きてしまったので、普段通る道よりは近道だが舗装もままならない畦道を走り、盛大に足を取られて転倒してしまった。

 田舎のバスを甘くみてはいけない。一本逃すと次に来るのは一時間後なんてザラである。なので美子の判断も仕方ないところもあったのだが、最悪の結果となってしまった。

 手にしていたスマホは幸いにも目に見えるところにある。派手に落としたので無事かどうかは定かではないが。

 ただ足を挫いてしまったのか、足を動かそうとすると激痛が走る。スマホまでの数メートルが彼方に感じられる。

 さらに最悪なのが普通の道路のそれとは違って人通りが少ない。だから激痛に耐えてスマホを取りに行かないといけないのだが、八月の熱線が体力を奪っていく。

 そんな中、美子は痛さと暑さを紛らわすため、デザイン画について考えを巡らしていた。


2


「あ〜、かったるいわ〜」

 昨日、梶部長から「文化祭まであと一ヶ月と少し。皆、最低一点は製作する事。一年は作る前にデザイン画を提出すること」との訓示を受けた葉灘美子は、教室の机で突っ伏していた。ちょうど昼休み、お昼も済ませたので愚痴を言うには充分な時間がある。

「なあんで提出しないといけんねん?」

「変なもん作られたら、かなわんからやろ」

 美子の愚痴に答えたのは、友人のユキだ。同性の美子から見ても美人の部類に入るユキは、ギャルというほどではないけれど、校則スレスレの制服の着こなしに、髪も少し染めていて、よくもまあ教師に目をつけられるような事をするもんだと思わずにはいられない。目につくのはそのお胸だけにしてくれ、とはいつも思っているけれど。

「そんなん作るわけないやん」

「わっからんよ〜? 目立ちたがり屋はそこらにおるけんねえ」

 ユキの訛りは可愛いと評判だ。美子は言われたことがないけれど。

「じゃあ、そいつらだけ怒ればええやん」

「うちのガッコは文化部も体育会系やもんね」

 美子たちが通う高校は文化系クラブが強い。書道部や茶道部は全国の何とか大会とかで入賞とか特選受賞といった輝かしい功績を上げている。

 そして美子の所属する手芸部も地域主催のフリーマーケットやバザーでの人気が高い。クラブ活動だから収入は一旦、学校側に寄付として入るけれども、お陰で部費は潤沢である。そんなところに変なものを出品される事を梶部長は危惧しているのだろう。

「ま、みねっちにはそんな度胸ないやろけどね」

「言ったな〜! 私だってその気になればなあ──うわっぷ!」

 突風が吹き、カーテンを膨らます。窓際の席だった美子はカーテンに抱かれるような形となってしまった。

「ンもう! 髪がぐしゃぐしゃになるやないの!」

 カーテンを解こうとした時、グラウンドが見えた。七月の炎天下、物好きにもランニングをしている男子が視界に入った。

「おーい、大丈夫か?」

 ユキがカーテンから解放してくれた。

「あ、ユキ。見て」

「ん? なんかあるのん?」

「アレってわたりじゃね?」

 渡とは美子の隣の席の男子生徒だ。ガッシリとした体格で背もそこそこ高い。確か野球部だったはずだ。

「お〜、ホントだ。愛しのお隣様じゃんよ」

 ユキが冷やかすが美子は、

「やめてくんない? あいついっつも汗の匂いさせて、こっちはメーワクしてんだからさ!」

「お〜、怖。いやならスプレーなりハンカチなり貸してやったらええのにな」

「なんでそこまでしなくちゃいけないのさ!」

「ばっかだなあ、みねっちは。ちょっと優しくしてやったら何でもいうこと聞いてくれるんだぜ、男ってやつはさ」

「ええ、ユキこそ怖いよ〜」

 そう言って二人は顔を見合わせて笑い合う。

「でもさ」

 ふと、ユキが真顔に戻って言った。

「ん?」

「野球部って予選で負けたじゃんね」

「あ〜、うちは弱いもんね」

 美子は野球に興味がないので詳しくは知らないが、よくて地区大会の二回戦あたりが最高成績じゃなかっただろうか。

「負けても走ってるなんて、青春だねえ」

「そうだねえ」

 でも、汗臭さは勘弁してよね、と美子は内心呟いていた。


3


 つらつらとそんな事を思い出していたら突然ぬっと、影が出来た。

 そんな大きな入道雲が出てたっけなあ、とぼんやり考えていると、入道雲が、

「大丈夫か?」

 と、声をかけてきた。

 ──え? 人? 誰?

 暑さと痛さで朦朧としている意識の中、美子は懸命に気力を振り絞り入道雲の正体を確かめようとする。

 渡だった。

「転んだのか。ちょっと待ってろ」

 渡は返事も待たず、美子の挫いた足を濡れタオルで冷やす。

「いつっ!」

「すまん。でもちょっと我慢してくれ」

 慣れた手つきは野球部で培ったものだろうか。手際よくタオルを足に巻く。

「すまん、先にこれを渡すべきだった」

 ぬっと差し出してきたのは水の入ったペットボトルだった。滴る水滴が美子の渇きを刺激する。

 美子はペットボトルを引ったくるように奪い、口にする。飲んでから、

「あっ」

 小さく声を上げる。引ったくったペットボトルは封が切られていた。ということはつまり──

「心配すんな。タオルを濡らしただけで口はつけてないから」

 渡が苦笑しながら言った。

 そんなつもりはなかった、と言いたかったけれど、間接キスを気にしてしまったのは否定できない。助けてもらってるのにと少し自己嫌悪になる。

「あのスマホ、葉灘……さんの?」

 恥ずかしさと自己嫌悪で返事が出来なかったので、頷きで返答の代わりとする。

 渡は気にした風もなく、スマホを拾ってきてくれたが、

「画面、バキバキになってるけど通話とか出来そうか?」

 と言って渡してくれた。

「あ、ありがと」

 さすがにお礼を言い、パスコードを入力する。渡は律儀に視線を逸らしていた。

 スマホは何とか無事のようだが、電波の入りが悪い。田舎を舐めてはいけないと痛感させられる。

「操作はできるけど、電波が……」

「貸してもらっていいか? ランニングだけのつもりで出てきたからスマホ持ってきてないんだ」

 断る理由がない。とりあえず親の番号を呼び出し、あとは通話ボタンを押すだけというところまで操作して、渡に渡す。

「ちょっと借りる。あ、これも渡しておく。良かったら使ってくれ」

 渡はボディバッグからデオドラントシートを取り出し、美子に渡すと電波が入りそうな場所を求めて歩いて行った。

 美子はありがたく使わせてもらう事にし、顔や腕をシートで拭く。シートの冷ややかさが体を駆け巡り、先ほどの水分を補給したことも相まってか精神的に落ち着きを取り戻してきた。と同時に、無様に転んだところをよりにもよって隣の席の男子に発見された羞恥心がむくむくと鎌首を持ち上げてくるが、足を痛めているので逃げたくても逃げられず、暑さとは別の汗が出てきそうだった。

 しばらくすると渡が戻って来、

「親御さんと連絡がついた。車で迎えに行くって」

「本当! ありがとう──って、何すんの!?」

 美子が驚くのは無理もなく、渡はいきなり美子を抱え上げようとしたのだ。

「ここは車が入れないから、そこまでおぶって行く」

 何のてらいも恥ずかしげもなく、渡は言い切った。

「嫌だろうけど、我慢してくれ」

「そ、そういう意味じゃなくて──いたっ!」

「足、痛むか。ゆっくり歩くけど、痛かったら言ってくれ」

 汗にまみれた渡に背負われると、当然のことながら渡の汗の匂いから体臭まで伝わってくる。言い換えれば美子も同様で、特に美子の場合は渡に発見されるまで日差しに晒されていたのだから汗だくである。

 先ほどシートで拭いたからと言って、それは気休め程度。今も照りつける夏の日差しに汗は止まることはない。

「すまんなあ、葉灘。汗だくの背中、気持ち悪いだろ?」

「え、いや……そんなこと」

「ほら、葉灘はさ、汗臭いの嫌いじゃないか。いっつも悪いって思ってんだけど、汗っかきでな、おれ」

 一応、汗拭きシートとかで気をつけてんだけどな、ごめんと渡は謝った。

 その渡の実直さと、自分の思いが渡に知られていた事に暑さとは別の目眩を美子は感じずにはいられなかった。


4


『え〜! お姫様抱っこ!?』

「ちっが〜う! おんぶだよ、おんぶ!」

 そして勘違いも甚だしい、と美子は付け加える。

 渡に何から何まで助けてもらった美子は、バス停留所で親が来るのを待っている間も渡のお世話になった。

 とにかく水分の補給が第一と、自動販売機で買えるだけの水を買っては美子に与え──美子も少しは持ち合わせがあったから、全て渡が出した訳ではないが──乾いたタオルに水分を足して患部を冷やす事など、本当にお世話になった。

 親の到着を待つ間も話し相手になってくれた。美子はもう大丈夫だからと言ったけれど、人気のないところに女の子一人にする訳にはいかない、それに葉灘はケガしてるじゃないか、と同学年とは思えない紳士っぷりを発揮したのだ。

 渡の紳士っぷりはまだ続いた。美子の親の車が見えると用事は済んだとばかりに立ち去ろうとしたのだ。

 さすがに美子は呼び止めたのだが、

「いつも汗臭いのを我慢してもらってるから、これでチャラな」

 とだけ言い残して。

 ここまで助けてもらい、かつ迷惑もかけたのだ、何かしらのお礼をしないと思うが、男子との交流のない美子には妙案など浮かぶはずもなく、自分より圧倒的に詳しいであろうユキに連絡をしたら、これだ。

「こういう時って、何をどうやってお礼したらいい?」

 病院で手当してもらった足をさすりながら、聞いてみる。骨や筋に異常はないが、腫れがひどいので今はベッドに横たわりながら安静にしている。

『みねっちは、お礼をしたいだけなの』

「え? そりゃお礼しないといけないでしょ?」

 通話口の向こうのユキはちょっと間を置いて、

『実際さあ、キュンって来なかった?』

 ズバッと聞いて来た。

「はあ? 来ない来ない。いや、めっちゃ感謝はしてっけどさ」

『……ふうん、そっか。ま、ならいいんだけどさ』

 美子は顔が紅潮していくのを実感していたので、ビデオ通話でなくて良かったとそちらにばかり気を取られていて、ユキの微妙な言い回しにまで気が回らなかった。

「やっぱり菓子折りとか?」

『オバハンか』

 一蹴された。そもそも菓子折りは美子の母親も言っていたから反論できない。

『てかさ、もっといいもんあんじゃんよ?』

「いいもの?」

『まずリボンを用意します』

「リボン?」

 ふむ、確かに贈り物にリボンは必要かとメモを取る。

『それをマッパのみねっちに巻きつけます』

「うんうん、マッパのあたしにリボンを……をー!?」

 スマホの向こうから笑い声、部屋の外からは、美子うるさいよ! と母の注意する声が飛び交った。

「ユキ、あんたねえ!」

 怒りと羞恥で顔を真っ赤にする。

『あっはっは、ゴッメンゴメン。こんなにキレイにかかる子、初めてだわ』

 ツボに入ったのか、ユキはまだ笑っていた。美子は憮然として、

「こっちは真剣に聞いてんですけどー」

 頬を膨らませ抗議する。惜しむらくはビデオ通話でないのでユキに見えないことだ。

『分かった分かった、迷える子ネズミよ。導いてあげようぞ』

 誰がネズミだ、確かに子年の子を冠しているけども。

『そなたの話を聞くに、汝は渡某に返さなくてはならぬものがあるじゃろう』

「返すべきもの?」

『ほれ、痛めた足に巻いてくれたものがあろうよ?』

「あっ!」

 何故忘れていたのだろう。今は洗濯中だけど、渡が足を冷やすために巻いてくれたタオルがあったではないか。そしてそのタオルは無地の部分が多くなかったか?

「で、でも勝手にそこに刺繍するとかは、失礼にならない?」

『あんた刺繍して返すつもり!?』

 ユキはキャラ作りも忘れ、素に戻って聞き返した。

『あたしはそれを口実にして、何か欲しいものはないか聞けばいいんじゃにゃーの? って言おうとしただけなんですけどねえ?』

 美子は左手で目を覆い、天井を仰いだ。

『言っちまいな〜。ほんとは渡の事、気になってしまったんですってよ〜』

 完全に失言だった。語尾にwや草がついて来そうなユキの愉快そうな声にも反論できない。

「……正直、分かんないだよ」

『うん』

「捻挫と熱中症手前を助けてくれた。でもそれまで接点なんて席が隣なだけで話したこともないし」

『うん』

「でもめっちゃ親切に助けてくれた。だからお礼は気持ちを込めてしたいの」

『うん』

「ただ、きっかけが欲しいの。どう話かけていいのか分かんない。最初の一言がありがとうだったら、それでもう話が終わってしまいそうで……」

『だったら挨拶から始めたら? おはようとかこんにちはとか』

「え? そんなんでいいの!?」

『そんなんですら、していない相手だったんでしょ? だったらそこから始めるのが順当でしょ?』

「な、なるほど」

 何となく言いくるめられている気がしないでもない。でも妙に説得力を感じたのも確かだ。

『気持ちは時を移さず、だよ。まあ、頑張んなよ』

「あ、ちょっとユキ!? 切れちゃった……」

 自分と話していないで、渡に連絡をし感謝の意を述べよ、と言うことだろうか。

 実はユキには言っていないが、停留所で迎えが来るまでの間、渡と連絡先を交換していたのだ。その番号はバキバキに割れても健気に動くスマホに登録されている。

 スマホの時計表示は午後十一時を回っていた。

 ユキには時を移さずと言われたが、この時間に連絡を取るのも憚れる。

「よし、明日の朝に」

 決心し、目を瞑る。疲れからか、すぐ眠りに落ちた。


5


 翌朝、起きてすぐに渡に連絡をした。驚くほど躊躇いもなく、通話ボタンを押せた。

 朝七時。夏休み中では厳しいかと思ったが、数コールで渡が出た。

『はい、もしもし』

 少し寝ぼけた声。お陰でこちらの緊張が和らぐ。

「あ、あたし。葉灘美子です」

『え!? なんで葉灘さんが』

 渡は自分の番号を登録をしていなかったのだろうか。美子はちょっと唇を尖らせる。

「おはよ、渡くん。昨日は本当にありがとう! 昨日の内にお礼を言いたかったんだけど、ちょっとバタバタしてたから。朝早くにごめんね。寝てた? あ、掛け直そうか?」

 ユキの言う通りだ。おはようから始めただけなのに、言葉がスラスラ出てくる。言葉の洪水って本当にあるんだと、ちょっと感動さえしそうになる。

『ちょ、ちょっと落ち着いて』

 昨日、あんなに冷静だった渡が慌てているようで、それが美子にはおかしかった。

「うん。落ち着く。渡くんの声で、落ち着けた」

『へえっ!?』

 昨日のあたしってこんなんだったのかな、と思いながら、

「ねえ。あたし手芸部なんだけど、文化祭のデザイン画を渡くんをイメージしたものにしていいかな」

 ──うわ、全然落ち着けてない。おかしいな、頭はすっごくハッキリしてるのに。まるで熱病にかかったみたいだ。

「それでね、時間があったら見にきて欲しいの。あたし一生懸命作るから!」

 ──展示が終わったらあげる、とはまだ言わないでおこう。

「もちろん、昨日のお礼は別にちゃんとするから──」

『ああ、うん。ちょっと情報がいっぱいでアレだけど、文化祭、見に行っていいってことかな?』

「うん、そう!」

 熱病にうなされるまま、半ば自身の意思とは別の何かが命ずるままに言葉が流れ出していく。

『参考までに聞いていいかい?』

 やっとの事でと言った感じで渡が聞いてくる。

「なに?」

 今になって動悸が激しくなってきた。落ち着けと何度も言い聞かせる。

『おれをイメージって、どんなの?』

 思わず身構えていた身体の緊張が解けていく。とても簡単な問いだったからだ。

「入道雲」


〜了〜

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