7ページの足跡

つきのラボ

第1話 記憶喪失

25歳の俺は、少しずつ“自分”を失っている。


昨日の夕飯も思い出せない。

誰かと電話した気がするけど、名前も、声も、全部ぼんやりしている。

カレンダーの予定だけが滲んで、そこに何が書いてあったかさえ分からない。


最初は「疲れてるだけだろ」と笑っていた。

でも、忘れる速度はどんどん加速していった。



忘れたくない。

何か、大事なものを失ってる気がする。

だけど――何を失ったのかすら、もう思い出せない。


一番怖いのは、

「忘れてることすら忘れてしまうこと」だった。



みんなからは「ユウシ」と呼ばれている。

それが俺の名前らしい。

でも、その響きに、どこか他人のような感覚があった。


自分が“自分”じゃない気がする。

名前だけが、誰かに貼られたラベルのように浮いていた。


そしてもう一つ――

ずっと引っかかってることがある。


苗字が、ない。



病院のカルテも、リハビリの記録も、すべて「ユウシ」だけ。

まるでこの名前に、誰とも繋がっていない孤独が染みついているみたいだった。


「俺の苗字、なんでしたっけ?」


その一言すら怖くて、聞けなかった。


苗字を思い出したら、

誰かを失った現実が戻ってくる気がした。



名前って、不思議だ。

記号のはずなのに、それひとつで誰かと繋がっていられる気がする。


だから俺は、“忘れることを忘れないために”ノートを買った。


書いて残せば、少しずつでも自分に戻れる気がした。

でも──何も書けなかった。



何を思い出せばいいのか。

どこから書けばいいのか。


わからない自分を、ノートにどうやって残せばいいんだ?


手にボールペンを握ったまま、何時間も座っていた。

ページは真っ白なまま、俺だけが色褪せていく気がした。


そして、確信した。


もう戻れない。

忘れたものは、二度と取り戻せないんだ。


その事実が、恐ろしくて、震えた。



次回予告

第2話「残りの7ページ」


破り捨てたノートの白紙が、

どうしようもなく悔しくて、

全部ビリビリに裂いてしまった。


でも――なぜか、7ページだけは捨てられなかった。


俺は決めた。

この7ページは、大切な人たちに渡す。

ユウシという名前しか持たない俺が、

忘れたくない“何か”を、誰かに教えてもらうために。

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