序章:最終話
突然の父親の登場に、翔は二の句が継げない。
「鳩が豆鉄砲くらったみてぇな顔だな。まぁ無理ねぇか」
頭を掻きながら、大鳥は息子たちのほうへ歩み寄ってくる。
「いや、言い訳さしてくれ。実を言うと、オレも
「あーもう! じゃぁ誰なんだよ!」
我に返って翔は怒鳴る。今にも殴りかからんばかりの剣幕だ。
その勢いで、
翔の怒りはもっともだった。これではたらい回しだ。
「母さんだ」
「……母さんが……?」
「遺言ってやつだな。お前に、俺らと同じ生き方をして欲しくなかったのさ。まぁ、因果なもんで、あいつの血が濃く出ちまったばっかりに、結局、お前もこんなことになってんだけどな」
「ちょっと待てよ! それじゃ、親父たちも……?」
「ああ、衆の人間だ」
「クソッ! なんなんだよ、オレの周りは……!」
堪忍したように、翔はその場にあぐらを掻いた。
脚を曲げた瞬間、ポケットに入れていた拳銃がかさばるのを感じた。
取り出し、まじまじと見つめる。
「これをオレに教えたのは?」
「オレだ。睡眠学習も使ったがな」
「それもぜんぶ、記憶を抜いたんだろ?」
「ああ。ただし、そいつを握れば、使い方だけは思い出すようにしてる。銃はオレが昔、衆で使ってたものだ。足はつかねぇ」
「そっか……ふふ」
翔は鼻で笑った。最大の皮肉を込めた自嘲だった。
これのおかげで自分も凰鵡も助かった。
だから、教えてくれたことに恨みはない。
だが、思い出した記憶は、いままた消されようとしている。
自分のなかが、知らない自分だらけだ。
自分とはなんなのだ?
どこから、どこまでが本物の自分なのだ?
いま、ここにいるのが自分だと、自信を持って言えるのか?
凰鵡との出逢いと、ふれあいは?
ともに助け合った達成感は?
これでは、なんのために必死で生き残ったというのだろう。
死んでなにもかも無になるのと、どう違う?
本当は少し期待したのだ。
自分が、記憶を消されてこの学校に潜入していた衆の者なのではないかと。
そんな都合の良い話があるわけない。いくら自分に強い霊力や、特殊な経歴を持つ父母がいようとも、すべては大きな運命の波によって押し流されてゆくのだ。
(母さんの遺言か……ズルいな、ったく)
翔にとっては、いきなり切り札を出された気分だ。
実子から見ても、翔の母は優しく、賢い女性だった。
帰りの安定しない父を支えて家事と育児のほとんどを担いつつ、自身もパートタイムの看護師として生計を立てていた。重労働であったろうに、それでいて息子には決して、疲れやつらさ、不安を見せなかった。
そんな母に無理をさせすぎたことを、父が悔やんでいるのも解っている。
まったく勘の良すぎる子供は苦労するのだと、自分でも思う。
しかし、だからこそ、残された願いを叶えてやりたいと思うのも、分かる。
──だからといって、納得できるものか!
母は好きだ。尊重したい。
だが、自分の人生まで決められて我慢できる翔ではなかった。
なら、どうする──
「いま、ここでやるのか?」
顔を上げ、翔は訊いた。
「……ああ、オレがやる。そのために来たんだ」
大鳥が答えた。
「わかった。あと少しだけ、凰鵡と話させてもらっていいか?」
「若者よ、今日出来ることを明日に回すなってね」
「オレたちに明日はないかもよ?」
「ちっ、口達者になった」
舌打ちする大鳥だが、その表情はまんざらでもなさそうだ。
「凰鵡」
「ん?」
「次、逢ったら、最初からちゃんと〝凰鵡〟って名乗ってくれよ。これが、何回目か分かんねぇけどさ」
凰鵡が息を呑んだ。
「翔……気づいて……」
なんでもお見通し、と言わんばかりに、翔はわざとらしく肩をすくめて笑ってみせる。
「お前と『功夫ハスラー』の話してるってことは、少なくとも二回目か?」
「……三回目だよ。最初は、挨拶をしただけ。二回目で話をして……きみはボクに、映画とか漫画とか、いろいろ教えてくれた」
頬を濡らし、鼻をすすりながら、凰鵡は微笑む。
泣き虫なやつだな、と思いながら、翔自身も釣られて泣きそうになるのをグッと堪える。
「そっか……じゃぁ次逢うときまでに、『イビルドラゴン』の続編、読んどけよ」
「ど……ドぎついエロいの……?」
「そ。ドぎついエロいの。実は超おすすめ」
「う、うん……頑張る……!」
「約束な。よし」
凰鵡に向けていた顔を、正面に戻す。
「やれよ」
「エラそうに」
大鳥が息子の前に膝を突く。
「やらしてやるんだから、エラそうでいいんだよ」
「はいよ」
両手の指を前にかざし、大鳥は深く息を吸い込んだ。
「手加減すんなよ」
その瞬間、大鳥の指が、息子のこめかみを叩いた。
「うぁ──!?」
目の前に雷が落ちたかのような閃光が、翔の意識に走る。
痛みはない。だが、まるで自分が失われるような、忌々しい光だ。
……お前、まさか!
かすかに父の声が聞こえる。
翔自身は、自分がどうなっているか分からない。
ひょっとしたら、力を入れすぎてとんでもない姿勢になっているかもしれない。
だが、だとしても構うものか。
意識を
翔──!?
この声は……聞き覚えがある……! これは……!
(負けるかよ! オレはァ──!!)
記憶を消し去ってゆく光の嵐に、翔は全力で抗った。
*
夕陽が沈みかけていた。
商店街の一角、飲み屋の立ち並ぶ小さな夜の街を、大男と小柄な少年が、揃って歩いて行く。
大男は相変わらずの革ジャケット。少年の方はパーカーだ。
「兄さん」
「なんだ」
二人の会話は、他の人間には聞きとれないほどの小声だった。
「今回の任務で亡くなった翔の友達は、どうなるんです?」
「衆が警察と連携し、精巧な遺体を偽造したうえで、架空の事故がでっち上げられる。おそらく、二人一緒のところを巻き込まれたという形でな」
死んだあとに恋人になってしまうのか。そう思うと、凰鵡は胸が締めつけられる。
「ボクたちの痕跡も、全部消されたんですね」
任務終了後、現地に衆の事後処理チームが入ったのは凰鵡も知っている。足跡ひとつ、指紋ひとつ残さない徹底ぶりだという。
妖種の巣あとに残された、翔の鞄をはじめとする所持品も、専門チームが突入して無事に全品回収されたとのことだった。
「ボクらのことは、誰も覚えていない。覚えられる必要もない」
「それが我々だ。だが少なくとも、覚えていようとする者はいた」
二人の行く先から、親子連れが歩いてくる。
くたびれたシャツと無精ヒゲの中年親父と、高校の制服を着たままの生意気そうな少年だ。
「なーんか食いてぇもの、ねぇのかよ。珍しくパパが早く帰ったってのに、甲斐がねぇな」
「先に言ってくれてりゃ、こっちだって考えとくわい。ていうかパパって柄かよ気色悪ぃ」
「あー? お前、パパっつってただろが」
「何十年前の話だよ? 下手すりゃ前世だよ」
口は悪いが、なんとも
兄弟と親子……二組が、すれ違う。
翔もすれ違いざまに、凰鵡のほうをチラリと見た。
だが、それだけだった。
なにごともなく、二組は別々のほうへと歩いて行く。
「ボクの気配に気づいたみたいです」
「ああ」
「次は、勝つ……かも……ッ」
凰鵡の声が、涙に濡れてゆく。
大鳥の忘却術を破れず、翔は事件に関わるすべてを忘れた。
いま、すれ違ったのは、それを確認するための作業である。
明日には、友人と、想いを寄せていた女の子の死を知るだろう。しばらくは悲しみに暮れるだろうが、やがてはそれを乗り越え、日常へと戻ってゆく。
(翔……また、逢えるよね)
振り向くことなく、凰鵡は雑踏に消えてゆく背中へと思いを飛ばす。
だが、そんな日が来ないことこそ、翔にとっては幸せなのだということも、凰鵡には分かっているのだった。
降魔戦線
─Warriors in The Darkness─
序章編 了
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