序章:第14話
「よくやった」
「ありがとうございます」
鸞は光を失った
顕醒もそれを受け取り、懐にしまった。
終わった……と翔は感じた。
その時、違和感が襲ってきた。
空気が震えていた。
地震ではない。
肌がピリピリする。見えないヤスリで全身を撫でられているようだった。
「なに、これ……?」
それでいて、冷たい。
凍えるような不快感に、翔は身を縮める。
「世界が消える」
こともなげに顕醒は言った。
「え? あ、妖種が死んだからですか? 創造主と一緒に、その精神の具現化も消えるっていう……」
鸞がオロオロしながら訊ねる。
「その通りだ」
「そんな、じゃぁボクらこのまま」
「問題ない」
唐突に、顕醒の太い腕が翔と鸞を抱え上げた。
「え?」
「あ? ──うぉあ!?」
なにごとかと驚く間もなく、二人は顕醒に連れられて空に舞っていた。
一瞬の遅れで、足下にあった校舎が消滅した。プールも、校庭も、中庭も、そして空も……すべてが消え去った。
完全な虚無の世界──闇でも光でもない。上も下もない。想像だにしていなかった未知の空間に、翔は悲鳴を上げそうになる。
だが、幸いにも、それは長く続かなかった。
気づけば、茜色の空と町並みが、目の前に広がっていた。
出口を通って、もとの世界に戻れたのだ。
なぜ空中にあったかは分からないが、これも顕醒が用意していたのだろうか。
(あ、そういや、屋上から隣の校舎に自分たちがいるか、見とくの忘れてたな……)
そんなことをぼんやり考えながら、生きて帰れた喜びを噛み締める。
いつもと同じ空と町だが、いまは懐かしく、そして美しく見える。
風を感じる。重力があって、はるか下には見慣れた校舎の屋上────
「うえええぇぇぇ────!?」
今度こそ、翔は悲鳴を上げた。軽く十メートルほどの自由落下だった。
すっ、と顕醒が静かに、まったく衝撃を感じないほど優しく着地しても、生きた心地はしなかった。
腕を解かれた途端、地面にへたり込んで立てなくなってしまった。
「翔、大丈夫?」
鸞が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「今日……一番怖かった……」
目の前に、鸞の手が差し伸べられる。
翔はそれを握り返した。
「ありがとう」
「こちらこそ」
翔が立ち上がっても、握られた手は離れなかった。
離れがたい──二人の指がそう言っていた。
鸞の眼には、また、あの寂しげな陰りが宿っている。
「なぁ、鸞。答えて欲しいことがある……嘘なしで」
「……! なに?」
別のことを考えていたのか、突然の呼びかけに鸞はビクつく。
「オレとお前は…………」
言葉を継ぐのに、かなり間を要した。
苦しかった。言ったところで、悲しいだけだ。
だが、確かめなければならない。
そう。たとえ鸞が何者だったとしても、自分たちは────
「オレとお前は、幼馴染みじゃない、よな」
鸞の表情が凍り付いた。
眼には驚きと怖れ、そしてやはり、悲しみ。
その眼がスッと、顕醒に泳ぐ。
助け船を求められた兄は、ただ黙って頷いただけだった。
それが何を意味する肯定なのか、翔には分からない。
鸞は
「……はい。ボクたちが
急に、口調が変わった。
「あなたが妖種に狙われている。護って欲しいという依頼を受けて、ボクたちは、あなたに印象操作を施しました」
「印象操作?」
「一種の催眠術です。施したのは衆の仲間ですけど。それであなたに、ボクは幼馴染みだという認識を植え付けました。あなたに日常生活を送ってもらいながら、ボクとは自然に接することができるように、です」
「いつの間に……」
「翔さんの家で、です。施術の記憶も消されてます。けれど、消すことはできても、改変することは難しい」
なんていうことだ──翔は空を仰いだ。
自分が知らないことだらけの鸞。
その鸞がいない、幼いころの記憶。
だから、何かがおかしいとは感じていた。
しかし、自分一人を護るために、まさかここまで手が込んでいたとは。
「本当は、あなたが印象操作に気づかないよう、ボクと一緒にいるときは過去を思い出せないような術も施していたんです。反対に、あなたが他の人にボクのことを話さないよう、ボクが見えない場所では…………」
言いにくいのか、鸞は言葉を切った。
「お前のことを忘れる。そうなんだな」
思い当たる節はあった。
校庭に見かけたとき。
向こうの世界で声を聞いたとき。
コク……鸞が苦しげに頷いた。
「ごめんなさい……ずっと、騙してて」
「いいんだ。鸞、気にするなよ」
「
「
「はい。御山鸞なんて生徒、この学校にはいません。この任務に就いたときにボクがもらった、偽名です。歳だって、あなたと同じじゃありません。三つ下です」
まるで堤防が決壊したかのように、鸞──凰鵡──は次々に秘密を明かしてゆく。
命を護るためとはいえ、いままで偽ってきた後ろめたさだろうか。だとしたら、よほどつらかったのだろう。
それにしても、幼げと見えて本当に三歳年下だったとは。
「だからって、丁寧に喋らなくていいだろ」
「でも」
「お前が誰でも、オレたちダチだろ」
話し始めてから、初めて凰鵡が翔を見た。
キッと結ばれた唇が歪み、眼が潤んでゆく。
「翔は全部……全部、気づかないまま……平和な日常に戻っていく……はずだったのに……」
鸞が言葉を詰まらせてゆく。
「ごめんね……ボクがいっぱいミスして……こんな……」
空いた手で、凰鵡は涙を拭う。
「いいって。お前は、ちゃんとオレを護ってくれたよ」
「翔も……ボクを護ってくれた」
「だな。オレら、いいコンビになるんじゃね?」
「……ごめん、それはできない」
和みかけた空気が、一瞬にして張り詰めた。
「……やっぱ、オレなんかじゃ、衆ってのには入れないのか?」
「そうじゃないの」
翔の問いに、凰鵡は首を横に振る。
「なら、どうして……? オレは……」
オレは……なんだろう? 翔は自問する。
衆に入りたい? さっきのような死と隣り合わせの生活を本当に送りたいのか?
正直、怖い。だが、妖種という存在を知り、肇と花脊を失った以上、もはや今までの自分に戻れるはずもない。肇のような人を、自分のような者を、これ以上見たくない。
だったら────
違う……違う……そんなものは大義名分だ。
嘘ではないが、妖種が
本当は鸞と……凰鵡と一緒にいたいのだ。
たとえこれまでの関係が嘘だったとしても、明日から別々の場所で生きてゆくことなど、考えたくない。
言い訳をしてもしょうがない。これは恋なのだ。
ダチだ親友だなどと、二枚舌もいいところ。
まったくどうしようもないことに、自分は三歳も年下の、男でも女でもある仔猫顔に、恋をしてしまっているのだ。
「それは私が話そう」
言いよどむ凰鵡に変わって、顕醒が告げた──翔にとって、あまりに理不尽な事実を。
「翔くん、きみはこの件が終わり次第、妖種や我々に関する、一切の記憶を消されることになっている」
「な──!?」
目の前が真っ暗になったように感じた。
なぜ? ここまで関わっておいて、なぜ今さら?
「なんで……!?」
「それが依頼者の願いだからだ」
「依頼者、依頼者って! 護れだの記憶を消せだの! いったい、誰なんだよそいつは!」
「オレだ」
突然、横合いから聞こえた四人目の声に、全員の目がそちらに集中する。
いつから、そこにいたのだろう。
「おっす、お疲れさん。ありがとうな」
気怠げな様子で手を上げるのは、くたびれたスーツに無精ヒゲの、いかにもさえない中年オッサン。
いつかの河川敷で顕醒に指令書を渡した、あの男だった。
そして────
「親父!?」
紛れもない、翔の父だった。
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