序章:第4話
跳び箱が吹き飛び、壁に激突してバラバラになった。
「あ……あ……!」
翔はその身を、異形の目の前にさらしていた。
動けない。動いたら、アレにやられる。
長く延びた口──いま跳び箱を薙ぎ払ったのもそれだ。
しかし、震える翔の見ている前で、それはスルスルと縮んでゆき、もとの
とはいえ、憧れだった女の子の顔をしても、首から下は見るもおぞましい異形のままである。
「大鳥くん、急にごめん。こんなとこに呼び出して」
その異形が、花脊の口で意味の分からないことを言い出した。
別に呼び出されてない。
「あのね……私、ずっと前から、大鳥くんのこと好きだったの」
なにを、言ってるんだこいつは……
それは、さっき肇に言った言葉そのままじゃないか……
その肇は……もう動かない。
「私の初めてをね……大鳥くんにもらって欲しいの……」
ぞくり……もう限界まで冷え切っていたはずの翔の背筋が、さらに凍えてゆく。
分からない。
これが、自分の憧れた花脊なのか。
なにを考えているのか、まったく分からない。
「私の初めてをね大鳥くんにもらって欲しいの……私の初めてをね大鳥くんにもらって欲しいの初めてを大鳥くんにもらって欲しいの大鳥くんに大鳥くんに欲しいの」
壊れたボイスレコーダーのように、同じ言葉が形を変えながら何度も繰り返される。
「大鳥くんもらってほしい初めてもらっておおおとりくんもらってほしいのおおとりくんほしいほしいほしいほしい」
(やめ……やめてくれ……!)
耳を押さえて翔はうずくまる。
殺されるよりも先に、気が狂いそうだった。
すると、スッと静寂が訪れる。
恐る恐る、翔は手を放した。
「大鳥くん、欲しい」
その瞬間、三つのことが矢継ぎ早に起こった。
まず、花脊の身体が破裂した──ように見えた。
違った。首から下が人の形を完全に失い、無数の触手がありとあらゆる方向に伸びたのだ。
無論、そのなかのいくつかは翔に向かってまっすぐ伸びてくる。
「うわぁぁ────!!」
だが、翔が悲鳴を上げたときには、それらは本体もろとも、まとめて壁に叩きつけられていた。
ガァン──体育倉庫の扉が突然、内側に向かって弾け飛び、花脊を巻き込んだのだ。
外の光が倉庫を照らし出す。
そして、声が聞こえた。
「走って! 外へ! 早く!」
少女のような少年のような……とにかく若い声だった。
命じられるままに翔は走り、光の下へ飛び出した。
声の主は、いない。
そもそも人影がない。
「止まらないで! 北棟一階の空き教室に!」
また声が鳴る。誰がどこで叫んでいるのだろう。まるで、頭のなかから聞こえているようだ。
しかし、とにかく走った。何が起こっているかは分からないが、一刻も早く、少しでも遠く、花脊の化け物から離れたかった。
体育倉庫があるのは運動場の東端だが、校舎からはそれほど離れていない。
ザザザザザ──入口まであと少しというところで、背後から砂の上を滑るような音が聞こえた。
チラリと振り向いた翔は、再び悲鳴を上げそうになった。
何本もの触手を揺り動かしながら、白昼堂々、化け物がこちらに迫ってくるのだ。
しかも、頭はいまだ花脊のままである。学校中に花脊の正体が知れ渡るのは確実だ──それ以前に大パニックが起きる。
「振り向いちゃだめ! 靴は
校内は土足厳禁だが、本当にいいのか?
そもそも、あいつが校舎のなかにまで追ってきたら、他の生徒もマズいんじゃないか?
さまざまな懸念が翔を
(誰なんだ──?)
ここまで導いてくれた声の正体を思い出そうとする。
聞き覚えがある。懐かしくもあり、つい最近聞いたようでもある。
だが、どうしても思い出せない。
ただひたすらに、
入った東棟と北棟は直結しているため、走っていればすぐに着く。運よく他に誰もいないおかげで、遠慮無く全力疾走できる。
──誰もいない!?
廊下にも、教室にも、人っ子ひとり見当たらない。まるで、自分だけを残して、全員が消えたかのように。
(なんで……?)
翔はあやうく立ち止まるところだった。
ズズズズズ──後ろから、這いずる音が迫っていた。
「見ちゃ駄目! 走って!」
もう少しで振り向いてしまうところだった。
音の鳴り方が、明らかにおかしい。
床だけではなく、天井や壁からも聞こえてくる。
それに、ガラスの割れる音。硬い金属の潰れる音……
──まさか、その身体に触れるものを、ことごとく食い荒らしながら走ってきている?
そんな想像が翔の脳裏を占領し、ますます恐怖を
「オオトリクンホシイオオトリクンホシイ……ホシイホシイホシイホシイ……」
やめてくれ──! 翔は叫びたかった。
だが叫べない。息をするので精一杯だ。
どこまで来た? あとどれだけ走ればいい?
もう北棟には入ったはず。件の空き教室の場所も知っている。
あと十メートルくらいだろうか──いや、五〇メートル……百メートルだったかもしれない……
それに、あの部屋には鍵がかかっていたはずだ。
見えた。開いている。誰が開けたのかはわからないが、選択の余地はない。
翔は思い切って飛び込んだ。
がらんどうの部屋。
その中央に、手があった。
浮いているのだ──手だけが──空中に。
「ボクの手、掴んで!」
たじろぐ翔の頭に声が響く。
大丈夫。この声の主は信じられる。
自分でもよく分からない確信に突き動かされ、翔は浮いている手を、強く握った。
グッ、と手が強く引かれ、足が浮く。
「──ッ!?」
声を上げる間もなかった。
「翔ッ!」
目の前に
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