序章:第2話
「じゃ、またあとでね」
校舎をくぐり、指定の上靴に履き替えたところで
まっすぐ教室に向かう
生徒の群れを縫って消えてゆく癖毛──身が小さいせいで、見えなくなるのに十秒とかからなかった。
ふと、翔の胸に不安が去来する。
これを最後に鸞と逢えなくなるのではないか、という気がしたのだ。
「おっす」
突然、肩を叩かれた。
顔を巡らせると、頬に人差し指が刺さった。
手の主、
翔は溜息を吐き、肩を落とした。
クラスで最も仲のよい友人のイタズラとあれば、怒る気は
「ぼーっとして、どしたの?」
「ん? いや、どうもしねぇ」
月並みな返事だが、本当にそう答えるしかなかった。
鸞に対する不安はもう、霧が晴れたように消え去っていた。
そのまま二人して教室に入る。
すると、肇は自分の席に鞄を置くや、取って返すように翔の机へと取り付いてきた。
「どしたの?」
先刻の肇の言葉を返すように、翔は訊いた。
「いや……」
肇は周りを気にしながら囁く。
「誰にも言うなって言われてんだけどさぁ」
「んん?」
もったいぶった切り出しに先が気にならないはずもなく、「じゃあ言うなよ」という言葉を堪えて、翔は相槌を打つ。
「四組の
「お、おお……!?」
胸がドッと高鳴り、相槌に感嘆が交じった。
なにより、翔自身も気になっているのだ。クラス違いもあって、話すキッカケすらなかなか掴めないが、ゆえあらばと、いつも廊下ですれ違う度に目の端で追ってしまう(結局は挨拶すら出来ないのだが)。
「呼び出された。昼休みに……話があるって」
「はあ……ッ!?」
もう少しで大声になってしまうところだった。
「え、マジ?」
肇は照れを隠したような困り顔で頷く。
「けどさ、えっと……そういう話か分かんないじゃん?」
「いや、そういう話だろ絶対」
「そうだけどさ、なんか俺ちょっと不安で……付いてきてくんない?」
「誰にも言うなって言われたのに?」
「隠れといてくれたらいいから」
正直、気は
バレないとしても騙すような真似はしたくない。
それに、何が悲しくて、好きな女の子が自分以外の男に告白する場面なぞ見ねばならんのか。
「……場所は?」
心のもやもやを追い出すかのように溜息を吐いて、翔は訊いた。
結局、好奇心と、級友への義理が勝っていた。
授業が始まっても、翔はほとんど集中できなかった。
なんで引き受けてしまったのだろうと、今さらながら後悔していた。
こっちの気持ちなど知るよしもないとはいえ、肇も酷な頼みごとをしてくれたものだ。
呼び出し場所はあろうことか校庭隅の体育倉庫。
そんなところに呼び出されて起こることといえば恋の告白どころか、どう考えてもエロマンガのようなアレだ(もっとも、実際に自分の学校の体育倉庫でそんなことが行われているなんて話は聞いたことがないが)。
鍵はあらかじめ開けてくれているらしいので、先に潜り込んでおけば隠れ場所には事欠かない。
とはいえ、それで罪悪感と虚無感が消えるわけもない。本当にスケベな展開になったらなおさらだ。
頭の中では花脊由希の顔が何度もフラッシュバックし、なぜ自分ではなかったのだろうという不毛な問いが波のように寄せては返す。
(肇のやつ、顔はいいからなぁ)
と、他人を持ち上げて自分を納得させても、しきれるものではない。
軽い失恋状態である。
三時間目になっても溜息の量はいっこうに減らず、眼は窓の外の青空ばかり見ていた。
ふと、何気なく下へと落とした視線の先に、翔は不思議なものを見た。
教室の窓からは校庭が一望できる。その一番奥には松の木が等間隔に並んで植えられているのだが…………
その一本のたもとに鸞がいたのだ。
しかも、鸞だけではなかった。
翔のまったく知らない人物だ。
長い髪が見えたので女かと思ったが、違った。
一見して一九〇センチはあろう長身だと分かる。おまけに肩幅は広く胸板も厚い。おまけに服は黒のレザージャケットときているものだから、まったくもって日本人離れしている。
どう見ても学校の関係者ではない。
相対している鸞の方はまったく物怖じしている様子もなく、むしろ翔といるときより落ち着いて見える。
とりあえず
親族? 兄貴? それでも奇妙だ。
鸞にあんな兄がいるなんて話は聞いたことがない。
ぎゅ…………疑念とは別の不快感が、翔の心臓を掴む。
本人が否定したとしても、それは間違いなく嫉妬だった。
一番の親友が、自分の知らない人間と親しげに話しているのだ。
花脊に続いて鸞まで取られた──自分のものではないと頭では分かっているし、何を馬鹿なことをと自嘲は出来ても、心は否応なくそういう反応をしてしまう。
ジャケットの男が翔を見た。
サァっと翔の背筋が冷える。
気付いたのだ──この距離で──こちらの視線に────
理性は「まさか」と言うが、直感は「間違いない」と応えた、そのときだった。
(え──!?)
翔は心の中で声を上げた。
二人の姿は、跡形もなく消え去っていた。
眼球を右へ左へと動かして行方を探す。
見つからない。
幻覚──!?
そう思うのも無理はない。まるで映画のフィルムのコマがごっそり抜け落ちたかのような消え方だった。
そして、翔は新たな謎に突き当たってしまった。
松の木々の輪郭がぼやけているのだ。
空気のせいではない。
翔自身の視力によるものだった。
つまり、あの場所に立っている人間の顔が、ああもはっきりと見えるわけがないのだ。
(あれ……?)
さらに、謎は謎を呼んで、翔を惑わせてゆく。
(オレ……誰を見たんだ……?)
顔も名前も、すべてが記憶の彼方へと消え去っていた。
当たり前だと感じていた翔の日常、その崩壊の足音が近づいていた。
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