リ・インカルナイト
@Yoshi-kobu
第1話 審判
白んだ空に、警報の赤が滲んでいた。
金属が擦れるような音が地面を這い、奥の路地では猫がひと鳴きして逃げ出した。ここは第七区、スラムのさらに奥。朝の静寂にはあまりに不釣り合いな騒がしさだ。
壁に吊るされた古いホログラム端末が、埃混じりの声でニュースを流している。
「本日未明、“前世殺人罪”のデータを検出された赤子の魂、処分完了。前世の行いは今世の命に繋がらず。平等なる審判を」
「……やれやれ。朝から気が滅入る放送ね」
ぼやきながら、女が鍋にスープを注いだ。
視線の先、薄汚れたソファに寝転がる少年がいる。17歳の少年――エイデン。痩せこけた体と煤けた眼差し。その額には、かすかに焼き付いた刻印があった。
《前世:殺人》
だが、それが本当かどうかは、誰にもわからない。
「起きて。スープが冷めるわよ」
女の声に、エイデンはゆっくりと体を起こす。目元に眠気を残したまま、ぼそりと呟いた。
「……ありがとう。姉さん」
「また“姉さん”? 名前で呼びなさいって言ってるでしょ。アルマよ、アル・マ」
「覚えてるさ。でも……なんか“姉さん”の方が落ち着くんだ」
エイデンの顔に微かな笑みが浮かんだ。アルマはその表情に、かつて見たことのある誰かを重ねて、少しだけ目を細めた。
テレビの映像が切り替わる。焼却炉に運ばれる“処分済み”の魂データ。そこに名も姿もなく、ただ記録とともに世界から消されていく。
「……あんたの“罪”なんて、私には見えやしないけどね」
アルマの口から、ふと漏れた本音に、エイデンは目を伏せた。
「でも、“見えない”じゃ済まないんだ、この世界は」
そう呟いたその時、ドアの外で電子ロックが焼き切れる鋭い音が鳴った。
エイデンとアルマの視線が交差する。
「……来たね」
窓の向こうに、黒い装備の男たちが見えた。〈輪廻監視局〉――魂の過去を裁く、法の執行機関。その手に握られているのは、“正義”という名の引き金だ。
アルマは無言で食器棚の奥から一丁の古びたサイドアームを取り出し、エイデンに差し出す。
「逃げな。これが私からの――最後の贈り物だよ」
一瞬ためらいながらも、エイデンはそれを受け取る。
「……ありがとう。アルマさん」
「姉さん、でしょ」
その一言が終わらないうちに、ドアが爆音と共に吹き飛んだ。
銃声が響き、煙が部屋を包む。
エイデンは振り返ることなく窓を飛び越えた。
命を繋ぐために。
まだ見ぬ「誰か」のために。
数週間後――
銃声は、もはや風のように日常だった。
第九区の裏路地。時間は十時過ぎ。
雨に濡れた舗道が、ネオンの光を鏡のように映している。
その路地の奥を、一人の少年が駆けていた。
息を切らせながら、振り返る。黒い影が数人、確実に迫ってきている。
――輪廻監視局。
「ちっ……しつこいな」
エイデンは息を整える暇もなく、角を曲がった。
そして、次の瞬間、足を止める。深く息を吸い込み、目を閉じた。
その身体の輪郭が、揺らぎはじめる。
――分身。
彼の魂に宿る力。それは、自分と瓜二つのもう一人を創り出す異能。
エイデンは分身を走らせた。前方へ、追手の目の前へ。
「ターゲット、前方に確認!」
「囲め!」
追手たちは、影を追い一斉に駆け出した。
その隙を突いて、エイデンは物陰から飛び出し、背後の一人に拳を叩き込む。
が――
次の瞬間、肋骨に強烈な一撃。息が詰まる。
別の一人に腕を掴まれ、もう一人が足を払った。
地面に叩きつけられ、背中から火花が散る。
仰向けになったエイデンの後頭部に、銃口の冷たい感触。
「ここまでだ。前世を恨め。」
引き金にかかる指。
その瞬間――
ドンッッッ!!
爆音が鳴り響いた。
白い煙が視界を覆い、あたりが一気に混乱に包まれる。
「な、何だッ――!」
「待て、視界がッ――!」
男たちの怒声が飛び交う中、
ザッ、と重い足音が、エイデンの目の前に止まった。
煙の中から、シルエットが現れる。
ブーツの先が、倒れた彼のすぐ目の前に立つ。
エイデンが見上げると、そこにはゴーグルを外しかけた少女がいた。
目元に走る光の紋様、蝶柄の戦闘用装備。だがその顔には、どこか優しさがあった。
「……あなたがエイデン?」
声は、静かで、どこか懐かしい響きさえあった。
「私たち、あなたのことを――救いに来たの」
エイデンは、しばらく言葉を失って見つめていた。
濃い煙の中、少女の姿だけが、やけに鮮明に見えた。
彼女の名は、この時点ではまだ、彼の知る由もなかった。
――リオラ。
だが、それがすべての始まりだった。
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