束の間の

 中庭に差し込む午後の陽光は暖かく、全てを包み込むようだった。穏やかながらも強みを増す太陽の日差しに草木はより一層光り輝き、影はより深みを増している。

  

 バレンティアはベンチに腰掛けながら少女の髪を撫でていた。読みかけの本は地面に置かれ、その頭はすっかりバレンティアの太腿を枕にしている。本を読んでいる間、レンディアヌがバレンティアの腕に頭をくっけたのは三回。一回目は「ごめんなさい」と微笑み、二回目はハッと起き上がった。しかし、三回目で女皇は眠気に負け、バレンティアに完全に身を委ねてきたのだ。


 何と可愛らしい事か。最初は周りの目を気にして“慎ましい”お供のようにじっとしていたバレンティアだが、気がつけばレンディアヌの髪を撫でていた。その髪はさらりとしていて、寝息は穏やかだった。


 まさか自分が女皇と共に過ごしているなんて。日銭を稼ぐために給仕や単純作業(驚くほど退屈)をこなしてきたバレンティアにとって目の前の現実は夢のようだった。女皇に気に入られるのは光栄だし、宮殿に奉仕できるのは名誉なことだ。身売りをしなければ手に入らない程のお金も手に入れた。しかし、何より嬉しくかけがえの無い事は女皇とこうして一緒に時間を過ごせる事だった。小さな女皇は愛おしい。

 ──たとえこれからお金が入らなくなっても構わないから側にいたい。バレンティアは心の底からそう思うのだった。



「疲れているようね」


 優しい声がした。レンディアヌの髪を撫でていたバレンティアは驚いて顔を上げた。視界に入ってきたのはリリアントの姿だった。バレンティアは心臓が飛び出そうなほど驚いた。


「リ、リアント様」


 声を張り上げようとしたバレンティアを、リリアントは口元に手を当て制止した。「この子が起きちゃうわ」彼女はそう微笑むと、身を屈め、娘の寝顔に手を当てた。


「こんなに穏やかな寝顔を見たのは久しぶりよ」リリアントは呟いた。そして自分の独り言に聞き手がいる事を思い出すと、彼女はバレンティアに顔を向けた。「あの人がサーヴェのもとへ旅立ってから、この子あまり眠れていなかったのよ」と寂しげな笑みを浮かべた。


「そうなんですか……」


「私も一緒に寝たりしたけど、駄目だった」その声は優しく、悲しげだった。「どうも悲しみというのは共鳴し合うみたい。私はこの子より覚悟ができていたつもりだったけど、そうじゃなかった。……この悲しみは終末の日まで消えないでしょうね」


 バレンティアは何も言えなかった。言葉が思い浮かばなかったし、例え浮かんでもここは黙っておくのが正解だと思ったからだ。代わりに彼女は心の中で皇妃に同情し、寄り添った。



「皇妃様、客人がお待ちです」


 凛々しい声が沈黙を破った。その声の主は兵士でも使用人でもなかった。


 リリアントの後ろでちょこんと前足を並べている一匹の猫。声の主はいつも伝言の入った瓶をバレンティアに届けているあの猫だった。


 ──あなた喋れるの?!

 

 バレンティアは何ともいえない表情で猫を見たが、彼は全くの無反応だった。リリアントが顔を向けると、猫は視線を主人から逸らして敬意と忠誠を示した。


「分かったわ、すぐに行く」リリアントはそう言うと、バレンティアに目を向ける。「ごめんなさい、貴女とゆっくり話せるかと思ったのだけど、もう行かないと。また今度一緒に食事でも」


「え、ええ、是非!」


 リリアントは暖かな笑みを浮かべると、猫と共に去っていった。


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皇女レンディアヌ モドキ @modoki-modoki

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